かつてはバスガイドは花形だった
この写真、
亡くなった祖父のものを整理していたら出てきたとのこと。
なんだかすご〜く楽しそう。
窓からこんなにも乗り出してる!すごい。
今のバスはこんなにも窓は開かないし、こんなに大きくない。
わたしが高校を卒業してバス会社に就職した時、
同期の仲間は22名。
よく、はとバスさんの新入社員をテレビで紹介放送しているけれど、
とても懐かしいなと思う。
私たちもみっちりバス研修をして、
3ヶ月後、晴れの舞台に独り立ちした。
そもそも大正時代後期に生まれたバスガイドは、バスの車掌で、当時はバスガールと呼ばれたそう。
初任給は当時としては破格の35円!
1950年代、バスガイドは花形と呼ばれ全盛期。1960年〜70年にかけては、
バスガイドは、スチュワーデスや看護婦と並ぶ憧れの職業だったんだって。
2000年まで、貸し切りバスの運行は原則補助要員が乗車するというルールがあった。
それが小泉内閣の規制緩和でワンマン運行が可能になりバスガイドが別料金となったため、バスガイドは不要というお客様が増えた。
それに加えて団体旅行の減少、少子化による学生の減少など
そしてコロナウイルスに追い打ちをかけられ
バスガイド付きの旅行自体が少なくなって、
若いガイドが生まれなくなって、
今やバスガイドは絶滅危惧種なんて言われている。
それでも
春と秋には絶対的に必要なものだから、
バスガイドの争奪戦が始まって、
50間近のこんなわたしにもお呼びがかかる。
ありがたい…。
若いバスガイドさん…
やる気がある人は育ててあげるよ♡