少年時代全身に斑点の残った兄
今日は、私の兄の誕生日だ。たまに身内の誕生日を祝って何かに想いを馳せるのもいいかもしれないと思った。
兄は、小学生一年の頃水疱瘡に罹り、それが重症化して死にかけた時があった。
元々、未熟児で生まれた兄は自身の免疫力が高くなく、水疱瘡に罹っただけでそれが重症化し、もう、脳までその疱瘡ができたら手の打ちようがない、死を待つのみだ、と入院先の病院で言われていた。
その兄は、病院にたまたま居合わせた水疱瘡から回復したばかりの男性から輸血することで一命を取り留めたのだった。
輸血する予定であった男性は病院に向かうまでに車の渋滞に引っ掛かり、予定から大幅に遅れていた。
兄の病状からして一刻も猶予がならないその時、病院内でその人が名乗り出て輸血は成功したのだったらしい。
兄は、見事に回復した。しかし、全身に水疱瘡の痕が残ってしまっていた。
しかし、それについて兄から愚痴も不平も一度たりとして私は聞いたことがなかった。
当然、その直後に引っ越した引越し先では、兄には何も知らない級友たちがいじめてくる。近所の子も。しかし兄からは、母を責めるでも、自身を憐れむでも、そういった暗い、後ろ向きな発言は一度たりとも聞いた事がなかった。
私ともう一人妹がいるが、その兄の根性をみて、私たち姉妹はちょっとやそっとの事で不平を言うのは「ちょっと違う」と思って育ってきた。
兄は、登校の途中でもいじめられる。揶揄われる。ストレスの溜まったその状態で授業を受けるが、入院の時5ヶ月も休学していたのもあってなかなか授業には追いつけない。けれど、理系の大学に進学したが、そこで友達を沢山作って大学は中途退学している。
いつもきちんと決められたことはする。義務は果たす。その上で、ちゃんと世の中の常識的なことは親に習う前より自分で学んできた。私はいつも「兄を見習え」と言われていた。
青年になってやっと兄の身体の斑点は目立たなく、もしくは消えていった。身体の組織が伸びたため、水疱瘡の痕はほとんどが身体から消えていった。兄は、元々の美青年へと変貌していった。
25歳年下の幼い従姉妹が照れて隠れるほどだった。
私たち姉妹が兄に「サングラスが似合う」というと、気に入ってよく掛けるようになった。オートバイや車に乗ってサングラス姿で登場すると、あの「石原軍団」の人たちのようだった。あまりに様になっているので、私たちは、辟易するほど。
その後、兄は、コンピューター技師、トレーラーの運搬士を経て、タクシーの運転手になるが、お嫁さんの方はなかなか良縁を得なかった。
私が、家を飛び出して結婚してしまったのだが、兄はたった一人で、その後痴呆が始まりかけた両親の面倒を見ていたという。
妹は、内科的な病気で家に篭りっきりだった。
私に、一言の助けの要請もなかった。気がついた時には、母は入院し、父も呆けてしまっていた。兄一人で家事も仕事も両親の病院の手続きも頑張り続ける。
それでも、私に恨み言一つ言ったことがない。兄は、私も大変だろうと思っていたのか一人で頑張っていた。
「水くさい」と、私はLINEでやっと言い、今は少しずつ協力しているのだが。
どんな時にも、冷静にクリアな判断をして私にアドバイスをくれる兄。
今日は、兄の誕生日だ。
何事も不平も愚痴も言わね兄。
少しでも、これからの人生報われてほしい。