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「明日」を迎えるということ
現実逃避したくなるようなニュースが、
生きていると、時々入ってきます。
親族ではないのに、特にファンだったわけでもないのに、今回の芸能人の方のニュースは、とてもとても大きな喪失感を私に与えました。
そして、日に日に大きくなっています。
25才で母が亡くなり
27才で離婚をして、
その後も何度か、、辛い別れも経験して、
今までに3度、身体にメスを入れる手術をして、47才で父と姉を失い…
今は実家もないので、帰る場所もなく、
ただただ、自由に、自分のやりたい事をして、行きたい場所に行って、生きています。
そんな中で、今まで、生と死について深く考えた事もありますが、
「どうして生きているのか」
を自分に問いかけた時に、
「死ぬ理由が生きる惰性に勝らないから」と、漠然と思った事がありました。
辛い場面で自分を守るための現実逃避も手抜きも、どんどん上手くなっている気がします。
でも、
人生100年の折り返しを過ぎて、
「この先何年生きるんだろう?」の、「この先」の行き止まり地点が、感覚的に実感出来る年齢になって来ました。
そして今回、考えました。
仮に、平均年齢まで生きるとして、
あと30年。
30年残されているとして、
彼が生きて残した30年分の努力を自分ができるだろうか?
それを考え、彼が残してきた作品や言動を見ていくと、
ただただ頭が下がります。
考えても検索しても詮索しても、多分一生正しい答えは本人以外知らなくて、
きっとそれでいいのだと思います。
計り得ない分かり得ない理由は、探す必要はないのだと思います。
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今年、コロナで志村けんさんが亡くなった時に、志村さんのファンだった友人から、
「アタシの中では、一旦死んだけど、まだ生きてることにした😊」
というメールが来ました。
今は、そっくりそのままこの言葉をパクらせてもらい、
この先も、自分が出来る事を毎日少しずつして、
受け入れ難い現実の一番辛い時間はこの言葉と現実逃避で超えていきたいと思います。
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「死とは、明日がないこと」
アメリカの社会哲学者、エリック・ホッファーの言葉ですが、
・当たり前にやって来ると疑わずに思っている明日。
・何気なくかわす「また明日」。
・誰かが「生きたい」と、強く望んでいた明日。
・誰かがもう、想像することもできなかった明日。
・誰かがいない明日。
・もう、誰かに会えない明日。
・でも、幸せな事があるかもしれない明日。
この先、自分が、自分の好きな人が、大切な人が、何日の「明日」を迎える事ができるのかわからないけれど、
今日よりももっと大切に過ごしたいと思える「明日」の存在を、改めて教えてくれた俳優さんでした。
不思議なことに、
彼の命がなくなった事で、私の中に彼の存在が生まれて、この先彼の作品を観続けるような気がします。
未来に生まれる作品がない事は悲しいですが、
永六輔さんの言葉、「人間は2度死ぬ」
人の2つ目の死は、みんなの記憶から消えた時。
忘れないだけではなく、時々思い出して、何かを少し頑張れたらいいなと思います。
4日前に見た、大きな大きな「薄明光線(天使の梯子)」
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2週間ほどnoteをお休みしていました。
特に理由があるわけではなく、
何となく。
「毎日note」は100日くらい目指して優等生になろうと思ったんですが、笑
まぁ…、劣等生でも中退でもいいかな。
でも、ここでの出会いに感謝して、劣等生のまま時々…顔を出したいと思います!
自分に合った方法や間隔で、この先も長めの独り言を呟いていきたいと思います。
いつも読んでくださる方も、たまたま目にした方も、
改めて、どうぞよろしくです。