3. 決行された誘拐。実行犯はまさかの実父。
3. 決行された誘拐。実行犯はまさかの実父。
11年前―「買い物から帰ってきた後」が生後3か月の長女と2歳の長男との交流が最後に…「愛する我が子を奪われるとどうなるのか―」実子誘拐で最愛の我が子と引き裂かれた母の告発
2013年(平成25年)8月10日、「仕事で忙しい」と週に一度程度しか帰宅していなかった相手方がいきなり帰宅したのは昼下がりであった。もちろん当日帰宅の連絡もない。帰宅に際して相手方に声をかけたのだが相手方からは一切の返答もなく不機嫌そうに2階にあった自室へこもり一切の会話もしていない(この時点で相手方がすでに誘拐を決行しようとしていたことが推測される)。当時、相手方は自身も認めているように「一人になる時間が欲しかった」と池袋に不動産物件を借りていると言う事を述べていた。この事についてワンオペでの育児に没頭していた私から特に追及するような事が当時はなかったが今思えば既に何らかの準備をしていた事が窺えるものである。
上述した2013年8月10日、めったに帰宅しない相手方が帰宅し私が「おかえり」と話しかけても不機嫌そうに無言で2階へ向かった相手方に憤りを感じ(相手方のシナリオ通り)、キレイ好きであった相手方が嫌忌する事を承知で履物を汚損した。汚損と言っても家にあった広告チラシを燃やしてその灰を履物である靴に入れただけの事である。もちろん相手方が嫌がる事を理解した上でそのような事を行う事は「良い事ではない」という考えも出来るであろう。後に相手方は私が履物を汚損した事について「家に放火して自身と子どもを焼き殺そうとした」と捻じ曲げた主張を家庭裁判所で展開してくる。
履物を汚損した後、自分の部屋に鍵をかけて閉じこもる相手方に対し母乳後に寝ていた生後3か月の娘の面倒をドア越しにお願いする。少し外出して気持ちを切り替えたかったからだ。私は当時2歳の長男を連れて2人で近隣の商業施設に出かけている。出かけるといっても、せいぜい小一時間程度でありすぐに長男と帰宅している。その時刻は夏場の日照時刻であった。相手方が誘拐してから約10年後に、なぜか裁判で突然主張したような夜であったりましてや深夜と言えるような時刻ではない。相手方がめったに帰宅しないゆえに日常的な外出に際しても生まれたばかりの長女と2歳の長男2名を連れて出なければならず、この日は相手方が帰宅したことで長女を家に残しての外出が出来たのである。相手方がコロコロと主張を変遷させる前の当初は、私が自宅に戻ったのが40分後と主張していたのであるがその通りで概ねこの程度の時間を外出していたのである。
その日の事というかわずか40分程度外出している間に長男と帰宅してみれば自宅前に警察車両(いわゆるパトカー)が複数台止められているという事に当然驚く。当たり前だが相手方の立場としても知らないうちに妻子が出かけて姿が見えなかったとしても極めて常識的に考えればさほどの時間が経過していない中でいきなり警察に連絡しなければならない程の緊急性を感じたとは考え難い。しかも電気通信がまだ発明されていない時代であれば外出している相手に連絡を取る手段というのは絶無であったろうが発展途上国でもない限り例え11年も前の事であったとしても既に携帯電話の普及率は事実上100%でありデファクトスタンダードとなっていたはずである。もちろん相手方の故郷である岩手県の山間部などに於いてはこの現代に至るまで電波の空白エリアがあるにせよ当時居住していた東京都内であれば郊外とされる市部に於いても電波が届かないという事は考えられない。そしてその時に私自身と相手方双方も携帯電話を保有していたのであるからいきなり警察を呼ぶ必要もない。
斯様な矛盾点はこれまでの審判や裁判で何度も指摘しているのであるが相手方による明らかな数々の虚偽の主張についてこの国の司法ではなんら顧みられることがなかった。だからこそ私は事実をもって(真実という言葉を用いると木村ウソツキ真実を想起させ吐き気をもよおすので事実という表現をする)その異常性を何度でも訴え続けるつもりである。