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自分が発達障がいだと知った日
私は発達障がい(アスペルガー症候群)で、出来ない事、出来る事が両極端だ。ちなみに出来なくは無いが苦手なこともある。まぁ、なんというか複雑なのだ。
例をあげれば、国語のテストを満点で取れても数学のテストは1点を取るという奇跡的な数字を更新した。おそらくこれは「名前を書いた努力は認める」という数学の先生の優しさなのだと思う。
そんな優しい大人と私を嫌いな同級生の狭間ですくすくと育った私は大人になって初めて精神科に入院した。そこでテストを受け、発達障がいですね~と母が告げられたそうだ。
え、何故わたしに直接言わない?と思うのだが、これもきっと自分を思い詰めないようにする配慮なのだと今は思う。
退院して数日、「ゆうりちゃんさ、光とともに…っていう本を読んで共通点とかなかった?」と母とのドライブ中に聞かれたことがある。その時は「分からない」と答えたと思う。あまり覚えてない。「そっか」そう言う母はまっすぐに前を見据えて「ゆうりちゃんね、発達障がいなんだって」と言った。淡々と、静かに。その時の母の顔は見ていない。
それに対する私の答えは今でも思い出せる「そっかぁ」それだけ。
補足だが「光とともに…」というのは自閉症の少年が家族や幼なじみ達と様々な困難を乗り越える、のほほんとした、それでいて「現実」を突きつけられる。優しいことだけではない、もちろん自閉症以外の悩みを持つ子も登場する私のバイブルだ。
話を戻すと私は心底ホッとしていた。今まであった集団生活での疎外感、苦しさ、悔しさ、辛さ…すべてが許されたような「貴方のせいじゃないよ」と見えない何かが私を優しく撫でてくれたような気がした。それは母の言葉だったのかもしれないし、過去を頑張ってきた自分自身だったのかもしれない。
それでも発達障がい、というのは目に見えて分かるものでは無い。普通の空気読めない苦手なことが多い人、それって甘えだよ。そういう見方をする人が少なからずいるかもしれない。でも私はそういう人を否定したくない。きっとその人だって頑張ってきた中で障がいがあっても無くてもそういう人を見てきたのだろう。
でも私は「発達障がいだからこれが出来ません」という気持ちでいたくない。可哀想でいたくないのかもしれない。でも勿論、出来ないこともある。他人に私なりに努力をしている、これを見てもらうことが第1歩だと思う。
長々と書いたけれど一番言いたいことは
「なんで出来ないの?」「なんで私だけ?」「きっと私が悪いんだ」と、自責に駆られていた私が障がいに救われた
ただ、それだけの話である。