体育会系調理補助〜13〜
「あなたの脈拍は48です」
「はあ………!?」
私は、診察室で耳を疑った。
「先生、普通 脈って70以上じゃ……」
調理補助として働き始めたときは、 私の脈拍は60位。でも、若い頃、水泳やマラソンをしていたので その位なのは問題ないと知っていた。(持久力を必要とするスポーツをしている人は、脈が少し遅い)それにしても……平均は72から78位である。
先生は、そのあと続けた。
「大丈夫です。40切ったら精密検査が必要ですが、有名なマラソン選手は38ですから」
と、言って 有名なマラソン選手の名を挙げる。
「はあ………」
少し、生きた心地がした。めまいや、失神、目の前が白くなる……等の症状が無ければ心配は無いそうだ。
そうか……調理補助でずっと 集中力と、スピードを保っているうちに それは マラソンのようになってたのだ……
て、ことは 4時間くらいマラソンしていると同じことか?
そんな訳ないと、知りつつも、自分の労をねぎらいたくなった。
とにかく、心電図に異常は無くて、大丈夫とは言われた。
相変わらず、新会社のK社の、立ち上がりのシゴキはすごかった。
一緒に入社した、M坂さんと Oさんは、前の会社も一緒だったが、彼女らは、調理補助歴が長くて仕事の要領をわきまえてる。私は、調理補助になって 1年ちょっと。家事もそこそこにしかやっていなかった ぬるま湯主婦だった。それに………
岩谷さん(部長)は、教えに来ると「山田さん、早く出来るようになって、皆を見返してやりましょうよ」と言うのだが、それに「はい」と、答えると それがまた 他の新会社の人たちの反感を買う。
新会社の人たちも、覚えていない事も多く、職場でトラブると 私が代わりに怒られる役目を買って、なんとか役目を担ってた。
新会社のメンバーと、旧会社のメンバーの間のつなぎや、連絡係に、いち早く 実力や社交力でOさんが役割を果たすようになっていた。
その頃のOさんは、まだ 元気で 優しい人だった。
「私が、代わりに言っといてあげる」
怒鳴られて、気弱くなっている私に よく声を掛けてくれた。新会社のチーフなどにも臆せず意見を言った。
ある日、私は 洗浄をしていたとき、帰って来ない配膳車にヤキモキしていた。
その年の、7月は、やたらと暑く、患者さんの数が多かった。
特別食の「きざみ」「とろみ」等も、数が多い。
尊敬する大先輩のM坂さんと、Oさんと、介助さん(いつも配膳車を厨房までおろすのを手伝ってくれない?さん)の事をブーブー言っていた。
それで、調子に乗ってしまったのかも知れない。
配膳車を取りに行って、通り掛かりの介助さんに話しかけた(今となっては、なんで あんなことをしたのか……)
「すみません…、今、厨房大変なんで、配膳車、おろすの手伝ってくれませんか?」
厨房に戻って、洗浄を始めた。そして、考えていた。
あのときの、介助さんは 職員待機室の事務長らしき人に報告していた。何か、嫌な予感が。
厨房の内線が鳴った。
チーフが出て、何やら話し込んでいる。
チーフは、難しい顔をしている。
と、電話を切ると、チーフがこっちにやって来た。
私の嫌な予感はあたった。
「山田っ!!」
最初、チーフはことさら怒りを鎮めて、静かに諭そうとしていたのが分かった。しかし、暑さと、疲れ、忙しさから 段々自分でも 抑えきれなくなっていったらしい。
話の内容は、病院側は 厨房の顧客で 同じ会社でなく あくまでも「お得意様」である事。意見を述べたい時は 専門の窓口があること。今まで、配膳車をおろしてくれた介助さんは、ご厚意でやってくださっていたこと。これで、配膳車をおろしてくれなくなったり、仕事を打ち切りにされることもある、ということ。
「何てことしてくれたんだぁーーーーっ!!!」
私は、最敬礼をして謝った。
「すみませんでした!!!」
つづく
挿入歌 小松未歩「願い事ひとつだけ」