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テイラー最愛のサイドプロジェクト、Chevy Metalが息子シェーンを迎えて再始動

■テイラーのサイドプロジェクトとは?

テイラーはフーファイ以外に数多くのサイドプロジェクトを持っていました。
まずは自身の名前をつけたTaylor HawkinsTaylor Hawkins and the Coattail Riders(2度来日もしています!)The Birds of Satan、デイヴ・ナヴァロとのバンドであるNHC、マット・キャメロンとのユニットNighttime Boogie Association、そしてテイラーが一番長く、たくさんのライヴをやっていたのがカヴァーバンドであるChevy Metalでした。完全なライヴバンドで、デイヴを始めフーファイの誰かしらが必ず参加することでもお馴染みだったのでご存じの方も多いはず。テイラーはこのChevyでのライヴを誰よりも楽しんでいました。
どれもテイラーがいなくなってからは続かないだろう…と思っていた矢先の去年春、突如Chevy Metalのライヴ告知があがってびっくり。唯一その座に座れる人物も分かっていましたが、まさかこんなにも早く実現するとは思っていませんでした。そして、ライヴ当日、ドラムに座ったのはテイラーの息子であるシェーン・ホーキンス。当時まだ15歳でした。
シェーンといえば、テイラーのトリビュート・コンサートでのこちらを思い出す人が多いはず。

SNSでも大きな話題になったこの日いちばんの衝撃は忘れられないと思います。
「息子がドラムをやっているんだ」と、いつも嬉しそうにパパの顔で話していたテイラー。それでもこのトリビュート・コンサートのときはまだ14歳、学校の延長でのバンド活動しかしていない程度の彼が、超満員のウェンブリー・スタジアムのステージで見事に叩き切ったのです。
あまりにも大きな存在を失ったメンバーと、私たちファンの光であり希望になってくれたシェーン。このときを機に彼は覚醒したようにドラムに熱心に取り組んでいたようです。ときにはテイラーの自宅スタジオで、父親のドラムを打ち込む姿をインスタに上げていたりもしました。

そんなシェーンがついに、正式にChevy Metalのドラムとしてメンバー加入。そして人生初のツアーが今月始まりました。それに先駆けてメンバーへのインタビューが掲載されたので、ざっくり訳しました。Chevyとテイラーの歴史に、シェーン加入のいきさつ、父親テイラーからかけられた言葉も含めた濃い内容となっています。

テイラーが亡くなってから2年。フーファイのメンバー含め、未だに周辺の人たちがテイラーのことをメディアに語ることがほとんどないため、とても貴重な内容にもなっているかと思います。ぜひ読んでみてください。

□Shane Hawkins puts the pedal to the Chevy Metal

2018年、フー・ファイターズのドラマー、テイラー・ホーキンスは自身のサイドプロジェクト”Chevy Metal"のライヴをしていた。最中、彼は当時11歳の息子シェーンをステージ上に呼び出し「シェーン、おいで。これはいつか君のバンドになるんだ」テイラーはそう言った。

悲しいことに、2022年3月25日にテイラー・ホーキンスが急逝したため、その予言は遅かれ早かれ現実のものとなった。

Chevy Metalが今日Belly Up Aspenのステージに立つとき、現在16歳のシェーン・ホーキンスがドラムセットに座り、バンドメンバーのギターのブレント、ベースのワイリーとともにペダルをChevy Metalのために鳴らすことになる。

今日のBelly Up Aspenのショーは新生Chevy Metalを見ることができる貴重な機会になるだろう。バンドが再編成されてからは数回のライヴを行ったのみ。シェーンはまだ高校生なので、バンドはツアーをすることができなかったからだ。
今回の公演はコロラドとネバタを回る3公演のミニツアー(再結成後初となるツアー)でバンド創設メンバーのワイリーにとって、Chevy Metalが存在すること自体が奇跡だという。

「ウェンブリー・スタジアムでテイラーへのトリビュート公演に出たとき、皆にChevy Metalを続けるつもりなのかと聞かれたよ」ワイリーはLAの自宅でそう話した。
「テイラー無しで先に進むなんてできるわけがなかったからね。俺の中ではバンドは終わってた。でも、シェーンが私とブレント(ギター)のところにきて言ったんだ。”このバンドを続けたい。このバンドでドラムを叩きたいんだ”ってね。彼だけが唯一、一緒にやりたいと思える人物だよ。シェーンの存在が、俺たちが演奏を続けられる唯一の理由なんだ」

Chevy Metalはブラック・サバス、ローリング・ストーンズ、そしてクイーンなど70-80年代のバンドをカヴァーするパワーロックトリオだ。

「テイラーにとってChevy Metalはいつも楽しいものだったよ」とギターのブレントは話した。「俺たちはカヴァーをやっているから真摯に向き合っていたけど、単なるカヴァー・バンドのようにだけ演奏することは絶対になかったんだ。オリジナルにはないアレンジや、テンポを変えてみたり、少しジャムを入れたりね。俺らは少しのアレンジで自分たち流にしているんだ。それはいつもテイラーがやりたがっていた方法で、それがより曲を面白く楽しいものにできるんだよ」
「あと、俺たちは演奏するバンドのマニアックな曲もやるんだ」とワイリーが付け加えた。「例えば、ツェッペリンの『ロックンロール』をやるんじゃなくて『カスタード・パイ』をやったりね」

