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日本とメキシコの関係

【姉妹都市】
1973.10.23
仙台市 アカプルコ市  Sendai, Prefectura de Miyagi Acapulco

1978.2.16
名古屋市 メキシコシティ  Nagoya, Prefectura de Aichi CDMX

1978.8.3
千葉県大多喜町 クエルナバカ市  Otaki, Prefectura de Chiba Cuernavaca

1978.8.3 
千葉県大多喜御宿町 アカプルコ市  Onjuku, Prefectura de Chiba Acapulco

1979.10.2
埼玉県 メキシコ州  Edo. de México Prefectura de Saitama
1979.10.2
埼玉県さいたま市 メキシコ州トルーカ市  Toluca Urawa*, Pref. de Saitama

1980.10.20
京都市 グアダラハラ市  Guadalajara Kioto, Prefectura de Kioto

1996.5.20
和歌山県 シナロア州  Prefectura de Wakayama Sinaloa

2003.10.12
大阪府箕面市 クエルナバカ市  Minoh, Pref. Osaka Cuernavaca

2013.10.23
千葉県御宿町 テカマチャルコ市  Pueb Onjuku, Pref. de Chiba Tecamachalco

2014.11.6
広島県 グアナファト州  Prefectura de Hiroshima Guanajuato
▼経済交流に関する覚書
2014年10月22日
神奈川県 アグアスカリエンテス
Prefectura de Kanagawa Aguascalientes


■仙台市🤝アカプルコ市  1973年10月23日(2024年で50周年)

1614年(慶長19年)の慶長遣欧使節支倉常長アカプルコ上陸を縁とし、1973年(昭和48年)4月、駐日メキシコ大使来仙の際にアカプルコ市との姉妹都市提携希望の意向を伝え実現協力を依頼し快諾された。同年5月、駐日メキシコ大使の帰国の際にアカプルコ市側に対し、仙台市との姉妹都市提携につき打診。その後アカプルコ市側も姉妹都市提携の意向があることを公文書の交換により確認、同年10月23日議定書に調印し、姉妹都市提携に至った。

■名古屋市🤝メキシコシティ 1978年2月16日

1975年にロサンゼルス名古屋姉妹都市委員会より「メキシコ市とロサンゼルス市が姉妹都市であることから名古屋市とメキシコ市も姉妹都市提携を結んでは」との提案を受け、メキシコ市政府に提案したところ、経済発展の目覚ましい日本に関心を寄せていた当時のオクタヴィオ市長から積極的に検討する旨の回答をもらいました。その後、両市間の協議が重ねられ、1978年に提携へと至りました。

https://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/page/0000160650.html
プリーア大使とメキシコ人芸術家 ホルヘ・マリン 作「#AlasdeMéxico」
こちらの作品は両市の姉妹都市提携40周年を記念して贈られました。

https://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/cmsfiles/contents/0000123/123210/mexico40.pdf

■大多喜町🤝クエルナバカ市 1978年8月3日 

慶長14年フィリピン総督ドン・ロドリゴの一行がメキシコへの帰途に、大暴風の為、房総の御宿海岸に座礁難破したが、時の大多喜城主本多忠朝がこれら一行を歓待し、帆船を用意してメキシコへ送還した。これがメキシコ国との友好の始まりであり、現代では大多喜町の古式豊かな城まつりの開催に合わせメキシコ関係者を招待するなどメキシコ色も豊かになってきている。本町の町長等によるメキシコ国及びクエルナバカ市への訪問、及びメキシコ大統領の本町への来訪を契機として、メキシコ大統領の紹介により、クエルナバカ市と提携した。その後、当町観光協会等のメキシコ国及びクエルナバカ市への訪問、大多喜城まつりにおけるメキシコ関係者の招待や各種行事への相互の参加が多くなってきている。

https://www.town.otaki.chiba.jp/soshiki/kikaku/1/1/4/2/678.html

■千葉県御宿町×アカプルコ市 1978年8月7日

1609年9月30日スペイン船サン・フランシスコ号がメキシコに向かう途中、岩和田沖に座礁し、当時の岩和田村民が乗組員317名の尊い命を助けました。先人たちのこの偉大な史実から始まる友好の絆を後世に伝え、より深めるため、御宿町では9月30日を「日西墨友好の絆記念日」に制定しました。
絆記念日を中心に、当時の乗組員に対しての追悼式や献花式、様々な三国交流行事を開催しています。
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https://www.town.onjuku.chiba.jp/sub4/3/mexico_kinentou1.html

