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金融所得課税批判に欠けた視点

「新資本主義」を掲げる岸田政権、早速その第一歩として金融所得課税に触れないとの発言。選挙前にそれを明言するというのは、新資本主義は金融所得課税とは別ものであるとの立場を、選挙以前に明らかにしたという大きな意味を持つ。さて、財源なき分配強化、果たしてうまくいくのだろうか。お手並み拝見といきたいところ。

「新資本主義」に欠けた視点

2021年(令和3年辛丑)10月12日日本経済新聞18面投資情報の『一目均衡』において『「新資本主義」にかけた視点』ということで、前半2/3以上を費やして金融のデジタル化について延々と述べた挙句に、金融所得課税についての批判を行っている。明らかに、「新資本主義」が金融のデジタル化を意味するということを示唆するための記事であると思われるが、そのピンボケぶりは凄まじい。

金融デジタル化の開く未来?

まず、ベンチャー企業がインターネット経由で資金調達する際、投資家が仮想通貨で払い込めるようにするという。ベンチャー企業が必要なのは、実際の現物投資に使うことのできる現金であり、それを仮想通貨で受け取って現金に交換する、などという余計な手間を加えることが、「資本主義」にとって何らかのメリットがあるのか、私にはちょっと理解できない。
仮想通貨に投資する人々がイノベーションを信じて投資するリスクの担い手だとのこと。残念ながら、仮想通貨の価格はイノベーションの度合いを反映するものでは全くない。仮想通貨でのイノベーションをおあるのならば、まずそこの直接的なつながりを構築するのが先であろう。中身のないバブルに資金が流れ込むことが「新資本主義」だと考えるのならば、チューリップバブル以来の超古典的資本主義から何ら進歩していないことになる。
仮想通貨で個人から直接出資を受け入れるクラフトビール会社があるとのこと。でも、記事を読む限りでは肝は出資額に応じて株式を割り当てるクラウドファンディングにあるようで、そこに仮想通貨がどのように絡むのかは全くわからない。その価格差損益を一体誰が持つのか。そしてそれ以上に、仮想通貨で直接出資を受け入れることにそれほどのメリットがあるのか。
デジタル普通株トークン、おそらく取引履歴をブロックチェーンで追える、ということなのであろうが、公募で証券会社を噛ませる意味というのは販路の拡大であり、取引履歴が追えるようになったからと言って売れなきゃ全く意味がない。本末転倒以外の何者でもないように感じる。
STOでデジタル証券を発行できるとのこと。まあ、手間の削減程度にはなるのだろうが、それが「企業価値を向上させられる」などと振りかぶるほどのことかはよくわからない。話のネタになる、という程度ではないのだろうか。
もう少し調べてみたら、どうも公開市場を通さずに直接資金調達できる、というところが鍵となっているようだ。この記事では、一番最後に「新しい資本主義に株式や市場をどう生かすかの発想」ということが書かれているが、果たしてこの筆者は公開市場の意味するところを理解しているのだろうか。特に今世紀に入って金融不祥事が相次ぎ、その度に証券をはじめとした金融市場のコンプライアンスは強化されてきた。それによって市場の健全性が増し、安心して取引ができるような方向に進んでいるのだと言える。それに対してデジタル技術を使って、公開市場外取引への誘導など迂回のループホールを作るというのは、それこそが市場の空洞化をもたらすものであり、市場を生かすどころか完全に殺してしまうことになるだろう。株式や市場をどう生かすのかの発想が求められているのは、デジタル化を推進しようとする人々の方なのではないか。

資本主義の本質と金融デジタル化

「デジタル株」になったところで、資本主義の本質が変わるわけでは全くない。確かに取引スピードは上がるだろう。だからと言って、スピードが価値を生み出すものではない。むしろ実態を伴わないスピードや量の増加は、常にバブルに結びついてきたのであり、それは資本主義に内在する不安定を増幅させるものにすぎない。だから、それを安定させるための金融所得課税にメリットこそあれ、害悪はほとんど見当たらない。資本の引っ張り合いが激しくなって必要となるのは、少しの条件変化でふらふら流れ出すような不安定な資本ではなく、安定して定着してくれるそれである。金融所得極大化のために動き回る資金は、まさに不安定のための資金であり、その動きを落とすことは、全体として市場を安定させる。デジタル化を実質の伴ったイノベーションにつなげるためにも、金融の速度を落とすのは必須の条件だと言える。そのための知恵の絞り合いをしているときに、始まる前からさっさとそのかなり有効と見られる手法を手放してしまって、果たして大丈夫かいな、と見ている方が心配になってしまう。

金融所得課税

さて、その金融所得課税に関する議論も最後に出てくる。一億円の壁のモデルが示しているのは、現実の所得配分がどうなっているのか、などということは関係なく、計算上として、所得1億円を超えると、分離課税の固定税率などが影響して所得税負担率が低くなる、ということを言っているのであって、株式より不動産所得の方が多かろうが、どちらも分離課税では固定税率で、そして5年以内ならば金融所得の方が税率が低いという状態である限りにおいて、所得、特に流動的な金融所得が上がれば上がるほど負担率が低くなるという事実が変わるわけではない。記事では、不動産の分離長期譲渡所得者の方が株式による所得者よりも多いことから、不動産課税の強化を提言しているが、もちろん不動産課税の強化というのも選択肢ではあろうが、不動産の分離長期譲渡所得というのは、5年を超えて保有していた土地の譲渡に関して税率が安くなるという仕組みであり、スポット的な取引を繰り返す金融取引とは意味が全く異なる。それをいうのならば、金融取引にも、少なくとも1年以上の保有を義務付けるなどの仕組みが求められよう。そして不動産は保有時に固定資産税も支払っているが、金融資産はそうではない。条件が全く異なっているものを同じ土俵で比べることは全く適切ではない。
それよりもまず金融所得課税の税率引き上げという改革、できれば分離課税をなくして一般所得並みの累進課税の中に組み込むほうが、遥かにバランスの取れた、手始めとしては一番理にかなったやり方なのではないか、ということなのだ。そして、それは株式の譲渡所得1億円超の人が割合として低いから意味がないのではなく、それだからこそ、その負担率の不均衡をなくしていかないと、その4%が制度上どんどん有利になる、ということを言っているのだ。それは大衆課税とは全く正反対の話であり、そして反対に乗り出すという証券業界にしても、そういう最初から不平等なゲームだという印象が持たれているところよりも、公平な条件が整っているというところの方が遥かにゲーム参加者を増やしやすいということには当然気付いているだろう。

「新資本主義」の夢をデジタル化に見て、それに浸るのは自由であるが、実際にお金の動く制度を考える際には、もう少し、夢だけではなく、足元をしっかり見る必要があるのではないだろうか。あるいは、自分の足元だけを固めて、他者を地獄に叩き込もう、などと考えているのだとしたら、その悪質さを夢に包んで誤魔化すのはかなりタチが悪い。

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Emiko Romanov
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