【神様に教えていただいた石のアチューメントについて】
こんにちは。
スピリチュアルカウンセラーの冥賀都子(エマ)です。
先日、石のアチューメントについて神様に教えていただいたことを書いてみますね。
まずその前に
「石のアチューメント」って、なんぞや?
とのことですが
私が認識しているアチューメントとは以下です。
認識していると書きましたのも、人によって「アチューメント」に対する定義は人によっていろいろなニュアンスが感じられます。
これまで30年以上、天然石、いわゆるパワーストーンというものに関わってきて
石の役割というのを体験したり、見たりして確信している中で
「アチューメント」とはこういうことだろうな、と私が思っていることが石に任せるアチューメントです。
そもそも「アチューメント」の意味は英語で「調律する」という意味です。(実際には、「アチューンメント」のほうが読みとしては正しいです)
「アチューメントは誰かを通して神様のエネルギーを注入する」と定義する方もいらっしゃれば、
「パワースポットなどのエネルギーを自然に任せて石に転写する」と定義する方もいらっしゃいます。
特にレイキヒーリングなどの世界では「エネルギーの回路を開く」というような説明がされていますので、高次からの情報を受け取るために自分が媒体となる意味でのアチューメントという言葉を使うようです。
私の認識しているアチューメントは「パワースポットなどのエネルギーを石に転写する(石が自ら発動して受け取る)」です。
ここでは「人を通して」アチューメントした石のほうが良いとか、石の自然の意志に任せてエネルギー調律をその「場所」でしたほうが良いとかを議論するつもりはありません。
私がこれまで扱ってきた石達のことを考えると、
石さんに任せて(委ねて)その場のエネルギーを心地よく受け取ってもらえるといいなぁと思っているので、私が好きなのは自然に任せてのアチューメントです。
石も意志があって、例えば神社へ行く日など「連れてって~」と言う子もいます。
そうすると、やっぱり積極的に行きたがる石とそうでもない石があるのだなぁ、と感じますし
パワースポットへ行くと急にキラッキラに光ってヤル気を出す子もいますので
私自身が自然に任せる石のアチューメントのほうが好きなのです。
アチューメントの良いところは、その場のエネルギーを石に転写できるので、
例えば自分が病気などで、パワースポットに行けなくても
誰かに頼んでアチューメントしてきてもらった石をそばに置くことで
そのパワースポットの「気」を石を通じて感じられることです。
また、その方法を使えば、大切な人が元気になってくれるように石を使って良い「気」をプレゼントできます。
私の体験をお話します。
だいぶ前ですが、仕事が忙しくてサロンから出られない年がありました。
おかげさまで1年先までカウンセリングの予約が埋まっている状態でしたが、
やっぱり自分のメンテナンスも同時にしていかないと、霊視にはかなりのエネルギーを使うので、精度が落ちてしまいます。
そんな時、友人が伊勢神宮の五十鈴川で浄化、アチューメントしてきた水晶を「お土産ね」と言ってプレゼントしてくれました。
その時は「ありがとう」とあまり考えずに受け取ったのですが、その水晶のエネルギーが素晴らしいこと、素晴らしいこと!!
