婆とえみ
さて家族シリーズ?第三弾は父方の婆である。
実は父方の婆と私には、血の繋がりはない。
順を追って説明しよう。
まずうちの父方の爺は、私の本当の婆と、当時にしては珍しい恋愛結婚をした。
爺も婆も若き日はどちらもモテたと聞く。
そして長男である、父が誕生。
その二週間後だった。
私の本当の婆は、突然死んでしまったのだ。
元々持病があったような話は聞いたが、なんせ時代が時代。間に合わなかった。
さて、この後は昔の田舎特有の流れだ。
爺の元には、後妻さんとして今の婆がやってきた。
婆は当時19歳。家の事情で高校も中退せざるを得ず(当時はそれが当たり前でもあったらしい)嫁がされた先には、田舎特有の大家族、それに加えて赤ん坊の父。
嫁がされたと同時に、母親になった人なのだ。
これが私と婆の血が繋がっていない理由である。
ちなみに私は一人っ子なので、孫の中では私だけ婆との血の繋がりはない。
とんでもない苦労をしたと思うが、婆は私と他の孫(いとこたち)と区別ましてや差別等を一切したことがない。
小さい時は色々な事情で、年に一度か二度、田舎に戻って会うだけだったが、婆に嫌な想いをさせられたことは一切ないのだ。
(他の親戚の一部とは色々あった)
そんな婆との思い出深いエピソードを二つご紹介する。
一つ目は、まだ母屋がしっかり残っていた頃。私が中学生の時だ。
お盆の時期、仲の良い少人数の親戚と、父と婆と私で、バーベキューをした。
一番小さかった従兄弟の弟は私に懐いていたが、「従兄弟で親戚」ということはまだ認識していない5歳。
夜は一緒にお風呂に入って、リンスまでしてやれば誰にも頭を触らせない。寝るのもえみちゃんと一緒。
余談だがその時、「大きくなったらお菓子を作る人になるー」と言ったその子が現在パティシエになったのは泣ける話だ。まぁ、憎たらしい大人になったのだが。可愛い弟よ、どこへ行った。
そんなこんなで楽しんだ次の日、バスで帰る私と父は先に家を出て、バスで帰宅した。
その際、私は携帯の電源を切っていたのだが、帰って見てみると、何件か従兄弟の母(父の妹3)から着信が。
慌てて掛け直すと、その叔母が大爆笑している。
話を聞いてみると「従兄弟とは親戚」と理解できない従兄弟の弟は、私と今生の別れをしたレベルで泣き叫び、何度説明しても、何を言っても、「もう会えないんじゃろ!?」と連呼して泣いていたらしいのだ。
ここまでなら可愛いで終わる。
だが、何故かそれを見ていた婆まで泣き出したというのだ。
婆ああああああああああ!?!?
となった。
死んでない!私死んでない!!なんで今生の別れになってる!?
当時は大爆笑したが、今ちゃんと考えたら、婆は私のことを大事に思ってくれていたのだろう。
もう一つのエピソードは、母屋も閉じる為に物の整理に帰った時のことである。
納屋も壊すため、古いアルバムや写真を運び出した。
そこには、若き日の学生服姿の婆。
婆は嬉しそうに、当時の話をしてくれた。
婆にとって、学校がどれだけ楽しかったか。
聞いているだけで伝わってくる。
もっと時代が違ったら、婆は学校を辞めずに済んだのだろうか。
恋愛もできたのだろうか。
ふと、そんなことを思ったが、私にとってその話を聞いている時は「婆と孫」の大事な時間だったと思う。
そんな婆は今、私と父の住むマンション部屋の斜め上の部屋に住んでいる。
何かあればすぐに行けるし、婆もやれたけのこを煮ただと持ってきてくれる。
デイケアにも楽しそうに通っていて、散歩にも行く婆。
道で会ったら必ず声をかけてくれる婆。
ベランダ菜園を楽しむ婆。
先に述べた理由もあり、父は婆の財産放棄をしている。
まあ、山の土地を貰ってもしょうがないし、逆に変に揉めなくてよかったと思っている私は、今日もエアコンが変になったという婆の元へ行き、ベランダ菜園を見せて貰って、湯がいたとうもろこしを貰って帰ったのだった。