国際金融制度改革の必要性3 ブレトンウッズ以前の通貨体制
それに対して、ワシントンD.C.という政治の中心へのテロと見られるものをどう解釈するか、と言うことであるが、このテロ事件の前から、ワシントン・コンセンサスという考え方で、アジア通貨危機の起こった国々に対してかなり強硬な構造改革を押しつける、という事が起こっていた。これは、IMF・GATT体制という第二次世界大戦後の国際経済秩序を規定する仕組が、その価値観に基づいて自由貿易・金融体制をあまねく広めようとしたものであると言え、それによってアメリカ的な経済社会体制が一方的に世界に対して強制されていたのだ。IMFに関して言えば、戦争終結に先だって1944年7月にアメリカのブレトンウッズで開かれた会議で、バンコールという国際決済通貨を用いて貿易の赤字だけでなく黒字にも金利を課すことで債権国がその債権を国際経済に還元すべきだというイギリスのケインズの案に対して、為替市場での取引を通じての調整で不足分をIMFが貸し出すという債務国への通貨支援を行うことで債権債務関係をベースとして国際経済運営を行うこととしたアメリカのホワイトの案があり、後者に近いものが採用されてできたものである。この理屈によって、債権者の立場として債務国の構造改革への発言権を持ち、その経済社会体制に介入するという、非常に非民主的な手法を実践に移したのが、典型的にはアジア通貨危機に見られるアメリカを中心とした国際金融体制のやり方であったと言える。
戦争終結よりも1年も前に通貨に関する会議が開かれた背景には、アメリカのドルという通貨が元々スペインドルに基づいて作られ、今でも南米やフィリピンでペソという通貨単位が広く用いられていることからも明らかなように、特に太平洋地域では大航海時代以来スペインの通貨の影響が大きかったということがある。その上で、フィリピンが米西戦争の結果アメリカ領となった東南アジアでは、列強が植民地支配により分割支配をはじめており、それに対して第二次世界大戦では植民地勢力を追い出した後、日本は円による支配を行うのではなく現地通貨建てで軍票を発行しており、そしてそれに基づいた統治は比較的うまくいっていたので、日本を降伏させたあとに、旧宗主国が支配に復するにしろなんにしろ東南アジアでのその通貨発行を裏付ける権威体系が大きく揺らいで更なる大混乱が起きるという危惧があったということが言える。つまり、戦争前には列強の間だけの取引関係であった国際経済が、戦後多極化せざるを得ない中で、その基本的ルールをどうするのか、ということを事前に定める必要があったということだ。
また、アジア太平洋地域では、19世紀後半に近代的な貿易が活発になって以来、銀貨のメキシコドルが基軸通貨として広く流通しており、また、中華民国は結果としてではあるが、1935年に廃止されるまで世界で最後まで銀本位制をとっていた国であった。伝統的に銀はヨーロッパにおいてはドイツでよく産出され、その技術はドイツ系が高かった。また、スペインも新大陸からの銀を大量にヨーロッパに持ち込み、それによって18世紀になるまでヨーロッパでは銀貨が経済の中心の銀本位制であった。世界史的な金銀本位制の話については非常に広がってしまうので、ここではこれ以上触れないこととするが、それは日本に於ける明治維新の大きな背景であったとも言える。つまり、金銀の交換比率が、世界的な相場に比べて銀に非常に有利だったので、国内の金が海外に大量流出して、経済が混乱した、という事が幕末の混乱をもたらし、明治維新につながったと考えられるのだ。銀遣いの上方に対する金遣いの江戸という違いを為替で解決するという手法は、国際金融にとっても大きな示唆を持つべきものであり、そして摩耗等によって減価しやすい金よりも、通用通貨としては銀の方が遙かに使い勝手の良いものだったにもかかわらず、紙幣の採用に伴って銀を本位通貨に採用しないという強い圧力が掛かり続けたことが、特に国際貿易の拡大に伴って、世界紛争の大きな原因となっていったと言っても過言ではなかった。
そんな背景の下、ドイツが戦争なしにプロシア支配から脱却できていれば、銀本位制、あるいは少なくとも金銀複本位制のようになっていた可能性はあり、また第一次大戦後に金本位ではなく銀兌換も認められていれば、ドイツは銀の産出量を増やして債務をもっと楽に返済できていた可能性もある。実際には19世紀後半から電解精錬技術により銀の抽出技術は飛躍的に上がっており、また新大陸での銀の大量生産により、銀価格は暴落していて、そのせいもあって世界は金本位が主流となっていた。そしてそれを主導したのが、あろう事かプロシアによって統一されドイツ帝国となったプロシア主導のドイツであり、普仏戦争に勝った賠償の金によって、自らの富の源泉であった銀本位を放棄し、金本位を打ち立てたことによるものだった。プロシアという非ドイツ的な地域によるドイツ統一が自らドイツを窮地に追いやったと言えるのだ。これは、銀産地を多く抱えていたオーストリアに対しての優位を確立する為に、北ドイツを中心に勢力を広げたプロシアが自ら得た金によって金本位を打ち立てたことになり、結果としてドイツ帝国は建国以来不況とカルテル化のサイクルにはまり、急速に中央集権化して第一次世界大戦に突入した。戦間期に金本位への復帰が世界的な問題になっていたことを考えると、そこで銀本位という考え方が入っていれば、戦間期の世界的な不況から第二次大戦へ、という事もおきなかった可能性もあるのでは、とも考えられる。戦間期にはリンテンマルクという地代を担保とした非常にユニークな通貨が生まれたが、世界が金本位になることで銀価格が暴落すると言うことがなければ、銀の通貨発行によって不況に陥ることもなかっただろうと考えられ、そうすればナチス台頭も第二次世界大戦も起こらなかっただろう事を考えると、プロシア主導のドイツ帝国による銀貨鋳造停止の悪影響は非常に大きかった。
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