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私が着物を作ろうと思うまで 〜絵描き編①〜

🇩🇪グーテンターク!こんにちは。
ずいぶん久しぶりの更新になってしまいました。

さて今日は

「私が着物を作ろうと思うまで」

というこのブログのメインとも言えるテーマで書きます。この歳になると歴史はなかなかに長く多面的なので(笑)、今回は絵描きとしての側面からの絵描き編①としました。
どんだけの長編を書こうとしてるんでしょうか。

前述の通り私は幼い頃から絵を描くのが大好きで、幼稚園に上がる頃には毎日のように絵を描いていて、園でも先生に「よく描けているね」と褒めてもらっていました。
アニメを見るのも大好きで、当時やっていたタイムボカンシリーズや魔女っ子メグちゃんなんかを夢中で見てました。
思えば幼稚園時代は私の人生絶好調の時期でした。だって、ただ絵を描いて工作して、歌って踊っての毎日。全部自分の好きな事だったから。

そんな私を見ていた母の友人(美大出身)が、母に私を絵画教室に通わせる事を勧めてくれました。
まだ何も習い事を始めていなかった事もあり、母は勧められるままに決め、私は日本画家の先生の絵画教室に通いました。
教室では先生はクレヨン画、水彩画、油彩画の基本的な技術を教えてくれましたが、テーマや課題などは決められておらず、制作はほぼすべて自由に自分の好きなものを描く、というスタイルでした。
技術的な事よりも、定期的に描く習慣をつけて量をこなす事で目を養い、自分なりの技術と感を身につけていったように思います。教室には小学6年生まで通いました。

小学校時代から漫画をたくさん読んでいました。
祖母と伯父がラーメン屋を営んでいた事もあり、お店でお客さん用に買う週刊漫画誌がすべてうちに下りてきていたのです。
おかげで毎週少年ジャンプ、マガジン、サンデーを読んでいて、好きな漫画の絵を模写したりもしてました。

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小学校高学年になる頃にはすっかりオタク化しており、自分でも漫画を描いて「将来は漫画家になりたい」なんて考えてました。
『まんが道』やジャンプに載ってた『まんがスクール』を読んで、お小遣いやお年玉をはたいて漫画用の道具を買ったりしました。

中学生時代はアニメもたくさん見て、アニメ雑誌なども買い出しさらにディープなオタクに。
靴下の裏や肘によくトーンの切れ端がくっついてたw。
商業アニメも好きだったんですが、NHKの「みんなのうた」とかのアニメーションも好きでした。
かなりシュールなアートアニメーションみたいなのもありましたね。絵が動くってすごいなあと思ってました。
純粋に自分の好きなものを楽しんでいたんですね。

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しかしここで私にとって嫌な事があります。
クラスメートにオタクである事をからかわれたり、バカにされたりしました。
当時、アニメオタクの犯人による連続幼女誘拐殺人事件があり、アニメオタクは晒し者になり、社会から気持ち悪がられ、迫害されている風潮がありました。

こういうの未だに本当に理解できない。一つの大きな事件に影響されて、人の趣味を気持ち悪いと思ってしまうまでは仕方ないと思うし、わかるよ。メディアの伝え方も悪意に満ちたものでしかなかったしね。
でもさあ、その事件に全く関係ないクラスにいる人、その人がアニメを好きな事により迷惑をかけてる訳でもないのに、わざわざその人の所へ行って嫌がらせをする事なくない?

まあ中学生だからね… 私も当時は特に何も言い返せなかった。
アニメ好きな友達は他にいたし、その子達と楽しく過ごし、クズは取り合わないのが一番と思ってひたすら無視してましたが、それにムカついたらしく実害を加えてきました。
ので、当時ヤンキーだった姉ちゃんにチクって、上級生の皆さんを召喚したら収まりました。

当然のごとく、図工および美術の成績はいつもトップでした。
休み明けの作品展などではよく賞をもらったし、学校の文集やら修学旅行のしおり表紙などもいつも私が描いてました。

しかしいじめのトラウマにより、高校ではオタクである事をひた隠して過ごしました。まあ、バレてたかもしれませんがw。
その反面、本格的に同人誌制作活動に勤しみ、コミケイベントにも参加。漫画家さんのアシスタント経験もしました。

血迷ってコスプレしたりもしましたよ。当時は格闘ゲームが流行ってたなあ。
コスプレでは、すれ違おうとする人がいきなり「写真撮らせてください!」と尋ねてきてくれたりする事に嬉しさを覚えました。
いつもと違う格好をする、という変身願望的なものが満たされる感じもしましたね。

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こんなオタクまっしぐらな私でしたが、割とあっさりとオタク界から足を洗う事になります。

つづく

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恵美子@ドイツ暮らし
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