第一次世界大戦の直接的原因(3)
それでは再びイギリス側に戻ってその時期の様子を見てみたい。
イギリスでは、当時はヴィクトリア女王からエドワード7世に変わった頃だった。
その即位とドイツのビューローの宰相就任はほぼ同時期で、それによって流れが切り替わったか。
ヴィクトリア女王とロシア、プロイセン
なお、ヴィクトリア女王の時期には、
皮肉なことに、ヴィクトリアはビスマルクにヴィルヘルム2世を押さえさせようとしていたが、失脚し、その後に親英路線を取るカプリヴィになってもヴィルヘルム2世との関係はうまくいくどころか、ロシアへの接近が強まっていたということになる。英独関係を難しくしたのは、このプロイセン皇帝のイギリス王室に対するコンプレックスの発露ということが大きな要因としてありそう。
そんな中で、ドイツが高齢となったヴィクトリア女王を尻目にイギリスの国王交代を機に一気に巻き返しを図ろうとしたのが艦隊法であったと言えるのかもしれない。
また、このニコライ2世とヴィルヘルム2世との関係を見ると、1895年の三国干渉というのはやはり考えにくいのではないだろうか。
第三次ソールズベリー侯爵内閣
一方で、ヴィクトリア女王終末期には内閣はソールズベリーが率いて帝国主義政策を推し進めていた。それはドイツでカプリヴィが辞任した少し後で、それもタイミングが悪かったと言える。