【「魂の約束」とは自分が生まれる前に計画した人生の青写真のことです】
こんにちは。
スピリチュアルカウンセラーの冥賀都子(エマ)です。
今日もご質問への回答です。
「魂の約束」について、いつか詳しく書こうと思っていました。
夏至が近いので、いろいろとメッセージをキャッチしている方も多いと思います。また、急に何か「動き出さなきゃ!」と思っている方もいるかもしれません。
今日は「魂の約束」とは何なのか、
について書いてみたいと思います。
私達はこの世に生まれてくる時に、「時代」「親」「環境」「人生の設計」「今世で学びたいこと」を決めて生まれてくると言われています。これは一部のスピリチュアル界隈で言われていること、という認識ではあります。絶対ではありません。私も今もまだ検証中です。
そのことをまず、お伝えしなければならないのは、人によっての死生観は様々だからです。死生観とは「死後の世界」とか「人間はどのように誕生したのか」ということに対するものの見方です。自分の死生観が正しいかったかどうかは、体験しないと答え合わせはできません。
しかし、臨死体験というものをしたことがある人がいたり、今は「レインボーチルドレン」「インディゴチルドレン」などと呼ばれ、生まれてくる時の記憶を持つ子供達が存在します。その子供達が共通して口にすることは「空から親を選んで降りてきた」ということです。こういった情報は少なくとも、私が霊的現象に悩んでいた思春期には聞いたことのない情報でした。小学生の頃はよく父親に日曜日になると図書館に連れていかれたものですから、その手の本をよく探していました。しかし、「レインボーチルドレン」などというキーワードの書物は当時はひとつもなかったと思います。
ただ、私にも記憶があることがあり、それは「空から見ていた」のではなく、生まれる前に「母親のお腹の中から」外の景色を見ていたということです。それに気づいたのは大人になってからです。いろいろな霊的体験を重ねるなかで不思議に思っていることがありました。それは、母親のお腹の位置から見えていた近所のお菓子屋さんの映像が頭の片隅にずっと残っていたことと、母親が誰かと立ち話をしている時にその相手の顔が見えるのですが、その相手が目をパチパチとまばたきをするのがどういう原理でまぶたが開いたり閉まったりするのか?というのを不思議に思う、という記憶です。
この「お菓子屋」と「まぶたのパチパチ」の記憶の景色はワンセットです。
そして、大人になってからそのお菓子屋さんのことを母に尋ねると、私が生まれる前に閉店したということを聞かされました。
しかし、私はその閉店したはずのお菓子屋さんの風景をよく覚えています。ピカピカに磨かれたガラスの引き戸の内側に半分だけ緑色のカーテンがいつも引かれていて、外から見えるのは、金魚鉢のような大きなガラス製の丸い入れ物です。入れ物にはおせんべいが入っていたのもわかりました。それはほぼ毎日そこを通るので何度も見たのです。
私の母親は私が生まれる前も生まれた後も、専業主婦なので近所の八百屋さんに夕方になると出かけていましたが、そのお菓子屋さんは私が生まれる前にはもう営業していなかったと言うのです。
物心つく前にこんな記憶を子供が想像力で作り上げることは難しいと思うので、私もやっぱり親を選んでお腹に入ったように感じています。ただ、どうやって親を選んだかの映像や記憶がないので、いつか思い出すかもしれないと思ってはいます。検証中です。
宗教によっては「人間は神が作ったもの」と教えられています。忘れてはならないのは、そういう国では人間は猿から自然発生的に進化したというダーウィンが唱えた「進化論」は賛成派と否定派による社会的論争を生むほどだということです。
ですので、まず、この「魂の約束」について説明する際に、このことは一部の人の間で言われている「人間の魂は輪廻転生しながら何度も生まれ変わる」という考え方や肉体は単なる入れ物であり、魂はそこに宿るもの、という考えが前提にあることをお伝えしておきます。
「輪廻転生(りんねてんしょう)」の考えは古くはインド、ヒンドゥー教や仏教からきています。
参考までに引用します。
話を戻します。
「魂の約束」とは、先ほどの自分が生まれてくる時にいろんなことを「決めて」生まれてきているので、それは誰かとの約束ではなく、自分が「今世ではこうして生きる」という自分との約束を指します。
私達は魂を磨くためにこの世に生を受けるといいます。
私達は「自分が決めた計画に基づいて」いろんな体験をして、魂が磨かれ、輝いていく人生を送ったとしましょう。肉体を離れて天に帰った時にその魂は非常に満足するといいます。
