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昔のチャットを思い出していました
Twitterでつぶやきかけて、長くなりそうなので、こちらに移動してきました。私が運営している「おーぷんざはーと」を知らない人には、ちんぷんかんぷんな内容かもしれませんが、お許しを。
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なんでも試してみたい性分で、LINEのオープンチャットにおーぷんざはーとのチャットを作ってから、上手な使い方がわからなくて、私自身は足が遠のいていたチャット。たどり着いた人が自由に使ってくれたらなあと思って削除もせずに置いておいたチャット。
そんなチャットに、夜中に眠れなくて、ふらっと「こんばんわ」と書き込んでみました。
「起きてます」という言葉を返してくれた人がいて、たわいもない会話を。そして「おやすみなさい」。
その夜、ぐっすり眠って目覚めたあと、ネットを始めた頃のチャットを思い出していました。
ネットを始めたばかりの頃はTwitterもFacebookもありません。ブログなんてものもありません。
ホームページも特別な存在で、個人のホームページなんて殆どなかった時代。
ネットをさまよっているうちに、1991年から活動していた「おーぷんざはーと」のホームページを作りたくなって、HTMLという言語を独学で学び、せっせと作った1995年。
あんな便利なチャットもありません。
いろんなサイトを放浪して(ネットサーフィンという言葉が生まれた時代です)、見様見真似で自分のページに取り込んでいく。
チャットや掲示板といったホームページに設置するCGIプログラムを開発している方がいて、無料でそれを公開されておられました(多分、今はIT長者?!)
それを使わせていただきながら、自分流にするために、これまたCGIというものを独学で学び、自分のホームページにチャットや掲示板を設置。
誰か来ないかなとひっそりと待つ。気長に待つ。そんな時代です。
アクセスカウンターは、どうだ、これだけ人が来たよと誇示するものではなく、自分の作ったサイトを何人の人が見てくれたんだ、と知るためのものでした。ネット人口も本当に限られていましたし。
当時の “ピ~ヒョロヒョロ” という音で始まるネット接続は課金制。電話代にビクビクしながら接続してホームページを改造作業をしたり、ネットサーフィンをして他のサイトを見て回ったりな、そんな時代。
夜の10時から翌朝の7時まで、だったでしょうか、テレホーダイというサービスが始まり、どれだけつないでも課金されない時間帯ができました。それからは、ずっと夜中がネットタイム。私の夜型体質ができたのは、間違いなくテレホーダイのせいです(笑)
でも、何もかもが初めてのことでとても楽しかった。
ホームページの作成ソフト(HTMLを自動で書き込んでくれるものからのスタート)ができるまで、ホームページをつくってくれませんか?という声がかかるようになり、専業主婦が夜中にホームページづくりの内職を始めたのもあの頃。
私が離婚に揺れていた頃でもありました。
三人年子の子持ちのなんの取り柄もない専業主婦。
あの頃はモラハラという言葉もなくて、DV法さえまだありませんでした。
毎日気持ちがわけのわからない思いでモヤモヤしていた時代です。
そんな中、子どもたちが寝ている夜中に、おーぷんざはーとのホームページを運営する。
その頃は、しばらくネットだけの活動になっていましたので、それは私の世界を持つ唯一の時間でした。
それが私の心を守っていたんだなあと今ならよくわかります。
家の中だけが自分の世界だった私が、早くその時間を持ちたくて、旦那に(今の言葉を使って言えば)モラハラされても、はいはい、早く寝てくれませんかね、と傷つかなくなったのもあの頃から。
そしてチャットです。
「こんばんわ、誰かいますか?」の声掛け(書き込み)に、「いますよ~」で始まる深夜のおしゃべりタイム。
他愛もないおしゃべりや、やってみたいこと、時にはその時の社会的な出来事の話。そんな深夜のチャット。年齢も性別もバラバラです。
立命館大学から、宇宙に関わる仕事をしたいんだと、東京大学の大学院に行ったスタートレック好きの彼は、今頃、もしかしたら、宇宙のお仕事に関わっているかもしれません。
そういえばCGIを無料で配布していたサイトの管理人さんは、今ではテレビでお顔も出されていたりして、やはりIT長者。ネットのスタートの時代にいれたこと、今思えばすごいことだなあと思ってみたり。
でも、何よりも、深夜のチャットタイム。
ゆるーりとおしゃべりする時間。
一日の、なんとなく沈んでいた心を浄化してくれたものです。
そんな昔のチャットを、先日のLINEチャットでのやりとりが思い出させてくれました。
おーぷんざはーとも、私がモラハラの本を書いたことで、被害者の方がたくさん訪れてくださいます。
もしかすると、チャットには、モラハラについて知りたくて訪れられるのかもしれない。
Twitterにも感じることですが、モラハラの本の著者として、モラハラについての書き込みを求めてフォローしてくださっているのかもしれない。
モラハラについて、ちゃんと提供しなければいけないのではないか?
