待つ力
子育てしていて、一番鍛えられたのはこれだな、と思う。
最も自分に近くて、最も異なる存在である子供は、どうしても自分の思い通りになるんじゃないかと錯覚しがちだ。親がケアしなければ自分でお乳を飲むこともできないほど非力のまま生まれてくるので、とにかく親の手が必要なことも、そう言う錯覚を与えることにつながるのかもしれない。
でも、彼らが成長するにつれて、当たり前だけれど、ちゃんと自我のある人間であることに気が付いて、戸惑う。私も色々すったもんだしながら、結局「待つ」しかない、見守るしかない、と言う感じになった。一方、そうして少し「親がなんとかしなくちゃ」という肩の荷を下ろしたら、子供達との会話が俄然面白くなってきて、こっちが教えられたり、考えさせられることが増えてきた。
「人の成長に寄与する」という意味では共通している子育てと自分の仕事。どちらも本当に正解がない。目の前にいる人をどれだけちゃんと観ることができるか、と同時にどれだけ肩の力を抜いて相手を信じて待つことができるか・・・。終わりなき、探究の道はずっと続きそうです。