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地域おこし協力隊その後〜着任地を離れた私を支えるもの

「定住するかどうか」

地域おこし協力隊に興味のある人なら、誰しも一度は考えたことがあるのではないだろうか。

私は地域おこし協力隊として3年活動した後、着任地を離れた。厳密には、任期終了後4年間は着任地で暮らし、5年目に他市町村へ引っ越した。

引っ越し先は同じ県内なので、県単位では「地域おこし協力隊の成功例」と言えるのかもしれない。でも私自身、着任地を離れたことに対して寂しさや悔しさ、後ろめたさがあり、実は今までこのことについては触れてこなかった。

着任地を離れて2年半、まだ葛藤の最中ではあるものの、少しだけ気持ちの整理がついてきた。

いま「地域おこし協力隊になろうかな」と悩んでいる人が一歩踏み出すきっかけになればと思い、私の経験をここに綴る。

きっかけは「こんなおばあちゃんになりたい」

私は千葉県出身の都会育ち。もともと田舎に興味があったわけでもなく、移住を考えていたわけでもない。「たまたま進学した専門学校が新潟県にあった」というのが移住のきっかけだった。

地域おこし協力隊に応募したのは、在学中に出会った地域のおじいちゃんおばあちゃんの影響だった。

山菜を求めて崖を瞬く間に降りていくたくましさ。
その山菜をささっと下処理して塩漬けにする手捌きやしなやかさ。
魔法を使っているような縄ないの手つき。

初めて見るその姿や生活の知恵に、すっかり魅了されてしまったのだ。

「生きる力ってまさにこのことだ。こんなおばあちゃんになりたい」

それが農村へ関心が向いたきっかけだった。

その後「地域の人たちの暮らしや生き様を学ぶには、どうしたらいいのだろう?」と色々検索する中で出会ったのが「地域おこし協力隊」だった。

「これなら地域の中で働きながら、暮らしを学ぶことができる」と直感で思った。

私を支えてくれた世話人のことば

ただ一つ、不安材料があった。それは「定住できるか」という点だ。当時の私は固定概念に囚われがちで「地域おこし協力隊になるからには、定住をするべきでは」と考えていたからだ。

「地域は定住してくれる人を求めていますか?もしそうなら、私はちょっと自信がないです。」

面接のとき、正直にそう質問した。

誰だって、初めて行く場所に定住できるかなんてわからない。私自身もこの先の人生をずっとこの地で送っていくと断言できるほどの覚悟を持っていなかった。

「定住できるかは受け入れ側の問題でもあるし、必ずしも定住してくれなんて言えない。もし3年後に違う場所に移るとしても、私はあなたの人生を応援しますよ。」

そう答えてくれたのは、地域の世話人の方だった。この言葉で私の迷いは消えた。

「こんなふうに言ってくれる、信頼できる方が世話人なら大丈夫だ!」と安心したのを今でもよく覚えている。

着任してから今日に至るまで、この言葉にずっと支えられてきた。

着任中に「お茶飲み」から学んだこと

私が着任したのは新潟県津南町。世界有数の豪雪地だ。冬になると積雪のニュースで名前を聞いたことがある人も多いのではないだろうか。

積雪は3m近くになることも。車がすっぽり埋まる。

その中でも私が着任した三箇地区は、廃校になった小学校を拠点に都会との交流事業を行なっていた。私のメインの活動もそのサポートだった。

地域おこし協力隊を募集する前から有志で活動していただけあって、受け入れにも慣れているし、次々とお客さんも増えていた。正直私のサポートなんて必要ないくらいだった。

その中で、私にできることを考えた結果が情報発信だった。

「よそ者視点で地域の魅力を外に発信すること」
「内向きの発信をすることで、地域の自信を取り戻すこと」

3年間はこの2つをメインに活動をした。

情報発信をするためには、まず地域の魅力を知らなければならない。私は毎日地域を歩き回って、会う人会う人に声をかけた。そうしているうちに、顔を出すと「上がってかねかい?」とお茶飲みに誘ってもらえるようになった。

この「お茶飲み」が私にとって、なくてはならない時間となった。

「お茶飲み」は一つの文化だと思う。

近所の何人かが寄り合って、お茶を飲みながらおしゃべりをする。
ただそれだけなのだが、それだけではない。

お茶飲みには必ず「お茶請け」が出てくる。それぞれ持ち寄った「お茶請け」を広げると、その中には地域の文化が凝縮されているのだ。

乾燥や塩漬け保存した山菜、夏に食べきれないほど採れたきゅうりは漬けて冷凍保存、野菜の茎やツルも余すことなく食べ切る。

今では雪の降る冬でもスーパーでなんでも買えるが、昔は冬に食べる食料をいろんな形で保存していたのだ。

それだけではない。お茶を飲みながら聞く話には「豊かに生きていくための知恵」がたくさん散りばめられていた。私は毎回メモを取って、学んだことと自分の感想を「おたより」にして配った。これが目標の一つにしていた「内向きの発信をすることで、地域の自信を取り戻すこと」だった。

そのおたよりを見て、また別の方が「うちにはこんな保存食があるよ」「今度〇〇作るから見においで」と連絡をくれることもあった。そんな相互のインプットとアウトプットのやりとりが、心から楽しかった。

