罪悪感
コールドケースというドラマを見た。
主人公が貧困で苦しんだ幼少期を語り、相棒に「でもあなたはそこから抜け出した」と言うシーン
彼女は「誰かを犠牲にして」と返す。
この言葉に私は確かな罪悪感を覚えた。
貧困と虐待
自分自身がそこから抜け出した時、確かに犠牲にした人達がいたからだ。
幼少期、私の家は明らかに貧乏だった。小屋みたいな小さな家に両親と兄弟5人の7人で住んでいた。
父と母はお金を使うのがとにかく下手な人達でギャンブルや借金は日常茶飯事だった。電気や水道が止まるのは良くあること。
父はよく癇癪をおこし、怒鳴った。
そしてよく兄を殴った。
それはすごく恐ろしかった。
私は上手く生きようとした。
怒られないように殴られないようにと。
私はずるかった。
兄が殴られていても止めなかった。
怒鳴り声と物が投げられてぶつかる音を聞きながら寝たフリをした。姉と兄の泣き声を無視して。
そして、兄と妹を残して家を出た。
誰にも怒鳴られず、誰かが殴られるのを見ず、安心して眠りたかった。誰かに愛されてみたかった。
確かに誰かを犠牲にしたのだ。
兄弟とは今でも仲がいい。よく会うし話す。
この前、はじめてあの時の事を話した。そして謝った。
兄は「お前は悪くない、絶対に悪くない」と言ってくれた。涙が止まらなかった。
私はあの時、親から愛されない自分なんて誰からも愛されない、いらない存在なんだと思っていた。
でも本当は兄弟に愛されていたんだとはじめて気付いた。私は愛されていた。
私は愛されていたんだ。
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