手に握れるくらいの小さな水晶でしたが、それを握るや否や、スゥーっとオーラが浄化されて、目の前がクリアになるのがわかりました。
となったわけです。
それまでは、次のカウンセリングのお客様のご予約時間までたまたま時間が開いた日などは、一度家に帰って、粗塩で身体を洗ってまたサロンに戻る・・・というようなこともしていました。特にエンパス体質ということもあり、体力が低下している時はお客様をヒーリングしながら自分が「気」をダイレクトに受け取っている時もありました。
しかし、この友人からいただいた水晶を握ると一瞬で身体が軽くなったのです。
それだけ石というのはエネルギーを吸う、記憶するものだということを実感しました。
それ以来、私自身、目に見えないからこそ、石に宿るエネルギーにはかなり配慮しています。
もちろん、石を販売していれば、私という人間を通して持ち主に届くわけですから、どうしても「私」自身のエネルギーも多少は転写されるわけです。(セージなどで必ず、浄化してから梱包しています)
ですから、私が疲れていたり、ネガティブな感情を持って石に接していれば、石を受け取った持ち主さんにも影響があると思いますので、
石に触れる時にはいつもいつも、気にしています。
「今、私はどんな状態なのか?」
コンディションの良い時になるべく石の発送はしたいと考えています。
ここまで、石のアチューメントについてと持ち主に与えるエネルギーについて書きました。
前置きが長くなりましたが、
そういう意味でも私は自分の仕事柄、石を扱うライトワーカーとして責任がありますので、
普通の方よりも
日頃から近所の神社はじめ多くのパワースポットに足を運んでいると思います。
そして、
せっかく良い「気」を浴びに行くのですから、「それを石に転写してご縁のある方に繋げたいな」と思ったことが、パワースポットにたくさんの石達を連れていくキッカケにもなりました。(といってもリュックに入る分くらいですが)
特にコロナ中はその必要性を強く感じましたので、今、積極的にそういう活動をしています。
(コロナ中で家に閉じこもることで沢山の方が鬱になりました。私の身近な人にも起こったことです。)
冒頭に書きましたが、先日、アチューメントについて神様に教えていただいたことがあります。
(やっとここから本題、長くなってごめんなさい)
山梨県の富士山の麓にある、とある神社へ参拝しに行きました。
ここの神社は「呼ばれた人しか辿り着けない」と言われています(ということで、あえて名前は伏せますね)。
実は春にもそこに行こうとしたのですが、どういうわけか何度もスマホのナビが途中で電波が切れてしまい、「再検索」ばかりしていて、結局辿り着けなかったのです。
その時は車でウロウロしているうちに、日が暮れてしまいました。
「呼ばれていなかったのだな」
と諦めて帰路につきました。
御岩神社や高尾山など山岳系の神様は厳しいと言われます。
私自身、そこまで辿り着けない体験はしたことがなかったので、「厳しい」の意味もイマイチよくわかっていなかったように思います。
今回、再チャレンジでしましたが神社には途中、車の渋滞に巻き込まれたものの、なんとか辿り着けました。渋滞にはまったときは時間調整ととらえて、夕方までに到着したらいいなと思っていました。
朝8時に佐野を出発して、途中休憩をはさみながら(渋滞もあり)着いたのは13時30分でした。
せっかく行くのだからと、いつものようにアチューメントするための子達と、行く前日に「連れてって!」と強くアピールしてきた私の丸玉水晶さん(かなり大きいのですが)を朝、用意してきました。車を山道に停めて、その子達をリュックに入れて歩きます。
やっと辿り着いた神社の鳥居の前では、数名、参拝を待っている人がいらっしゃいました。
私もその方達の後に並んでいました。
ふと、見ると鳥居の横の木の前で誰かがこっちを見ている!
