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陰湿な成長主義
成功じゃない、成長や!
ワールドカップが開幕した。我らがサッカー日本代表はドイツ、スペインと同組ということで、決勝トーナメントに行かずともリッチな相手と試合ができる最高のコンディションだ。
以前、日本代表の密着YouTubeで長友佑都が「成功しようとしたら失敗を恐れる。だから成長志向でいけ」といった旨のことを言っていた。その通りだ。
実際、TED Talks史上最も話すスピードが遅いのではないかと巷で話題のキャロル・ドゥエックもそう言っている。成功や他人からの高評価を最優先にすると、過程ではなく結果に手を付けたくなってしまう。そうなると改ざんや誤魔化し、嘘が増える(成果も掴めない)。肝心なのは過程、プロセスをいじることだ。
となると、やはり成長のための手段や工夫に注目するマインドセットが重要になる。つまり、どうすればもっと良くなるかを問うことが要になる。
成長主義とも言うべき、この考え方では成長こそが正義であり、成果や結果はあくまで成長具合を把握するための指標に過ぎない。成果が出たのなら、それは成長できたからということかもしれない。成果が出なかったのなら、改善して成長をすべきということなのかもしれない。
成長を追えば、失敗も批判も怖くない。
とはいえポジティブ思考すぎて自分で書いているだけで頭がくらくらする。まともにこのコンセプトを受け入れることは難しい。なので、陰湿に成長を追う考え方、折衷案を示したい。
失敗や他人からの批判は成長の材料であり、改善点が列挙された魔法のレシピとも言える。しかし、さすがに傷つく。程度こそあれ、いかなる失敗も他人からの批判も胸や心に突き刺さる。そんな時、自分の頭を麻痺させるように「これは成長の材料や!これは成長の材料や!」と唱えているといつの間にか頭が壊れてしまう。
ここで必要なのは、成長志向へのスムーズな移行だ。無理をして成長を求めようとすると、心の傷を見過ごし、時間が経つうちに膿んでしまう。そこで、普段のネガティブで繊細な思考体系から成長志向の思考体系へと橋を架ける。繊細さを切り落とすのではなく、上手く成長志向と融合させる。そのために必要なのは諦念だ。
失敗や批判に傷ついた後、諦める。諦めた後、成長を求める。しかも陰湿に。つまり、成長にすがるしかないと諦めるのだ。
成長は積極的な選択肢ではない。遺伝的、環境的には恵まれていない人間の数少ない道具だ。失敗と成功の二軸に世間の既成の価値観を掛け合わせたレーダーで自他を観察しルサンチマンを蓄えていくか、全てを成長に繋げるか、どっちがまだマシかという程度だ。
こんなクソみたいな思いは成長に繋げるしかないな、仕方ない。と諦念を挟む。完璧だ。いや、もっと良くできるかもしれないが。
ただ、まだ釈然としない。なぜなら成長のためには価値判断が必要になるからだ。良し悪しの判断基準がつまらない既成の価値観である間はまだ自由はなく、狭い見識に囚われたままだ。
勉強ができる方がいい、イケメンの方がいい、仕事ができる方がいい、恋人がいるほうがいい。これらの価値観をベースに自他の様子をジャッジし、できるだけステータス全体を大きくしようとする考え方は居心地が悪い。まだ他者の評価に縛られているからだ。
とはいえ、その価値観を指針にすれば、優位になれるのはあまり間違いなさそうなので、当分は従えば良いのかもしれない。
既成の価値観を塗り替えるのは既成の価値観でのし上がった強者だ。普通でくだらない思考と、ちょっとおかしな思考の両方を携えて、陰湿に成長を求めよう。
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