魂は人間界で磨かれることで源に帰った時に、その源の全体の霊格が上がるそうです。
その源には同じような魂がたくさん集まっていて、ひとつの集合体になっていて、その同じ源から今世に同じタイミングに生まれて落ちた者同士を「ソウルメイト」などと呼んでいます。
ただ、天界で一緒にいたとしても人間界に来る時に記憶はなくなりますので、今世で出会っても初めは誰かわかりませんが、お互いになぜか初対面なのに「初めて会ったような気がしない」というのが「ソウルメイト」の特徴としてよく言われることです。
私も「ソウルメイト」「ツインソウル」「ツインフレーム」という人について、自分の体験とともに検証していますし(今も)、調べてもいますが、今だに確信を持ってお伝えできるまでには正直、至っておりません。すべては「そうだと感じる」ということだけで断言はできないからです。
ただ、それらの思い当たる節のある人物とは何かしらの共通点があったり、同じ場所にアザがあったり、誕生日に関して気になることがあったりします。(私は身体に生まれつきのアザがあるのですが、それは生まれてくる時に「しるし」としてつけられたと上からのメッセージで受け取ったことがあります。ただ、何の「しるし」かまでは教えてもらえませんでした。)
「ソウルメイト」に関してはいろんな方がいろんなことを発信しておりますので、情報として検索されてみるのも良いかもしれません。
ただ実際、私の感覚ですとそういった魂の出身が同じ人に出逢ったところで、自分自身が覚醒していないと(※)出逢っても気づかないですし、出逢った目的もわからないまま、時を過ごしてしまいますので、まずは自分のことを先に知ることが大切だと思います。
※自分は何のために今世に生を受けたのか、どんな約束を自分は自分にしてきたのかを知ること。
ではなぜ「魂の約束」を思い出すといいのかといいますと、それに気づくことで人生を生きやすくなるからです。
自分がどんな試練を設定してきたか、そういうことにも気づければ、今が辛い時期だとしてもその先の未来がきっとよくなるとわかっているので、淡々とその時期を過ごせるということもあります。私はそうでした。
人生で起こることは全て意味があり、必然であるということをまるでオセロが一気にひっくり返るような勢いで実感できる瞬間というのは、この「魂の約束」を思い出した時です。
「ああ、ようやくつながった」「すべてはこのためだったのか」
大きな安堵感とともに、自分への信頼が高まり、生きる方向性が定まります。
ですから、「魂の約束」を思い出した人はブレません。
頑固というよりも、自分の意志がそこに確実にあるので、揺らがないのです。
揺れる必要がない、というほうが正しいかもしれません。
私が「魂の約束」を思い出したのは、37歳の時でした。
ちょうど、人生の転換期を迎えていて、全てに違和感が生じるようになっていた時でした。なぜここにいるのか、何のために今これをやっているのか、自分は何がしたいのか、これでよかったのだろうか、すべてにおいての違和感です。
それから、「魂の約束」をひとつひとつ手繰り寄せて思い出す作業が10年くらい続きました。今も全部の未来までは見えていませんが、ひとつだけ確信していることがあります。それは「魂の約束」を思い出すことで、「自動運転」のようなスイッチが入り、あとは自分の直感を信じれば信じるほど、点と点が線になっていくのがわかり、踏み出す度に足元が明るく照らされる感覚があります。
未来を予知したわけではないけれど、無意識にどっちにいけば自分にとっての正解なのかが、わかっている、ということを実感できるのです。
これはとても不思議な体験です。
そして、もちろん私は石からのメッセージを受け取ることが得意ですので、石をそばに置くことで上からのメッセージをキャッチできるようになりましたし、子供の頃よりももっと体験的にも知識を得た(大人になった)今のほうが見えない世界と見えている世界の両方の視点を持てるようになったので、見えない世界の厄介な存在達に振り回されることはなくなりました。むしろ、自分の生まれ持った気質を含め、人間界の厄介なシステムや感情や肉体の衰えのほうが大変なくらいです。
この「未来がわかる」という感覚はおそらく、私が特別というわけではなく、もともと備わっている人間の霊性によるものと感じます。
昔の人は今の人よりももっと不便な生活をしていたし、情報もなかったはずなのに、未来というものを悲観していた人は今ほどではなかったと感じます。