Chevy Metalのルーツは2000年に遡る。ベースのワイリーと当時のギタリストだったダンジとアコースティックスタイルから始め、後にバンド体制になるのを機にドラマーを探していた。ダンジはテイラーと幼馴染で、すでにフー・ファイターズに加入していたが、ドラマーを探している間にテイラーが代理で叩くようになった。
「2002年くらいまでテイラーと続けて、すごくいい音になってきたんだ」とワイリーは思い出しながら話した。
「当時デイヴ(・グロール)がクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジとツアーをやっていて、テイラーの時間もあったし、他のドラマーのオーディションもしたけど、テイラーが頭一つ飛び抜けていてさ。テイラーからも”あーわかったよ!俺がドラマーになってやる!”って言ってくれたよ」とワイリーは言った。

2002年から2011年まで、Chevy Metalはフー・ファイターズがアメリカ最大のバンドになりつつあったこともあり、非公式に小規模なライヴを行った。
「300人規模のライヴでも600人は集客できてしまうし、いつもスペシャルゲストが来る状態だったからね」

2011年にダンジが脱退し、代わりにフー・ファイターズのギタリストであるクリス・シフレットが加入。同時にChevy Metalはツアーやフェスティバルへの参加を始めた。スケジュールの理由でクリスが脱退してから、2013年にはミック・マーフィーが新ギタリストとして唯一のアルバム『ザ・バーズ・オブ・サタン』をリリースした。その後、2015年からは現ギタリストのブレントとなり、テイラーが亡くなるまで現ラインナップとなった。

「テイラーはこのバンドで演奏するのが大好きだったんだ」とワイリーは話す。「一度、彼が俺を見ながら”俺らにはいつもChevy Metalがある"って言ってたのを思い出すよ」

シェーン・ホーキンスがまだ幼かった頃でさえ、ワイリーはその才能の片鱗に気づいていました。
「シェーンが本当に小さかったころを思い出すよ。彼はドラムキットに座ってシンバルを叩き始めたんだけど、最初はただふざけていただけだったんだ。すると、テイラーが『ほら、ちゃんとやってみろ』って言ったら、ふざけるのをやめて叩き始めたんだ。ちゃんと4つ打ちでね。まだ本当に小さかったからドラムキットから彼が殆ど見えないくらいだったんだよ」

「あのウェンブリーでの演奏を思い浮かべてもらえるとわかると思うけど、あのステージに彼がどれほど恐れを知らずに立っていたかを見ていて『ああ、彼は本当にドラマーになるかもしれない』と思ったんだ。彼はクレイジーなエネルギーを持っているからね」

ブレントもまた、彼に無限の可能性があると感じている。
「シェーンはまだ16歳になったばかりなんだ」と話して「彼は十分に才能があって、責任感もあり、情熱も持っている。これは彼にとって素晴らしい経験だよ。彼は父親と同じように革新を続けている。それがすごさなんだ。強制されているわけでもなく、ごく自然にね」

シェーン自身にとって、Chevy Metalで演奏することは必然な流れだった。

「僕はChevy Metalを見て育ち、それを経験できてるんだ」とシェーンは語った。「こんなバンドは他にはないよ。僕はこのバンドのヴァイブを捉えていきたい。それが続ける理由なんだ」
「このバンドで演奏しているときは、とてもエキサイティングで、自然で、生々しいんだ。僕は自分の感情をすべて注ぎ込んでる。すべての曲でそれをやるのは不可能かもしれないけど、できる限りすべてを注ぎ込むようにしてるよ」

父親であるテイラーがドラムに関して何を教えてくれたか尋ねると、シェーンはこんなふうに話してくれた。「父さんはよく僕に『技術的に完璧である必要はないよ。ただ、”それ”があればいいんだ』と言っていました。僕に”それ”があると言ってたんだ。彼は僕にとても自信を持ってくれた。父さんは最高の父親で、最高のドラマーだよ」


■あとがき

テイラーの言う”それ”はきっと、ドラムを叩くことが好きで、音楽を愛している気持ちもひとつあるのかなと、彼自身をずっと見てきてそんなふうに思っていたりします。

このときのツアーをインスタ配信で見ていましたが、ウェンブリーや去年の単発のライヴとは比べ物にならないほど大成長したシェーンの姿に胸が一杯になりました。ステージに立つ姿も立派で、演奏も抜群のセンスを発揮。彼は彼らしいドラミングをするようになってきましたが、ドラムソロはアレンジが父親とよく似ていて、テイラーの姿がダブって見えて涙が出てきました。きっとステージに立つほどにまだまだドラマーとして開花すると確信できるパフォーマンスでした。
インタビューの冒頭でテイラーがシェーンに言った「このバンドはお前のものになる」という言葉通り、彼はものすごく自然にChevy Metalのメンバーとしてステージに立っています。父の影は彼とともに良かれ悪かれずっとあるものですが、シェーン本人のドラムへの情熱がいつかそれを越えていくんじゃないかな…。
これからもChevy Metalでの活動と彼の成長を見守っていきたいなと思っています。

最後にChevy Metalの親子動画をご紹介!
父親・テイラーバージョン。

こちらが、16歳の息子シェーン、バージョン!

そして、テイラーとシェーンが唯一共演したNHCでのライヴがこちら。


がんばれシェーン!
いつか日本でのライヴをやってくれるのを待ってるからね!