でも、Twitterを見渡せば、もう、モラハラの加害者はこんな人、モラハラって本当にひどい!と書き連ねて “くださっている” モラハラカウンセラーと称する人がたくさんいます。
私なんかよりもフォロワー数も多い。
でも、とても迷っていました。求められるものに応えないと私もだめなんじゃないかと。
そんなときの夜中のLINEチャットでした。
ああ、私は、こんな時間に救われたんだったと、30代専業主婦、離婚に揺れたあの頃の自分を思い出させてくれました。
求められているものとは違うのかもしれないけれど、モラハラの被害者の人にとって、あの頃の私にとって、自分の世界を思い出させてくれる時間。楽しいものを思い出させてくれる時間が一番大切だったよなと。
情報チャットは他の人に委ねましょう。
時々、「これって、私の本やかつて私が書いたことをそのまま書いているだけじゃない、自分の言葉みたいに語っちゃってさ、プンプン!」なんて狭い心で見てしまうモラハラカウンセラーさんのTwitterもあったりしますが、そういう方に、「モラオはひどい!」は委ねましょう。
おーぷんざはーとは、傷ついた心に必要なものをゆるーりと提供できる場所でいればいいじゃないと。
昔、2LDKの事務所を借りていて、そこでクライアントさん同士のお茶会を一度だけしたことがあります。
そこでも、モラハラの愚痴を話し合うのではなく、和気あいあいとおしゃべりする時間を持ったことを思い出します。こんなことがしたい、あんなことができるようになりたい。
「今でも、あのときの人と仲良しなんですよ」という言葉を届けられたとき、ああ、たった一度だったけれど、開いてよかったななんて思うとともに、そういえば私も、かつてのチャットの仲間の幾人かとは、今でも仲良しで、色々励ましてもらったりしながら、今に至ったのだよなあと。
おはようございます。
行ってきます。
こんばんわ。
今日も一日お疲れ様。
おやすみなさい。
そんな、他愛もない会話ができる(時々愚痴(笑))
そんな場所の大切さを知っている、そして私自身も求めている。
そんなチャットでいいじゃない。
“語らなければ” ではなく、自然体で出てくる呟きに自然にモラハラの問題も含まれている、そんなTwitterでいいじゃない。
モラハラ問題を求めて来られた人には物足りなくて、がっかりさせてしまうのかもしれません。
でも、それでいいのかもしれないな、とやっと思わせてくれた夜でした。
年子の三人の子持ちの専業主婦が、何年もかけて迷った末に、えいやっ!と三人の子持ちの母子家庭になってがむしゃらに突き進んできたけれど、思えば、あの頃の、モラハラなんて言葉も知らない、でも、いつもひとりじゃないって思わせてくれたあの時間が、私を被害者の加害者化、モラハラという経験への執着から解き放ってくれたんだなあと思ったりしています。
執着が解き放たれていなければ、私が書いた本は、まったく違う内容になっていたかもしれません(笑)
いえ、私はきっと自分のモラハラの経験の記憶の時間に飲み込まれて、この仕事を続けていなかったでしょう。
あ、一つだけ後悔していることがあります。
あの頃、まだ検索サイトとして始まったばかりのYahooジャパン。当時のチャット仲間が、株を買っとかない?と声をかけてくれたことがありました。買っときゃ良かったと。それだけが、後悔だったりします(笑)
彼女は買ったのだろうか?
さて、今日も一日がんばります。
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