現代病のひとつに「うつ病」がありますが、それはある意味、情報を詰め込みすぎた脳が混乱して交通渋滞、いわゆる「バグ」を起こしているようなものかもしれません。思考すればするほど未来が怖く感じるのは、高い想像力のマイナス面かもしれません。
本質的なことを言えば、「未来」を見ようとすればするほど「今」がなくなり、反対に「今」を見ればみるほど「未来」に不安はなくなります。
しかし、いろんな知識を身に着けてしまった現代人の大人は子供達に「これをしないと将来、大変なことになるよ」と未来に対する不安を告げるので、子供達はその恐ろしい未来を想像して「今」を生きることが多いと思います。
そういう私も実際はそうです。頭ではわかっていても自分が親に言われてきたように「勉強しないと将来大変なことになるよ」と子供に言ってしまうことがあります。習慣というのは怖いものです。
ですから、「今」しか見るものがなかった昔のほうがはるかに濃密な時間を過ごしていたとように思います。
「魂の約束」を思い出しやすいタイミングとしては、年に数回、あります。
立春、春分、立夏、夏至、立秋、秋分、立冬、冬至
季節の変わり目です。
日本は特に、この季節の変わり目がわかりやすいですね。
季節の変わり目に限らず、時間の変わり目というのもあります。
一日のうちで昼と夜の入れ替わりの時間帯を「逢魔時(おうまがとき)」と言いますが、そういう節目の時は覚醒しやすいのです。(魔に逢いやすい、と書きます。霊界と繋がりやすいからです。)
ちなみに夕方の時刻を黄昏時(たそがれどき)というのは、誰彼「誰そ(たそ)、彼(かれ」の意味があり、文字通り「そこにいるのは誰?彼?」とよく見えない状態を表した言葉が由来です。
いずれにしましても、「お化け」に関してはむやみに怖がることはありません(といっても自分から仕掛けてはいけません)。
生きている人間のエネルギーは強大です。そしてここ日本は「日、い(生)ずる国」ですからそもそも太陽神(=天照大御神)に守られたパワースポットなのです。
ここを自分で選んで生まれてきたはずの今この記事を読んでいらっしゃるあなたは、そのことを思い出す必要が今、あるのかもしれません。
こういう記事さえも、必要な人に必要なタイミングで届くようになっているのが宇宙の計らいというものです。
すべては自由意志ですが、自由だからこそ出逢える偶然は必然でもあります。
ただ、この「魂の目的」を思い出すために慎重にならなければいけないことがあります。
それは、自分以外の誰かから告げられた「魂の目的」についてです。このことはとにかく何回も自分で検証を重ねてください。
実際に「魂の目的」に気づくことは「ソウルメイト」に会えることと同じくらい、時期とタイミングが必要です。自分がまだそのことに気づけない段階の経験しかなければ、それに気づいたと思っても(誰かに教えられて)すべてのことがジグソーパズルが完成するようにうまくいかないことが多いからです。
「気づき」というのは「知る」ことと「理解」が同時に起こってはじめて体感できることなので、「知った」だけではまだ覚醒できないのです。
それがどういうことなのか、なぜ、そういう計画にしたのか、ではこれまでの人生はなんだったのか、ということを誰に教わることなく、「ああ、そういうことだったのか」と腑に落ちるまでは何度も検証しなければいけません。
視える人も人間である以上、感情が入りますし、体調によっては目が曇ることもあります。絶対ではありません。私が今書いているこのことも、検証してください。
これからの時代は「自由意志」と「責任」はますますワンセットです。
誰かに言われたから、ではなく、自分かそう感じるから、そう決めた、とならない限り、何度でもお試しがやってきます。
お試しというのは「すごろく」でいうところのふりだしに戻る感じです。
シェイクスピアは言いました。「此の世は舞台。それぞれに出番があり、その役を演ずるだけだ。」と。
ですから、ふりだしにもどればまた同じような出来事が起きてそこでは別の登場人物が同じ「役」としてでてくるようなものです。あなたがその出来事に対して「自分で決めて」行動しなければ、駒は先に進みません。
これまではその練習のような「土の時代」でした。見えるものが全てで物質主義、拝金主義でした。今は「風の時代」ですから、見えないものの中にある見えるもの、たしかにそこに「ある」ものをまずは自分の力で「自分の中に見い出す」ことが駒を進めるために必要なことです。
今年の夏至は6/21です。
いろんなメッセージが降りてきています。是非、目を閉じで五感で感じてみてくださいね。
皆さんのより良い人生のお役に立てたら幸いです。
本日も最後までお読みくださいまして、どうもありがとうございました。