と思ったら、木の模様でした。
一瞬、人の顔に見えたのです。
それでいよいよ私の参拝の番になって、鳥居をくぐってお賽銭箱にお金を入れて、お辞儀をして顔をあげると、なんとそこにさっき木に現れた顔と同じ顔があったのです。神様の絵が飾られていたのでした。
それでさっきの木のところで見たのはそこの神社の神様だったことがわかりました。
ありがたや~
と思いながら、
道中の無事の御礼を伝え、ご挨拶をし、無事に参拝が終わりました。
というかあまりにもびっくりして、わたわたと自己紹介だけしてお願い事(決意)をうまく伝えられなかった・・・(;’∀’)
(でも、初対面ですし、また来よう♪と思いました。)
さて、
石をどこでアチューメントしようかな、と思ったら
全然身体が動きません。
というか、
そういう感じではないのです。
高尾山の時のような気持ちで(高尾山の時はハイキング♪天狗様♪ルンルン♪)来たのに、全然そんな感じではないのです。
うまく、言えないのですが、そうしたいと思えないというか、なんというか。
写真も撮ろうと思ってスマホを出したのですが、ファインダー越しに見て、やっぱりやめました。
神様はそのことを快く思っていらっしゃらないと感じたからです。
それに、御眷属の姿があまり見当たらないのです。
いつもなら、狛犬さんとか、狐さんとか、時にはカラスさんであったりと・・・。
御岩神社の時は小さな龍神様が家まで着いてきてくれた話を書きましたが、あの時は、山を登っている時からその気配は感じていました。
でも、ここは山全体がもう、そういう、木も、落ちている石も、葉っぱもすべてに聖なる存在が宿っているという感じです。
いわば、全員に見張られている・・・ような。
ふと、龍神様はどこかな・・・?と思って見上げると、空のかなり離れた上のほうにいます。
それで、帰る時に神様に伺ってみました。
(答えてくださるかしら・・・?)
「他の方のために石にアチューメントはできないでしょうか?」
すると
「自分の足で来ることに意味がある」
とはっきりとおっしゃいました。
そもそも、こちらの神社は仕事運でご利益がある神社です。
そこで思い出したのが、前回来たときのことです。
道に迷って辿り着けなかった神社の話を地元に住むという案内所の若い店員さんに話した時のこと。
私が、「ぜんぜんたどり着けなくて、本当にあるんですかね???」
と言うと、これまたびっくり、
「そんな神社あるんですねー。地元なのに知りませんでした。」
と軽く言っていたので、やっぱり知る人ぞ知る、というか情報はあってもご縁がなければ記憶に残らない仕組みになっているのかもしれません。ちょっと不思議です。
とりあえず、神様とご縁をいただけて大満足で山を後にしました。
その後で大雨になって帰りにちょっと寄ろうと思っていた場所はやめて(龍ちゃんがまっすぐ帰りな~、って言っているようでした)、石の博物館に寄りました(それなら許してくれるかな?( ´∀` ))。
山梨県は昔から水晶の産地です。
富士山という世界に誇る霊山があります。
博物館では主に、富士山の溶岩に関するパノラマ展示と石達の標本がありました。
公的な博物館ではなく、個人の運営する博物館のようですが、これほど多くのコレクションがあるのには驚きです。
「ツーソンみたい♪」
と思いながら、見させていただきました。
地球の構造も知ることができるし、いろいろまた勉強させていただきました。
ありがとうございました。
写真を載せておきますね。
良かったら是非、立ち寄ってみてくださいね。
道の駅「なるさわ」の敷地内にあります。
今回は石のアチューメントについて、自分で行かないと石に「気」を宿しただけでは効果的ではない場所もある、ということを知る旅の話でした。
ほとんどの聖地ではアチューメントは可能だと感じるのですが(むしろ、そうして!!という神様もいらっしゃったので)、アチューメントしたものが機能するかどうかという点においてはそこの神様のおっしゃる「自分で来ることに意味がある」という言葉通り、特に仕事などに関しては行動しないと現実は動かないので、石というよりも決意を話に来なさい、ということなのだと私は解釈しています。
あとから考えてみると、たしかに、特に仕事などは自分が頑張るから(頑張るという表現が適切かわかりませんが)成果が得られるのであって、それは相手がいれば相手にそれだけの価値を自分が与えたり、役に立つことが大切なわけです。
「他力本願」ではうまくいかないことのほうが多いわけで、そういう意味でも「自分で」というのが特に重要なことだと思いました。
いつか、皆さんの中でその神社に行かれた方いらっしゃったら、皆さまの体験談も聞いてみたいです♪
厳しいけれど、ちゃんと答えてくださる優しい神様だと感じました。
皆さまにとって、何かお役に立てましたら幸いです。
本日も最後までお読みくださいまして、どうもありがとうございました。
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