⑤埼玉県🤝メキシコ州  1979年10月2日 

昭和53(1978)年7月、県知事が中南米を訪問した際、在メキシコ県人会長からメキシコ州との姉妹提携について提案がありました。互いに首都に隣接し、人口増加が著しいなど類似している点があることから、昭和54(1979)年10月、姉妹提携締結に至りました。

https://www.pref.saitama.lg.jp/a0306/mexico.html

⑥さいたま市🤝トルーカ市 1979年10月2日 

埼玉県知事が中南米を視察した際に、メキシコの埼玉県人会より姉妹提携の希望があり、埼玉県・メキシコ州の姉妹提携に向けた調査検討が進められました。その過程で当時の駐日メキシコ大使より、首都に隣接する県(州)都という都市環境の共通性や人口急増などの状況も類似しているとの理由から、州都と県都の姉妹都市提携の提案があり、埼玉県とメキシコ州の提携にあわせ、旧浦和市はトルーカ市と姉妹都市提携を結びました。

https://www.city.saitama.lg.jp/006/012/004/p009894.html
さいたま市役所の東側広場にはさいたま市とトルーカ市の友好の証として「トルーカの鐘」があり、1日5回、その音を響かせています。

https://stib.jp/tasaitama/list/17.html

⑦京都市🤝グアダラハラ市  1980年10月20日 

1978年(昭和53年),メキシコ姉妹都市国際委員会事務局長から国際親善都市連盟事務局長にグアダラハラと京都の姉妹都市提携を希望する手紙が届き,その後,駐日メキシコ大使も数回京都市を訪問し,姉妹都市提携の申し込みがありました。さらに,グアダラハラ市議会から姉妹都市提携決議文が届き,ハリスコ州知事,駐日メキシコ大使が京都を訪問し,提携の実現と京都市長の訪問を強く要請しました。 1980年(昭和55年),京都市長がグアダラハラを訪問し,グアダラハラ市長も京都を訪問,姉妹都市盟約締結に向けて準備を進めました。同年,ハリスコ州知事,グアダラハラ市長の出席のもと,京都において姉妹都市盟約調印式が行われました。

https://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000096872.html
京都・グアダラハラ姉妹都市提携10周年を記念して,グアダラハラ市から寄贈された 
エスタンピーダ野性馬真鍮像
https://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000293196.html

■和歌山県🤝シナロア州  1996年5月20日 

1989年にラバスティーダ・オチョアシナロア州知事が仮谷和歌山県知事を表敬訪問したことをきっかけに、友好提携の話が持ち上がった。途中一時中断したが、1993年ベガ・アルバラード州知事の申し出により、駐メキシコ日本大使館の仲介で交流が再開し、1994年に本県で開催した世界リゾート博にシナロア州代表団が来県したり、本県議会代表団がシナロア州を訪問するなどの交流を重ね、1996年5月20日に和歌山県庁において、西口和歌山県知事とベガ・アルバラードシナロア州知事が友好提携協定書に調印した。


https://www.clair.or.jp/j/exchange/shimai/data/detail/1264
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/022300/simai/sima.html

■大阪府箕面市🤝クエルナバカ市  2003年10月12日

箕面市では、平成4年(1992年)より、メキシコ・モレロス大学の学生を受け入れ、日本語・日本文化の修得を支援し、ホームステイや文化交流など市民との交流を通じて友好親善、相互理解を促進してきました。
モレロス大学の箕面研修は、平成4年から令和元年の28年間に27次にわたって実施しており、モレロス大学からの箕面研修修了生も約200人に至っています。
モレロス大学の所在する現地・クエルナバカ市では箕面研修の修了生が平成5年(1993年)「箕面クラブ」を結成し、日本とメキシコの相互理解、友好親善の架け橋として、文字通り海を越えて各方面で活躍されています。
一方、箕面市でもホストファミリーが中心となって平成12年(2000年)「箕面メキシコ友の会」が結成され、中南米に対する理解と友好意識の深まりとともに、市民間交流が活発に展開されてきました。
そして平成15年(2003年)10月12日、両市の市民交流がさらに進展し、さまざまな分野において交流し、相互理解を深め、友好親善関係を築くために、国際友好都市提携を結び現在に至ってます。

https://www.city.minoh.lg.jp/jinken/kokusai/morelos_japanese.html
https://mafga.or.jp/program/sister_city_cuernavaca/

