伝統的な鍼灸
自分の鍼灸院を開院する際に、紹介文には「どんな鍼灸治療をしているか」を表現する必要が当然あり、とても悩みました。
悩んで悩んで、最終的に下記の文章を作成して、様々な場面で使っています。
歴史的などんな文化も、最初はひとつの場所から誕生し、徐々に枝分かれして世界に広がっていくものだと思います。
鍼灸治療も長い年月のなかで、様々な方法や流派が生まれ、複数の道に分かれていきました。
同じ山を登っているけど、どの登山道で登るかが違うような感じでしょうか。
学生時代は有名な流派の勉強会に行ってみたり、聴いたことのない名前の治療法を勉強してみたり、いろんなことを経験してみました。
私はシンプルな考え方が好きで、どのようなことにも応用できる『原点』を探していました。
いろんな登山ルートを見て、こっちにしようかな?あっちにしようかな?とウロウロしながらたどり着いたのが、スタート地点(登山口)でした。
そのため、様々な道に枝分かれする前の『伝統的な鍼灸医学』を大事にして勉強してきました。
『伝統鍼灸』とか『内経医学』と呼ばれていますが、一般的に馴染みのある名前がありません。
それ故に、上手く説明できない難しさがあります。
私の行う鍼灸治療はさらに、他の影響も受けています。
私は伝統の原点から数千年もあとの時代を生きていて、たくさんの歴代の医学者たちの恩恵を受けて、いまここに立っています。
私の持っている知識は、私がひとりで手にした宝物ではありません。
そのうえ、現代を生きている『私』という人間を通して得られた気づきが、かなりスパイスとして効いています。
もう尚更、名前が付けられません。笑
エビデンスが求められるこの世界で、私個人を反映させる必要はないのですが、どうしても鍼をするときに影響を与えてしまっているように思います。
未だに「どんな鍼灸治療ですか」と聞かれても上手く答えられないうえに、自分をさらけ出すこともできないと感じていたために、とてもモゴモゴとしていました。
以下、私が思う鍼灸医学の原点です
全体性を重視していること。(自然と人との統一性、身体も人生もまるごとをみつめる、など)
医学の目的が「心の安らかさ」であること。(恬憺虚無であれば、生命力が精神を守り病むことがない)
弁証論治を丁寧に行うこと。(診断と治療の際、全体性を無視しないこと)
ここに、歴史の宝物と私のスパイスが入ります。
病気って怖くて、恐ろしくて、人間の仁智でどうにかなるものではないと、未だに感じています。
でも、歴代の医家たちは果敢に病と向き合ってきました。
病気になったときだけではなく、元気で健康に過ごしているときの「いのち」とも向き合ってきました。
人生のすべての場面において、いのちと向き合うことは、誰にとっても尊いことですよね。(どうして私は生きているんだろう?と悩んだことが私は何度もあります)
鍼灸や伝統医学が、人生のすべての場面で重要な気づきを与えられる手段になり、自然と人との調和を思い出すきっかけになることを、私は望んでいます。