腐るお金

kito_yurianusuさんが腐るお金について熱く語っておられた。多少なりとも援護射撃ができれば、と思い、書いてみる。


まず、物理的にお金が腐る、ということはあり得ないわけで、腐るお金とは一体なんなのか、という問題が発生する。そこで、私なりの理解としては、腐るものを裏付けにした通貨を発行する、ということだ。つまり、具体的には食品のような、そのまま食べられる生活に直結したものを裏付けにする、ということだ。しかし、肉や魚のようにあまりに早く腐ってしまうものでは何かと都合が良くないだろうから、ここでは仮に穀物、すなわち米であると考えることとした。そうすると、米の収穫期にその年に発行できる貨幣の総額が決まり、そしてその風味は時間と共に劣化するので、腐るとまではいいわないでも、少なくとも去年の通貨よりも今年の通貨の方が美味しい、ということはありそう。そして、それをそのまま流通させるのはあまりに手間がかかるので、電子化して米の引換権が流通する、というイメージをした。

では、その導入についての具体的問題点を考えてゆきたい。まず、なぜkito_yurianusuさんはこのような回りくどい、間接的表現をせざるを得なかったのか、ということを考えてみたい。それは、社会的意思決定機能、つまり、政治の仕組みが様々な歪みを抱えているからであると考えられる。間接民主制においては、選挙によって選ばれた代議士が”一般意思”を集めてそこから社会的な問題を抽出し、必要があれば法案化して議会にかけ、そこで可決されれば法律となって施行される、というプロセスになっている。その時、代議士は、人から聞いた話をそのまま法案にする、というのでは、メンツ的にも立場的にも様々な問題があるのではないかと想像される。だから、政治的提案をする時には、わざわざ本音からずらした提案をし、代議士に最後のピースを埋めさせる、という政治的なテクニックが必要とされるのではないか。そんな迂遠な政治プロセスのために、意志決定は常に遅れ、駆け引きが繰り広げられ、そしてその間に最初の民意からはどんどん離れていってしまう、ということがままあるのではないだろうか。この、代表制間接民主制の機能不全状態はもはや目を覆うばかりで、政治はほとんど政局と予算ぶんどりによって占められていると言ってもいいような状態なのではないだろうか。

この状況を変えるために、国民投票の制度を充実させる必要があるのではないか、と考える。これには様々なアプローチがあろうが、現状においては憲法改正についての議論がせいぜいと言ったところだろう。それも、議員の2/3の賛成が発議要件となっていれば、国民投票などと言っても名ばかりで、ほとんど意味をなさない。そんな憲法についての国民投票は傍に置き、もっと具体的な法律について、有権者の一定程度の署名があれば国民投票の義務が生じる、というような、もっと直接的な国民投票の制度があれば、kito_yurianusuさんも、もっと直接的、具体的に提案をしてそれが民意の裏付けのもとで法律となる、という道が開かれるのではないだろうか。

ついで、通貨についての改革となると、中央銀行が絡んでくる。仮に米を裏付けにするとしたら、その米をどのように管理するのか、(調達し、どう保管し、どうやって交換に応じるのか、)という実務的な大きな手間が発生する。それは中央銀行の仕事からはずいぶん離れるものとなり、独立性の高まった中央銀行においてコストがかかる一方のそういう仕事を引き受けるか、というのは大きな問題となる。仮に法律改正によってそれをさせられるようになったとしても、それは通貨発行に米の確保という大きな財政負担が発生することになり、そしてその仕組みが労働者にメリットをもたらすようになる経路は想像し難い。政府と中央銀行の関係を含めてさらに知恵を絞る必要が出てきそうだ。

そして、電子化するには個人の識別というのが重要になるが、その制度を含め政府のデジタル政策は、とてもではないが電子通貨を発行するような状態には至っていないと私は考える。個人で管理できない個人番号によってお金の管理がなされたら、技術的にはそれを好きなように入れ替えることだってできてしまい、とてもではないが現金のような信用は得られないだろう。土地の登記制度の浸透に至るまで、または戦後の土地解放において、さらには土地バブルに至るまで、土地の公的登録制度に関しては折々に様々な混乱が発生したと考えられるが、その時にいったい誰がどのようなことをしたのか、ということを教訓としないと、デジタル化に伴い、同じような悪巧みがなされる可能性がある。個人がガチガチに縛られる一方、法人がそのメリットを享受する、という仕組みになれば、通貨がますます日常から離れ、マネーゲームの対象となってゆく可能性もある。それを視野に入れて与信管理的な話が紛れ込んでいるのだとしたらkito_yurianusuさんの構想自体の理念が問われることにもなりそうだ。もっとも、kito_yurianusuさんの政治的配慮を考えれば、そこは政治家の政策への与信管理という含意がなされていそうに感じるが。その辺りも含め、特にデジタル政策の理念から実践までの一貫した説明責任は大きく問われることになろう。電子化すれば全てがうまくいく、というようなかすみをつかむような話では、まだまだ現実味は薄そうだ。

このように、具体的問題は山積しており、実現はなかなか大変ではあろうが、kito_yurianusuさんの心意気自体は是とし、これを機にさらに議論が盛り上がることを期待したい。



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Emiko Romanov
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