体育会系調理補助〜14〜
珍しく、夜中に私は泣いていた。
気が強く、プライドも高く、滅多に泣くことが この頃なかった。小さな頃から 私を見ている姉のような年の差の叔母に 電話で話を聞いてもらった。
「頭ごなしに怒鳴られたの?人の上に立つ人じゃないね」叔母は、まず 私の立場になってくれた。私の話を色々聞いてくれた。実は、この親戚に電話を掛けたのは久し振りであったが、実家の母には、電話が掛けられない訳があった。
この叔母は、ある大企業で女性ながらも100人を超える部下を抱える部長職の人だった。中途採用で、小さい頃の「小児マヒ」と言う病気で、脚に僅かな障害の残った人ながら、そこまで昇り詰めた人だった。昔から、良き理解者で、でも 甘え過ぎてはいけないと思って あまり連絡はしていない人だった。
「辛いの?辞めてもいいじゃん?」
それに付け加えて、私の脈の遅さの話も聞いて、
「それを理由にしてもいいじゃん?」
そして、続けた。
「だって、えみこは……」
そこまで来て、私の中で 何かが……
仲の良い、友人にも電話を掛けていた。
私より、年上で 温かみのある ほっとできる人だった。
「えみちゃん、泣いてるん……?」
「うん………」
しかし、
その会話の頃には、私は「ツライ」「ヤメタイ」は、消えていたように思う。
私と同じ病気で、1年で仕事を辞める人は、約半数。私は、1年半仕事を続けていた。
それより前「辞めたい」と、チーフに申し出たとき、チーフは申し訳無さそうに
「俺が怒鳴ったことで辞めたいなら、俺は、7月で他に行くから。この事業所は、会社の軌道が乗るまでの話だ。残ってもいいんだぞ」
と、言ってくれた。
「7月中になんとかしなきゃならないから、厳しくしたんだ」
新会社で、チーフはただ一人の この病院のノウハウを受け継いだ調理師として 孤軍奮闘していた。代わりの調理師はいなかった。独りで毎日、この病院の事業所の調理を受け持っていた。調理師兼栄養士兼事務員のミズさんと、毎日 休みもなく 戦い続けていた。私は、その中で のらりくらりとしていた。
私は、「辞めたい」という希望を出していたが、辞めさせてくれるのは、代わりの人が入ってから、少なくとも9月までは、やってくれ、という事になったが…
7月が、チーフと別れも言う間もなく終わった。そして、いつの間にか 清水さんが来た……。
挿入歌 「金木犀の花」キンモクセイ
つづく