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誰もが自分らしく生きられる社会へ

西日本新聞の朝刊コラム「風向計」で、九州初の緩和ケア病棟を開設した栄光病院(福岡県志免町)の下稲葉康之さんが亡くなったことを知った。

クオリティー・オブ・ライフ(QOL)を「生活の質」ではなく、「いのちの質」と捉えて、終末期のいのちの質を追求し続けた人だったことを伝えていた。

栄光病院は、母が世話になったホスピスだ。ステージ3の末期でがんが見つかり、大学病院に入院するも、わずか3カ月で栄光病院に転院した。

移って間もないころ、病室を訪ねると、母がとてもうれしそうに「見てみて。これ、おひなさまよ」と話しかけてきたことを今も鮮明に覚えている。
25年も前のことだ。ちょうどひな祭りの日で、病室を訪ねてきたボランティアが偶然にも、私の小学校のときの保健の先生で、楽しく会話をしたというのだ。
大学病院のベッドの上では見せたことのない笑顔に、私もほっとした。

ここでは週に1回入浴ができ、母は気持ちよさそうにしていた。
「お花見」と称して、母を車椅子に乗せ、父と弟と4人で病院の裏の小学校の桜の木の下も歩いた。
最後の家族の思い出にという病院の計らいだった。

あの頃の私はまだ若くて、母に何もしてあげられなかった。
時々思う。母はどんな思いでがんを受け入れ、毎日を過ごしていたのだろうかと。
今の私なら、母の思いをいくらかでも受け止めて寄り添えたのにという後悔がある。

◇            ◇              ◇

テレビで、認知症当事者の胸の内や家族の葛藤、それでも認知症を受け入れて生きがいを持って歩む彼らの姿を描いたドキュメンタリーを見ながら、以前取材した認知症当事者とその家族の姿が重なった。

「自分の人生です。認知症になっても、生きている実感を持ちたいし、喜びも感じたい。その一つ一つの思いが明日につながるからです」
あのときの当事者の言葉を思い出す。

「いつまでも、住み慣れた場所で自分らしく」

これは、認知症の人や、その家族が生き生きと暮らせるまちを目指す福岡市のコンセプトだ。市政情報発信に関わった経験から思うのは、これは何も認知症に限ったことではないということ。

がん患者、難病患者、障がい者、LGBT、外国人… 私たちのまわりには、気付かないだけで、マイノリティ(少数派)の人たちがたくさんいる。

どんな人も自分らしく生き生きと暮らせる社会でありたいと思う。
その根底にあるのは、いのちの質の追求であり、人として尊重されることであり、相手を大切に思う心なのだ、と最近つくづく思う。

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