【マヴィ】2023/08/20 愛・生誕

今日は愛する男の誕生日です!!!!!生まれてきてくれてありがとう。おまえは私の人生における新しい色であり得難い熱であり鮮烈な花だ。

祖父と祖父の友達と祖父の妹達と共同で毎月俳句の小冊子を作ることになった。私だけガキなので不安だ。


以下はえめこの日記で扱ってた話題が好きだったので、関連した文章です。

自分の名前がよく分からなくなる感覚は、昔はあったが最近はあんまりない。しかしこれは単に、親が私の名前に祈りを一切込めず、記号に徹したことの功績かもしれない。
ただ(だからこそかも)名前と自分の間の距離とか浮遊感とか結び付きのなさについては感覚的に分かる。特に幼少期に強く感じていた。
今では、私と私の名前は馴染んだり結びつくものだとはあまり思っていない。私にとって私の名前は使い慣れた記号だ。自分の名前の響きには愛着を感じるが、「ムくュエ」とかでも良かったのだろう。

とはいえ私は、名前という記号が自我と結び付きが一切ないことについて、頭を悩ませたことが少ない。
私の場合は「どうして私(自分)は“〇〇ちゃん”なんだろう?」から始まって、「どうしてたくさんの人がいるのに私は“○○ちゃん”なんだろう?」「なんで私はたくさんの人間がいる中から“○○ちゃん”の自我担当に選ばれたんだろう?」「“○○ちゃん”の主観以外は体験(証明)出来ない。本当にみんな自我があるのかな? もしかして世界には私しかいないんじゃないかな?」的な疑問に派生し、比較的そちらへの興味の方が強かった。

特定の名前(記号・固有名詞)を己と結びつける不思議さや必然性の無さについては、割と納得している……というか、自分に限らず林檎とか金麦もそうだと思っていて、特別自分にまつわる問題だと見なしたことはない。記号化という人類の発明した普遍的なツールだと思っている。
でもそこに偶然性(代替の効かなさ)から生じるロマンチシズムのようなものがあるのは……これに関しては「分かる」も「分からない」も野暮な気がする。えめこの感性を大事にしてくれ。

名前も名詞も、動物がそういう概念を獲得すること自体は全然可能だと思うが、素の生態系だと名詞の方は難しいかも。名前は実質あるかもと思う。「一番強いやつ」「怖いやつ」みたいな感じで。
蟻は尻から出す汁の匂いで同じ種族でも別巣の蟻か同巣の蟻かを見分けられると聞いたことがある。ソースは幼少期に読んだ絵本なのでこの知識が今も正しいかは調べなくてはならないが、これがマジなら汁の匂いは人における固有名詞と言って差し支えないかもな〜と思った。

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