私の地域おこし協力隊時代の活動、そして今の暮らしは「お茶飲み」で学んだことが土台となっている。

協力隊時代に結婚、そして別居生活

さて、ここからは「なぜ私が着任地を離れることになったのか?」という話に入っていきたい。

実は私は任期中に結婚をした。夫は県内の別の地域に住んでいて、今後もその地域で活動していく予定だった。

結婚を機に、どちらかの地域で同居するのが一般的だろう。だが私たちが出した答えは別居だった。

「同じ場所で暮らすだけが夫婦じゃない。互いに大切にしたい地域があり、やりたいことがあるのだから応援し合おう」と決めた。

地域の皆さんからのサプライズ結婚祝い。別居中の夫の等身大パネルを作ってくれた(笑)

元々、固定概念に囚われがちな私がその選択をできたのは、地域の方たちの暮らしを学んでいたことが大きい。

雪国では昔は冬になると夫は都会へ出稼ぎへ行き、家を守るのは妻の役割だったという話をお茶飲みの席でよく聞いていた。今みたいに機械のない時代に、家の雪かきはもとより、学校や公民館の雪かきも女性が行ったと言う。家事や子育てに加えて、だ。

そんな女性たちのたくましさと「一緒にいるだけが家族ではない」という価値観は私の選択を大きく後押ししてくれた。

3年間の任期が終わった後も、私は着任地に残った。後に振り返ると「このタイミングで夫と同居する手もあったかな?その方がスッキリしたかな?」と思うことはあった。

でも今はその選択に後悔はしていない。

当時私が地域の暮らしを学ばせてもらっていた方の多くは80歳をとうに超えていた。

「今ここで見たり聞いたりしておかないと後悔することがある」と思ったのが、着任地に残った1番の理由だった。

任期終了後はフリーランスとして起業し、ライターをしながら自宅をリノベーションして民泊を始めた。

どちらの仕事も、地域おこし協力隊時代の繋がりから案件をいただいたり、コラボでイベントを開催したり。

もちろん大変さもあったけれど「やりたいことを実現していく」過程が何より楽しかった。

写真家さんの展示とトークイベントには多くの地域の方が集まってくれた。

子どもの成長を機に、引っ越しを決意

変化が訪れたのは、子どもを授かってからだった。

出産後も別居生活は続けていた。

でも徐々に「いつまでこのまま別居生活を続けるのだろう?」と漠然と不安を抱くようになった。

また、子どもが父親を認識できるようになってきて「もっと親子の時間を過ごさせてあげたい」と思うようになっていた。

別居中はオンラインでコミュニケーションも

「今しかない息子の成長を家族でちゃんと見ていたい。今一緒にいないと後悔する」

それが同居を決意する一番の理由だった。そして私が夫の地域へ引っ越すことに決めた。

雪国で生きる人の在り方が私を支えている

決意が揺らぐことはなかったが、お世話になった方、仲良くなった友達と離れることや今までやってきた仕事を辞めることに対して、寂しさや悔しさはあった。そして「地域の方たちから、どう思われるのだろう?」と不安だった。

でも地域の方たちは、私の選択を応援してくれた。
「旦那と喧嘩したら、いつでも帰っておいで」と言ってくれる方、私の気持ちに共感して泣いてくれる方もいた。

あれから2年半が経ち、今は家族も一人増えた。

引っ越してからの2年間は安定を求めて勤め仕事に出ていたが、農作業や子どもとの時間がとれないことがストレスで、在宅でできる仕事にシフトした。

現在はフリーのライター・SNS運用代行として情報発信や集客サポートを行っている。今後子どもの成長に伴い、環境が変わっても続けられるキャリアを築いていきたいからだ。

これから先、今住んでいる地域にずっといるかはわからない。津南町に戻ることもあるかもしれないし、ないかもしれない。

出産、子育てを経験して、自分の思い通りにいかないことがあるということを思い知った。できないことばかりに目が行き、自分だけが不幸なように感じるときもあった。

そんなときに思い出すのは、津南町で出会い学んだ生き方だった。

できないことばかり見るのではなく、今ある環境でできることを見つける「しなやかさ」

冬を乗り切るための山菜や野菜の保存方法、あるものを最大限に活かして作る藁細工や生活道具、大雪を生かした貯蔵方法や冬の楽しみ方。

大根つぐら。雪が降ると天然の冷蔵庫になる。

限られた環境だからこそ知恵を絞る。生きていくのに必要なものだけでなく、楽しみを見出す創造性。

「あるものを生かし、より豊かに生きていく」

今もこれからも、私を支え続けてくれる「雪国の在り方」だ。

あるものでつくることは、クリエイティブな作業だった。

地域おこし協力隊になったこと、定住できなかったことが成功か失敗かはやっぱりわからない。

でも地域おこし協力隊として過ごした津南町での3年間が、私にとってなくてはならないものだったことは確かだ。


にいがた地域おこし協力隊 合同説明会開催!

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\このイベントで聞けること/
・具体的にどんなお仕事を協力隊はするのか
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【日時】
令和7年2月19日(水)  19:00-21:00

【参加方法】
オンライン開催(バーチャルプレイス「ovice(オヴィス)」を使用)

【対象者】
地域おこし協力隊の活動に興味のある方、応募を考えている方、
新潟県への移住を検討している方 など

【申込等について】
・参加無料です。
・事前申込が必要ですので、2/18(火)までに下記のフォームからお申込みください。
 
<参加申込フォーム>
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdqTNW58C2h1jhGQDLkqj8ckhfUfoVMF-r1Vu9tSEHOgtG-5A/viewform
 
・申込いただいた方には、開催前に参加方法等をお知らせします。

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