■千葉県御宿町🤝テカマチャルコ市  2013年10月23日

1609年の史実の主人公、ドン・ロドリゴ・デ・ビベロの生誕地であるテカマチャルコ市を平成23年に訪問してから親交を深め、テカマチャルコ市長より姉妹都市交流の意向を確認し、平成25年10月23日に調印しました。

https://www.clair.or.jp/j/exchange/shimai/data/detail/523

広島県🤝 グアナファト州 2014年11月6日

広島県はグアナファト州と、平成26年11月、友好提携を締結されました。これは、広島県として、経済交流協定に基づき、グアナファト州政府と連携し、進出企業の円滑な操業や、社員の生活環境の改善に向けた取り組みを進めてきましたが、友好提携の締結により、文化、観光、教育など様々な交流を深め、更なる経済交流の促進につなげたい意向と伺っております。

http://www.hiroshima-guanajuato.gr.jp/

http://www.hiroshima-guanajuato.gr.jp/index.html

https://news.yahoo.co.jp/articles/cdb27ce0c735dad74687c4515ffb1ace450a465b

番外編・経済交流

22.11.2014  神奈川県 / アグアスカリエンテス

神奈川県とメキシコ・アグアスカリエンテス州は、相互理解と友好関係を深めながら、両地域の発展に向け、経済交流の促進に協力して取り組むため、このたび「経済交流に関する覚書」を締結します。

https://www.nikkan.co.jp/articles/view/318745

▼政治関係

日本とは伝統的に友好関係にある。

外交関係は1888年11月30日に樹立され、第二次大戦中の一時中断を経て1952年に再開。

在メキシコ日本国大使館は1952年に、
駐日メキシコ大使館は1962年にそれぞれ開設。

2009年から2010年にかけて日本メキシコ交流400周年(1609年に当時スペイン領であったメキシコ出身のフィリピン総督が現在の千葉県御宿に漂着し、翌1610年に徳川家康の指示で提供された船でメキシコに帰国)。

2013年から14年にかけては、支倉常長慶長遣欧使節団(メキシコとの直接貿易を目指した伊達政宗が派遣)の出帆及びメキシコ上陸400周年を記念して「日メキシコ交流年」を開催。

2018年には日墨外交関係樹立130周年を祝賀する諸行事を実施。2022年は日本人メキシコ移住(1897年)から125周年を記念し、祝賀行事が開催され、2023年は外交関係樹立135周年。

良好な二国間関係及び中央高原(バヒオ)地域を中心とした進出日系企業並びにこれに伴う現地在留邦人の増加等を背景に、2016年1月、グアナファト州レオン市に在レオン日本国総領事館を開設した。

▼経済関係

 2002年10月、ロスカボスAPECにおける日墨首脳会談で日墨経済連携強化のための協定(EPA)の締結交渉を開始することで合意。日墨EPA協定は2004年9月17日にメキシコにおいて小泉総理(当時)とフォックス大統領(当時)の間で署名され、2005年4月1日に発効。2008年9月からの再協議により、双方の市場アクセスを拡大することなどについて2011年2月に実質合意に達し、これを踏まえた改正議定書が2012年4月に発効した。また、2018年12月に日本とメキシコもメンバーであるCPTPPが発効した

  • 日本の主要輸出品目 自動車部品、自動車、鉄鋼のフラットロール製品、音響・映像機器の部分品、金属加工機器等

  • 日本の主要輸入品目 電気機器、科学光学機器、豚肉、一般機器、塩、果実、自動車、非鉄金属鉱等

日墨EPA発効後も自動車メーカーや自動車部品メーカー等がメキシコで新工場や販売会社を設立する等、新規・追加投資案件が発表されている。進出日系企業数は中南米で最多となる1,272社(2021年10月現在)。










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