体育会系調理補助ー最終回へ①ー
私は、首都近郊の、自然を多く残している街で、調理補助のパートをしています。
もう、5年半。病院の厨房で。この仕事ではベテランです。
今年に入ってから、私の所属するH病院事業所では、有力な戦力の3人もが、定年や転勤で退職しました。2〜5月にかけてです。
私の週5日勤務が、また始まりました。
最初、持病で主治医との約束が週2日、4時間ずつだったのが、いつの間にか週5日で、私は耐えられるようになっていました。けれど、その皺寄せはやっぱりきていて、私は、どこか心がささくれだっていきました。そして、身体も。
夏……。神様がストップをかけなければ、と思ったのかもしれません。
身体が、痛くて痛くて……。身体中。痛みは春からだったのですが、痛みが止まらず、私はとうとう音を上げて仕事を辞めることを決心しました。
8月の終わりの週、私はチーフのIさんに申し出ます。
「すみません、辞めさせてください」
以前のようには、引き留められませんでした。
「いいよ」
(あっさり……)
あまり、あっさりなので不思議に思ったほど。
今の状況で、人員は大丈夫なのだろうか……。
新しく人は、1人入りました。
けど、入ったのは、昼番。私の主に担当している早朝番は、今でもギリギリです。
「山田さん、前から他の職業に就く、って言ってたでしょ? 辞めるんじゃないか、って皆言ってたのよ? 」
栄養士兼事務員兼調理パート担当のサクラさんの言。
(そうでしたか……)
私は、現在 脚本家になろうと勉強しています。
新しく作ったシフト表は、来期から真っ白……。私が、辞める、と言ったあと、Iさんは、シフトが立たない、と悩んでたそうです。
でも、きっと また 助っ人が来るに違いない……いくらなんでも……。
前に、コロナが流行りだす前、私達は病欠や怪我人をだし、欠員2人のままで事業所を走らせ続けました。そのときは、コロナの流行で、閉鎖された他事業所から、助っ人がやって来てくれた。
今回は、どうなるのだろう……。
けど、あんなにあっさり辞めさせてくれると言っていたのだし……。
そんななか、義理の弟が死んだ。
私と夫と、義理の弟と同居していた姑がドライブに行く前の夜だった。
急性心不全。
姑は、義理の弟が亡くなっているのに気づかずに私たちと、出かけてしまった。
「眠っているのだ」
そう思って……。
よく晴れた日の朝。義弟は、親類に見送られて煙になった……。
つづく
©2023.9.17.山田えみこ