とある流産の記録(術後の経過編)
手術からもうすぐ2週間経つ。
体調面及びメンタル面の経過について記す。
できるだけ正確に記録しておきたいので、生々しい表現もあるかもしれません、ご注意ください。
手術直後はまったく出血がなく、拍子抜けしたのだけど2日ほど経った頃から少しずつ血が出るようになった。
始めは生理のようにおりものに血が混ざり、段々と鮮血になり量が増えて、黒っぽい色に変わってきた。
血が止まったのはここ数日のこと、術後10日ほど経った頃。
腹痛も出血が始まった頃から始まり、生理痛のような、重だるい下腹部の痛みがあった。腹痛は5日ほどでおさまった。
血が出るのも腹痛があるのも症状としては生理と同じだし、耐え難いほど強いものかと言われればそうではないのだが、とにかくそれらを感じるたびに流産してしまったのだという事実と直面しなければならず、早く元の状態に戻りたいのにまだ体が追いついていないことを思い知らされ、そういった精神面の方が辛かった。
手術をするとやっぱり心では一旦すっきりするところがあって、このまま順調に立ち直れそうだなと錯覚するのだけど、ふとした折、たとえば朝起きたとき、仕事がひと段落したとき、寝る前のちょっとしたときなどに気が緩むと涙が止まらなくなった。
赤ちゃんがいなくなってしまったさみしさ、どうして私が流産してしまったのだろうという失望、順調に生まれた他の不特定多数の人たちへの羨み、ちゃんと育ててあげられなかった申し訳なさ、そしてこれからまた妊娠すること(妊娠できるかわからないことも含めた)恐怖、それらが波のように押し寄せて、終わることのない悪夢を見ているかのようだった。
思えば妊娠の経過が良くないと気づいてから今日まで1ヶ月以上、ほぼ毎日泣き続けていて、涙っていくら泣いても枯れることはないのだと他人事のように妙に感心したりしていた。
仕事は手術から5日後に復帰した。
体力的にはなんの問題もなかった。簡単でありふれた手術だし、土日を挟んでいなければもっと早く復帰できていた。
部のメンバーには手術をしたことは報告をしたけど、何の手術をしたかは誰にも言わなかった。
朝から泣き腫らした目を眼鏡で隠して、何事もなかったように仕事をした。
事情を知らないのにみんな体調を気遣ってくださってとても有難かったけど、本当は心の方がぼろぼろだったし、でもそれを見せないようにするのが大変だった。
タイミングが悪く、流産が確定してから3週間の間に友人から2人も出産の報告を受けた。
30歳という年ごろなのだから、それは珍しくないことかもしれない。
それでも、おめでとうのメッセージに応えるように赤ちゃんの画像が溢れるグループLINEを受け止めることは、とてもできるような状態ではなかった。
おめでとう、ゆっくり休んでね、落ち着いたら会いに行くねってメッセージを送ることで精一杯だった。
コロナで、本当に会いに行く機会がなかったことに心から感謝した。
術後、ちょうど1週間で経過観察で病院に行った。病院に行く道すがら、この電車に乗るたびに不安で押しつぶされそうだったこと、それでもお母さんとして、強くいなくてはいけないと自分を奮い立たせていたこと、けれどもうその必要がもうなくなってしまったと思い知り、悲しくてたまらなくなった。あ、わたしこれからこの道を通るたびにこの気持ちになるんだなって、なんだか心に染みができたような気分になった。
病院で内診をした。
頭の中からこびりついて離れない、「うーん...育っていませんね...心拍も見えなくなっていますね...」という先生の声を聞いた内診台に乗るだけで、あの時と同じような絶望を感じ、全身の血が冷たくなるような感覚になった。
赤ちゃんはすっかり綺麗にいなくなっていた。
その日から入浴ができるようになった。
ここ最近冷え込みが酷く、湯舟に浸かれないのは辛かった。入浴ができないことはメンタル面にもかなり影響を与えた。弱っている時の寒さは心の中にも鋭く差し込んでくる。
運動も、この日から許可が出たので軽い筋トレから再開した。
もう向こう数年はジムに行けないのだと、自分の人生をこの子に捧げるのだと覚悟を決めていたのに、なぜゆっくりと筋トレができているのだろうと考えてしまうと、あんなにしたくてたまらなかったはずなのにとても悲しくなった。
仕事や家事や趣味に打ち込むようにして前を向こうと努力をしたけれど、前を向くには悲しい記憶を考えないようにしなくてはならず、それはあの子のことを忘れてしまうことと繋がっていて、罪悪感を感じた。
忘れたいけど忘れたくなくて、あの子を想うときに悲しい感情になりたくなくて、お花を買って家に飾ることにした。お花が目に入るたびに、あの子を想い出せるようにしたかった。
面倒くさがりでお花なんて育てたことなかったけれど、毎朝お水を換えることが、何もしてあげられなかったあの子のために使う時間になればいいと思った。そんなの気休めにしかならないけれど。
手術からもうすぐ2週間経つ。
きっと表面上ではもう立ち直れているのだと思う。表立っては泣かなくなったことで、夫からも立ち直ったのだと思われている。もう誰からも何かあったなんて気づかれないくらい普通に生活できている。
前に進まなくては生きていけないので、そういう風に振る舞わなければ死んでしまうので、そうしているだけであって
わたしの傷ついた心はきっとこの先癒えることはなく、何かにつけて痛み苦しむのだと知っている。
これから先ずっとこの重さを背負って生きていかなくてはいけないのだと、その重さに今も押しつぶされそうになっている。
手術をして綺麗に取り除いても、妊娠前の何もなかった状態には戻れない。同じ体だけど、絶対に違う。
流産はたしかによくあることかもしれない。15〜20%という高いんだか低いんだかよくわからない確率で日々起こる自然現象かもしれない。
みんな大きな声では言わないだけで、人知れず抱えている痛みかもしれない。
それはきっと流産だけでなく、生きていれば起こる様々な悲劇もそうで、わたしだけがつらいなんてことは絶対にない。
ないけど、それでも、その事実は痛みを和らげるものではなく、苦しみの中では何の意味ももたない。
今わたしにできる唯一のことは、「立ち直る」ことではなく「今後痛みとともに生きていく」ということを「受け入れる」ことしかないのだ。
この記録はもう少しカジュアルに書こうと思ったのだけど、やはり精神面を客観的に見ようとすると暗い沼の底を覗くことになってしまう。暗くなってしまってごめんなさい。
でもこれが今の正直な気持ちです。
少し時間が経ったらまた変わるかもしれないね。
次は絨毛染色体検査の結果を聞きに病院に行くので、またその時経過を書こうと思います。