異国性、何も知らないって強いよね
サンドウィッチマンのポスター広告を見てゲイに寛容な国なんだと台湾の人が勘違いした話や、意外とアメリカのほうがファッションで人のことを判断する保守的な国だとかそういう話と何周か前のあちこちオードリーで若林さんが言っていた光浦靖子の金髪メッシュの話が自分の中でコンフリクトしていた。
若林さんが言いたかったのは、なぜ日本では金髪メッシュにできなかったのか、光浦さんにメッシュにさせなかった何かが日本にはあるのではないか。つまり日本は出る杭を打つ息苦しい国なのではないかということなんだろう。
そうした真逆の話を同じ時期に目にし、日本はある部分では寛容であり、ある部分では締付けがすごい。そして欧米でもその締め付けの強弱は変わらないけれど、どの部分が緩く、どの部分がキツイのかが日本と違うことなのかと、はじめは理解した。
けれど、どちらかというとその国の空気をあまり理解していなくて、常識外れのことができるから光浦さんは金髪メッシュにできたんだろうなと思いなおした。外国人だと許されがちな気もするし。秋葉原で白人がピンク髪のゴスロリで歩いているのをニュースで見ても、別に文句をつけたいとは思わない。
それはつまり成田悠輔の言ってた異国性ってやつかなと思う。外国人はその国の常識を知らないから、非常識な行為をなんの後ろめたさもなく行い、その国の常識を変えることができる。逆に言えば、自国民は自国の常識を身をもって知っているから常識に反する行為をなかなか行えない。
ステータスゲームの観点から考えると同調圧力はステータスゲームのグローバルルールとローカルルールの両方を共有している集団内で起こるのだろうなと思う。その国の国民だからというだけではなく、何をすればステータスが上がり、逆に何がステータスを落とすのかを把握しているからこそ、下手に行動できない。
それに加え考えてみたいのは、ステータスゲームの観点からすると、仮にお笑い芸人光浦靖子が日本で金髪メッシュにしたとして、それはゲームにおいてどういう意味を持つのだろうか、ということだ。
金髪メッシュはもっとステータスの高い人(例えば女優、モデル)がやるはずのことだからお前なんぞがやるなという反発が起きるのだろうか。それとも金髪メッシュのやつにおもしろい芸人はいないという反発だろうか。つまり、ステータスの低いやつがステータスを上げようと高ステータスの人間を模倣するなんてやめろと周りの人間がやっかみを入れるのか、それともその行為によってステータスが下がり軽蔑されるのか。前者が多分、出る杭は打たれる現象のステータスゲーム的説明だろう。
何にせよ、ステータスゲームのルールを知らないことは人の制限を外すからこそ、自由に既存の仕組みを壊すことができるんだろうなと思う。