起こりうること
僕は自分のことを薄情な人間だと思っていた。
おばあちゃんの家で飼っていた犬が死んだ時も死んだという事実を認識するだけで悲しくはなかった。
僕の住んでいる家とおばあちゃんの家が近く、夕飯を食べに行ったりして、よくその犬とも遊んだけど悲しくはなかった。
でも今はとても悲しい。
最初は自分でも悲しんでいることに気づかなかった。
でもとても悲しい。
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僕の大好きな私立恵比寿中学のメンバーである安本彩花さんが悪性リンパ腫の治療で休養をすることになった。
このツイートのリプ欄に悪性リンパ腫は治療をしっかりすれば治る病気だということが書いてあった。だからきっと安本さんは生き延びてくれると信じたい。
それでもやっぱり辛い。
それは「なんで」と思ってしまうから。
なんで彩ちゃんが悪性リンパ腫になってしまうの。なんで彩ちゃんをさらに苦しめるの。なんで、なんで。
でも理由なんてない。たまたま。遺伝子的に、細胞的にたまたまそうなった。理由なんてない。
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僕は普通の人間だと思ってある程度まで生きていた。
でも自分の予想だにしないことが起こりまくり、次第に「ああー自分は普通の人間じゃないんだな」と思った。
それと同時に「なぜ周りはそうでないのに自分だけそうなんだ」とも思った。
そしてそういった被害者意識が自分の中でどんどんと膨らんでいき、行き場のない悲しさや寂しさや被害者意識に押しつぶされそうになった。(今だって受け入れられているわけじゃない)
そうやって自分が”普通の人”が経験しない苦しみを抱えていると知ったとき、僕は「起こりうることは起こるんだな」と思った。
そういう人がいるということは知っていた。世界の中で何%かの人がそうであることは知っていた。病名は知っていた、その病気を患っている人の特集はテレビで見た。そんな暮らしをしている人がいることは知っていた。起こりうるということは知っていた。
でも自分がそうなるとは思っていなかった。でもそれが起こった。
急に神様から指を刺されて「お前だぞ」と言われているような衝撃があった。
でもそんなものなんだ。サイコロが降られてたまたま自分だった。自分にそれが起こった理由なんてない。
でもやっぱり「なんで」と思ってしまう。理由なんてないと何度も自分に言い聞かせても「なんで」と思ってしまう。
それは「なんで」という言葉が「やめて」の裏返しだから。
「なんで」と言えば「不安がらせちゃってごめんね。もうやめるから」と誰かが言ってくれると思っているから。
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だからこのブログに綺麗な起承転結はない。
ただただ「なんでこんなことが起こってしまったのか」と思う気持ちを、誰に対しても向けられない非難の矛先を、書き連ねてこのブログに閉じ込めるだけ。
僕は親のようにエビ中を見てきてヒャダインの「最初の頃は安本は人気なかったよねー」という声を覚えている。
2018年のクリスマス大学芸会で披露した『えびぞりダイアモンド』のコメディな歌声と、無機質でなんの感情も感じない昔のCD音源との歌声の違いを覚えている。
メンバーが3人卒業(転校)した時、卒業ライブ前日に夜ベッドで泣いたとテレビのインタビューで言っていたのを覚えている。
人気がないことを悩んだり、パフォーマンスのことで悩んだり、メンバーが卒業して悲しかったり、りななんが亡くなって悲しかったり。彩ちゃん自身も体調不良で休養していて、やっと6人で足並みを揃えれるはずだったのに、なんでまだそんなことになっちゃうのと誰かに言いたくなる。
でも誰のせいでもない。ただの細胞のなんやら。誰が悪いとか悪くないの話じゃない。
そんなことは神様でも悪魔でも鬼でもFBIでも宇宙人でも、なんでもいいから何かでかいもののせいにすればいいんだ。とにかく安本さんのせいじゃない。誰のせいでもない。
ただ周りの人たちを信じて欲しい。
とにかく。