ものの見方を変えたら…少し気分が楽になるかも…?
最近、波のある生活をしていて 思うところがあった。
他人は、こちらが運勢落ち込んで来て 私がちょっと静かだな〜という具合になっていると 少し優しい。
反対に、元気があって 活動し過ぎていると、風あたりが強くなる。
これは、なにかな〜と思っていた。
仕事場では、暗くしているとキラワレル。
誰も、悲壮感を持ってジメッと働きたくはない。
道でも、暗い顔をしてうつむいて歩いていると、肩からぶつかってくる。
前の場合と後者の場合は逆である。
知り合いが、落ち込んでいる時に優しくしてくる。
こちらが、快調!になってくると、イジワルなことをし始める。
仕事場では、明るくする。(活動的に)
プライベートでは、それなりに、ニュートラルが好かれる。
落ち込んでるときは、優しく、
快調!で、飛ばしている時には妨害する。
それを、「同情(または、憐憫)」と、
「嫉妬」と、表する人もいた。
ご近所には、迷惑にならないように、一日中、がたがたと掃除はしない。
大掃除なら別だけど。
特に木造住宅アパートだから、長時間の騒音には気を付ける。
ま、これは 別か……
あまり、シアワセにしていると「元気分けて」と言う友人は来るが、大抵、妨害もある。
落ち込んだ時は、優しい声音をかけてくれる人もいる。
これを、悪いように相手の感情を解釈すると 自分まで可哀想になる。
「妨害してくる人」は、ホントは、そのシアワセ分けてほしいのだ。かなり、長い間、そんなシアワセが来ないのだ。
だから、嫉妬する。長い間、そんなステキなことが、起こらないから…
自分にも、そういう感情があることを自覚しよう。そして、分けられるイイことが有ったら分けよう。
シアワセの独り占めはキラワレル。
落ち込んでいる時に、優しくしてくれる人には、
中には(落ちぶれていると、喜んでるくせに!)と、解釈して素直になれない人もいるが、それは、やめよう。
人間には、もともと「傷ついている人には優しくしよう」と、いう感情があるのだから。
小さな頃、可哀想な『なにか』に心が揺さぶられ、
「助けたい」と、思ったことが 誰にでもあるはず。
それを、曲げて考えて、
シアワセだと、世間は冷たくて、
不幸そうにしてると、世間が受け入れてくれる。やっぱり、不幸そうにしてるのがウレシイのね!
と、考える
友人がいた。
でも、それじゃあ、そう考えたほうが可哀想じゃない?
シアワセな時に妨害する人は、
ホントはシアワセが長くこなかった シアワセを分けてほしい人で、
落ち込んでいる時に優しい人は、
あなたの不幸を喜んでいるとか言わないで、
ニンゲンらしい気持ちを持っているのだと………
イジワルする人には その人の人生に、あなたの様な幸運が永らく来なかったのだ、と、
優しくする人には、優しいことの出来る ニンゲンらしい感情を持っているのだと…
ニンゲンらしく解釈しませんか?
相手のキモチを想像して……
世の中の見方を変えて、
すこしだけ☆
おわり