「圧」のあるエール

2019年、とある国際学会に参加したときのことである。
会期中の全日程が終了し、一息ついたところで、アジア人発表者たちの集いに誘われた。
集い、と言っても、それほど大がかりなものではない。
会場近くの店で軽食を食べつつ談笑するもので、10人くらいが参加することになった。

とはいえ、10人というのは結構な人数である。
職場の飲み会を思い出していただければ、想像がつくだろう。参加者全員と会話など無理である。
だからこそ、積極的に席を移動する人がいる。誰かがトイレに立ったり先に帰ったりした途端、グラス片手に空席に入ってくる人。
この時も確か、しばらく時間が経ってくると席替えする人が現れた。
こういう習慣って万国共通なんだな。

私の向かいでも、席替えが起きていた。
新たに座ったのはフィリピン人で、確かポスドクと言っていたと思う。
当時私も博士論文を書いている途中だったので、それを伝えたところ、こう返ってきた。

「それを本にする予定は?」

「本にしたいけれど、どうだろう、できるかわからないなぁ・・・」
私はそう口ごもってしまった。
実際、本が読まれない、売れないと言われて久しいし、町の書店が閉まるニュースは何度も聞いていた。
こんなご時世でもベストセラーをたたき出す書籍はあれども、ほんの一握りに過ぎない。
そんな状況は説明しなかったけれども、こうした実情を思った結果が先の発言である。
そんなテンションの低い発言を受け、彼は突然こう言ったのである。

「大丈夫だよー!書けばいいんだよ!!書いて、出版社に持ち込めばいいんだ!!そうすればきっと本が出せるよ!!!」

私のネガティブ発言は、この一言に一瞬で吹き飛ばされてしまった。
それほど、この発言には「圧」があった。
なんというか、その「圧」に押され、思わず「そうだね…ありがとう」くらいしか返せなかったのを覚えている。
何も威圧的だったと言いたいわけではない。芯のある自信、と言い換えてもいいかもしれない。
相手のネガティブ発言を慰めるべく、適当に取り繕った言葉ではなかった。
この人は心の底からそう思っているらしい、それがよく分かった瞬間だった。

そりゃもちろん、本なんて簡単にかけるものではない。
それでも「書けばいい」という言葉には、あの後何度でも助けられている。
本なんてまだ出す段階にはないけれども、「書けばいい」という言葉を信じたからこそ、何かを乗り越えた経験は一度ではない。
今後も、迷ったときにはこの言葉を思い出すのだろう。

心からのエールを送ってくれた、熱帯の国の住人に最大限の敬意をこめて。


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