部活主義
ずっと書きたくて書けないことがあった。それはライフハックのようで、それよりももっと本質的なようで、よく分からないものだったからだ。
アイドルが推せない
ある時、アイドルをこれ以上推せないなという実感があった。特にデビューしたてのアイドルは無理だと感じた。それは、あまりにも切迫した使命感を彼女たちから感じたからだった。
アイドルの価値は一生懸命さだ。それは今スターダムにのし上がっている日向坂にも言えるし、一昔前のアイドル戦国時代から一貫した人気を誇るももクロもそうだ。ずっとアイドルは一生懸命であることによって推され、人々に勇気を与えている。
でもその一生懸命さは何に裏打ちされたものだろうか。なぜそんなにも一生懸命になるのだろうか。なぜモーニング娘。はロッキンのために暖房を焚いた部屋でレッスンをしたのだろうか。なぜ日向坂はヒット祈願のために駅伝を走ったのだろうか。
それが分からなくなった。と同時に怖くなった。一生懸命の出どころが分からない。その結果、10代の女の子たちがキリキリと自分の精神と肉体を切り詰めながらアイドル業をするところを見ていられなくなった。
そんなアイドルのあり方は部活みたいだと思った。高校野球のようだなと思った。この国の人は一生懸命さを評価するし、それを疑わない。
社会は部活?
そんな感覚から部活について知りたくなった。部活のあり方がどれだけ異常で日本人の国民性を形成しているのか知りたくなった。大学の図書館の蔵書検索で「部活」と調べて、どんな本があるのか、どれが一番自分の疑問を解決してくれそうか、半ばワクワクしながら探していた。部活が僕たちを苦しめているんじゃないか、という考えがぼんやりとあったのだ。
そして『日本の部活(BUKATSU):文化と心理・行動を読み解く』という本を読んだ。
その本の中で、日本の部活を象徴する”主義”が挙げられていた。
それは勝利至上主義(目的達成主義とも言い換えられる)、気持ち主義、一途主義、減点主義の4つだ。
あまりにも夢中で読んでしまっていたため、読書メモも取れなかった。そのため正確な引用もできないので、詳しい内容には触れない。けれど、なんとなく分からないだろうか。大会で勝つことばかりを目指してスポーツの楽しみを忘れて、気持ちが足りない!と顧問が檄を飛ばし、野球をすることだけに集中させられて、坊主にさせられ、恋愛を禁止され、良い部分を伸ばそうとするより悪い部分を徹底的に潰そうとする練習を。(もはやアイドルも同じようなものだ)
僕には心当たりがありまくった。目的を達成することばかりに目がいってその瞬間を楽しめず、上手くいかない理由を気持ちにばかり求めて自分を責めて何も解決できず、色々な価値観や選択肢があるはずなのに正解のルートは一つだと思い込んでしまって、一挙手一投足を論い、良い部分を評価できない状態に。
部活主義の逆へ
だから僕は苦しい時はなんとかそれらの逆を行こうと思っている。
結果じゃなくて過程を大事にして、気持ちだけじゃ解決できないことがあるから原因を洗い出して合理的に解決することを意識して、多様な価値観や方法があるから別の方法も探してみて、良い部分を積極的に評価しようと、そう思っている。
と言ってもそれがこの頃できなかった。視野狭窄になって辛かった。だから自分にまた教えるようにこの記事を書いている。
子どもの資本主義
國分功一郎先生が対談企画でこんなことを言っていた。
この部分を初めて読んだ時、あまりピンとこなかった。けれど、部活についてなんとなく理解した時、意味が少しではあるが分かった。
広告が顧問で僕たちは生徒だ。いっぱいお金を稼ぎましょう。やりがいのある仕事をしましょう。こんなものを買いましょう。そう外側から教えてくる。子どもの頃に内在化した、もしくは同化した顧問が内側から僕たちを勝利に執着させ、気持ちを出せと喝を入れ、競争しかないと教え込み、欠点ばかりを指摘する。
広告という顧問と頭の中に住む顧問、どちらも俺たちは正しいと言う。協力して僕たちを縛る。そんな顧問たちに屈してしまっていいのだろうか。
正直なところ僕には何が良いかなんて分からない。スポーツ推薦で良い大学に入る奴がいる。体育会系出身のお偉いさんが社会にはゴロゴロいる。と考えると、もしかしたら顧問と一緒に心中してしまった方がいいのかもしれない。
と言っても満身創痍で成功者になるなんて嫌だ。だから、そんな部活には是非ともおさらばしたいのだけれど。