主人とは駆け落ち結婚⭐
「ノロケかっ!!?」
「最近多いぞ!えみこ!!💢⚡」
との、声が聞こえそうですが、かなり前に書くのを 人と約束していて 忙しさにかまけて 忘れていたので、書かずにはいられない!
でないと、嘘つきえみこになってしまう!💦
じつに、私にとって深刻なことなので(約束やぶりは)書かせていただきます🙏💦
主人との出会いは、とあるリハビリの場でした。
そこでは、折り紙を折ったり、音楽を聴いたり、簡単なことをしていましたが、私は主人を囲む女の子グループ(!)の近くにたまたま座り、誰か知り合いは出来ないものだろうか、とチャンスを伺っていました。
主人と、ショートヘアの活発そうな女の子が、ずっとジャレていたので「恋人さんですか?」と、声を掛けたところ 強く「いいえ!💢」の声が…………(・・;)お二人共そんな気は、まったく無く、女の子には別に恋人さんが居るそうでした。
それが、キッカケで 主人のグループに入ったのですが 帰り掛けに「マックに寄りませんか?」と、主人から声が掛かり 私は(真っ昼間だし、他の子も居るからいいか。マックなら安全だよな)と、追いてくことに。その後、金曜日のリハビリのあとは、皆でマックで「だべリングの会」を開くことになりました😊
主人の第一印象は「どこかの第一線の営業部長が、なにかの原因でコケてリハビリに来たもの」の様で、主人の私への第一印象は「地味な文系女子」だったそうです⭐
グループの中では、ふたりだけ「政治経済、歴史、言語学、芸術、文学」などの話ができたので 自然と二人で話すことが多くなり、
メルアドを交換すると、
リハビリ以外の時間でも、ベタベタとメール交換ばかりしていました。
「孤独」や、「寂しいこと」が、だいきらいな私は、
主人の存在が、「救世主」のように有り難く✨
べたべたと、だらだらと、続けていました。
お互い、30代後半の 遅かりし青春でした。
ある時、主人がなんだったかで2週間入院しました。
私は、毎日お見舞いに行き、
アイスクリームや、漫画など買って行きました。
「暇だねーーー」なんぞと、つぶやきながら、じゃれながら、
入院中も、メール交換をしていた訳ですが、
主人が、珍しく弱気になるもんで……
つい云ってしまいました。
「大丈夫。死んだら骨は拾ってやるよ」
それから、しばらく時間を置いて、
主人から、こんな返事が来ました。
「さっきの優しい言葉はほんとう?」
で、正式に付き合うことになりました。(私としては、いい魚を「釣り上げた」気分!)
主人は、物知りで 若い頃「六法全書」など読んでいて、しっかり者で、決断力があって、優しくて、そして何より 私を「寂しい気分」には、決してさせないだろうタイプの人間だったからです。(多くの男性が「釣った魚に餌はやらない」タイプであるのに反して)
お付き合いが始まりました✨
母は、快く思いませんでした。
主人は、快復してからも 弁当屋のパートから始めて 次は警備員。「会計士」や「税理士」を目指して勉強させていた私には不釣り合いだと思ったのでしょう(算数さえ苦手な私には無理なのに(ーー;))
母は、世の中によくいるタイプの人で、やはり学歴や高収入を好むタイプでした。
7年間くらい………
毎日、家に帰ってから、夜中の寝る寸前までメールのやり取りをし、
休みの日には、箱根にドライブに行く私達を
横目に見ていましたが、
「結婚」という言葉には、
よい反応は、出しませんでした。
そこで…………
どちらからとも無く 私たちは………
「ぷらん」を立てたのです⭐(キラン✨)
私は、その日から デートの度に、私の荷物を段ボールに詰めて、
少しずつ、……
少しずつ、……
主人の車に載せて、主人の実家へ運びました。
主人の御両親は、結婚へはとても良い返事をくださっていたので、
駆け落ち後は、主人の実家にお邪魔することになっていました。
そして、全部の荷物を運び終えて…………
駆け落ち成功!!!!⭐⭐⭐
最後に、夜になって家をこっそり出たあと、母にメールを送って、………
「ばかもん!」と、言う返事が来ましたが、
その2週間後には 何故か、こちらの実家からも許しが降りて⭐
晴れて結婚♥✨
主人も、私も、もう40半ばになっていました。
これが、主人と私の馴れ初めです( ꈍᴗꈍ)❤️
読んでて どんな感想を持たれるか分かりませんが、…
お愉しみ頂けましたでしょうか???
お粗末です
(miwaさん、お約束のものです♥💦)
★写真は、主人の手。忍耐線や、神秘十字線などがあります⭐
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