えみの転換期



ここ最近、昔の夢をよく見る。
昔の夢というか、学生時代の友人知人、誰だっけ? レベルの人までが、ごちゃ混ぜになって出演するのだ。
大人になって(大学を中退してから)出会った人は、ほとんど出演しないのに。
学生時代を懐かしんでいる訳ではない。楽しい夢でもないし、出演者も、一貫性がない。
話を聞くところによると、人生の転換期に、そんな感じの夢を多く見ることがあるらしい。
人生の転換期なのは、再婚を控えている時点で分かりきっているが、なぜ学生? とここしばらく考えていた。

そんな夢の中で、一人だけ、印象深い人がいる。
しかも、複数回に渡り、出演してきている強者である。

その強者は、小学生から高校生の時に仲良くしていた友人だ。
喧嘩別れなどをした訳ではなく、小学生から中学生に上がれば、クラスが多く、話す頻度は減るし、高校は別だったので、さらに減った。

高校卒業後は、お互い別の県へ進学し、私はその2年後には入院治療に入ってしまった為、連絡する機会を失った。
ちなみに当時、お互いガラケー。
データが飛んだら、終わりである。(実際その友人は、一度データが全て飛び、大変なことになっていた)

SNSを探せば、と思うかもしれないが、自分のホームページを作るのが流行りだった当時から、身バレを徹底対策して作っていた人である。
私がバレることはあっても、こちらから探し出すことはできないだろう。

共通の友人に、チラッと聞いてみたこともあるが、全く連絡をとっていない(とれなかったっぽかった)とのことだった。


その友人(以下Aちゃん)との思い出は多々あるが、Aちゃんが私にしてくれたことこそ、人生の転換期だった。

Aちゃんがしてくれたことは大きく分けて二つ。

・私に自我を持たせてくれたこと(正確には促進してくれたこと)

・私が生まれて初めて書いた小説を、初めて見せた張本人であり、さらにその小説を褒めまくって、私を調子に乗らせたこと

この二つである。

どちらもでかすぎるだろ。


最初の方は、なにかどでかいことをされた訳ではなく……と思ったが、当時はどでかかったか。
まぁ、一言で言ってしまえば、対等に喧嘩をした初めての人というかなんというか。
対等であるならば、喧嘩することも、大事であると教えてくれたというか。いや、喧嘩しないに越したことはないのだが。

とにかく、感性が豊かな人だった。
本も読むし、漫画も読むし、アニメも見るし、映画も見るし、ゲームもするし、外でも遊ぶ。
意思がしっかりとしていて、感情を表に出したり、はっきりと物を言う分、人とぶつかることも多かったと思うし、なんなら私はそのうちの一人だし、記憶の中だけなら傷ついた方が鮮明だ(笑)

多分「今」の私を知っている人は、それお前もや。と思うだろう。
まさに、この「今」の私をつくった原型の人である。

特に鮮明に残っている、Aちゃんから怒り悲し泣きしながら言われた言葉が

「えみの思ったことを言うようにして」

というもの。


これ、小学生の発言です(笑)


そりゃあね、今思えばですよ、こういう人と仲良くしてたら、自然と色んなものに触れるし、自我も強くなるんですよ(人のせい)

少なくとも、Aちゃん経由で知った作品は多いし、共有した本も、ゲームも、漫画も、アニメも外遊びも多かった。

長く、深く仲良くしていくには、時には喧嘩が必要な場合があることも知ったし、自分の意思表示をすること。もっと言えば、自分の意思を持つことを教えてくれた。

喧嘩してまで、継続的に関係を持つ気がないので、意思表示をしないという選択肢を、私にとらせなかった凄い人である。
(この垢がバレてる可能性を考えてフォローを入れる私)



二つ目は、これはもう一言である。

あの時に褒められなければ、私は今物を書いていない可能性の方が高かった。


そもそも私は、何故小説という形で表現しようと思ったのか、覚えていないのだ。

小説を打ったきっかけは、小学校五年生の時、実父から、いらなくなったワープロとフロッピーをもらったことだった。
フロッピーにでかでかと「えみ」と書いて、仕事人のような気分になったような感覚も覚えている。
そもそも、ワープロは打つしかできない。
さあ何か打つぞ!!

次の記憶は、もう小説を打ち始めた直後である。

え、なに考えてた自分。
その間なに考えてた。こわ!


そんなこんなで、できた作品をAちゃんに見せたら、大絶賛だったのである。

そりゃ、調子に乗る。

また書こうー!! と思う。

そんな気持ちでやったらそりゃ楽しい。


ワープロなんか慣れねえとノートに書き出し、高校生(専門学生)の時にまたまた実父からいらなくなったノートパソコンを貰い、ブラインドタッチを覚えてからは、パソコンで打つようになった。


初めて書いた小説を、ボロボロに言われていたら、確実に書くのをやめていた。
少なくとも、小学生の私にはまだ、好きだから書く!!!!書きたいから書く!!!! という気持ちはなかった。


今思えばだが、はっきり物を言うAちゃんの大絶賛だからこそ、素直に受け止めたのかもしれない。

だってAちゃん、本当につまらなかったら、絶対、なにこれ言うてたと思うしなあ……。


さて、夢がきっかけで思い出した、人生の転換期をつらつら書いてみたが、Aちゃんがいなければ、物書き Emi 松原 は存在しなかったという話である。


ちなみに、えみは本名だし、松原の文字を一文字ずつもらった人を、Aちゃんは知っているはず(Aちゃんじゃないのはごめん☆)
その上、今は、電話番号から知り合いを探せたり。
しかも小説を書いてることを知っているとなったら、もはやリア友にバレる。


なので、万に、いや億に一、これを見て連絡くれたら、夢への出演料くらい奢るよ、という話でした?








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