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夫婦間の葛藤も共同養育の「種」になりうると考えることの大切さ

こんにちは。
共同養育コンサルタントとしてりむすびdiaryに書かせていただく初めてのnoteとなります。

同居親当事者でもある私ですが、共同養育実践に向けたサポートをさせていただくなかでは、本当にたくさんのことを感じ、日々あらためて考えさせられています。

「共同養育」とは、りむすびにおいては「離婚後も両親が子育てに関わること」とシンプルなものですが、捉え方はさまざまなのではないでしょうか。

noteでは、お子さんと暮らす同居親さんによる共同養育についての発信もあり、ほかの媒体ではなかなかお目にかかれないこともあって、時にウンウンと頷きながら興味深く読ませていただいています。

それぞれが置かれている状況によって共同養育という言葉のイメージから、期待や不安など、抱く感情も異なることと思います。
離れて暮らす別居親は積極的でも、子どもと暮らす同居親は消極的、といったように、捉え方が真っ向から違うということもありますよね。

実を言うと私自身は、別居離婚に際し、離れて暮らす父親と子どもの関わりについてどうすればよいのか悩んでいた当時には「共同養育」という言葉を身近には捉えられていませんでした。

「別れた後も手に手を携え仲良く子育てをする」との崇高なイメージが先立ち、ハードルが高く「別れるというところまでに至ってしまった関係でそれは現実には困難」と感じていました。どこか遠いところの話、という感覚だったんですよね。

共同養育は二人の親によるもの、となれば、元パートナーが積極的でなければ、あるいは協調的でなければ、つまり同じ温度でなければ実践は難しい、と感じてしまうこともあるのではないかと思います。
自分の考えに理解を示さないお相手に失望してしまったり。

そんな関係では、本当に希望はないのでしょうか。

今になり当時の自分を振り返り、また支援をさせていただくなかで思うことがあります。

積極的になれない同居親は
“元夫(元妻)とできれば関わりたくない…
子どもと会わせるべきということは頭ではわかっているが前向きになれない…“
などと苦悩する。

協調的になれない別居親は
“元妻(元夫)をどうしても許せない…
争うよりも歩み寄りが大切であることは頭ではわかっているが理不尽だという気持ちが抑えられない”
といった葛藤を抱く。

「頭ではわかっているけれど」苦悩や葛藤を抜けられずにいる状況も共同養育の「種」と考えることの大切さです。

後ろ向きな感情を否定されたり、こうあるべきとの正論をぶつけられていたら、その種が芽を出すことは難しくなってくるかもしれません。
葛藤や不安が受け止められる柔らかな土壌と、穏やかな地表の日差しが、その考えに芽を出させ、やがて共同養育の実践に向かえるよう促すことがあります。

何に苦しんでいるのかを受け止め、少しでも安心できるようにとのあたたかな支えが、後ろ向きな感情を穏やかにすることもあるのですよね。
そうして、相手へのネガティブな感情よりもお子さんに目を向けることができるようになり、前向きな意見に耳を貸したりすることがやっとできるようになることも。

ご本人が自らの力でお相手に対してそのように考え行動できればよいけれど、それが難しい段階は確かにあります。
まずは第三者がサポートすることで少しでも安心して共同養育の芽を育めるようになれたら。
そのイメージを大切にこれからもサポートさせていきたいと感じています。



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