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衛星のねごと。



MELTの一世一代の大勝負。
今までMAX動員250人のくせに
王子小劇場を1週間レンタルしちゃって
予算もパンパンに膨らんじゃって、
書いたことないストーリー物のコントとか書いて
変に歌も映像もラップも入れちゃって
スタイリッシュだしコントやってるし
そんな欲張りハッピーセットな
公演をMELTはやってしまった。

やってしまったんだよ、MELTは。

旗揚げ公演から、
もっと言えば団体発足から
何となく周りに彷徨いていた私は
ずっと、そんな彼らを見ていた。

旗揚げ公演の『異能の人』の時、
私は
『コントなのに演劇すぎないか』
と、意見をした。

#2の『眠る島』のOPを観て私は
『こんなかっこいいOPやったら笑いづらい』
と、意見した。

でも、彼らの創作を
何となく、見ているうちに
彼らのやりたいことが何なのか
1年かかって理解した。

そして、『トマソン晩春』で
彼らはコントユニットとして
少しだけ認知される。
”コントやってます!”
と、銘打って、わかりやすいコントを
ポンポンと上演した。
もちろんウケたし評判良かった。
スナック菓子みたいな公演。


そこからしばらく空いて、
今回の公演だ。

佐藤佐吉演劇祭で
コントをやるか、演劇をやるか
きっと彼らはとても悩んだと思う。
(悩んでないかもしれないけど)
きっと、トマソン晩春のような
オムニバスコント公演をやれば
きっと、もっと簡単に評価されるだろう。
でも、彼らは敢えて、
茨の道を選んだのだ。


彼らが本当にやりたいこと。
音楽と、映像と、文学と、笑い。
それを融合させて
演劇も、コントも
全ての垣根を越えた『文化』を、
そして『時代』を作りたいと
そういう意志を、
貰った台本から感じた。

旗揚げ公演からずっと言われ続けてきた
『君たちは演劇をやりたいの?
それとも、コントをやりたいの?』
を、きっと言われるのだろう。
と、思った。
そしてその度に悔しい思いをするのだろう。
カテゴライズできない異端児として
扱われる辛さを受け続けるのだろう。

でも、彼らがやっているのは
演劇とかコントとかそういう次元じゃなくて
MELTなんだと思ってる。
そして、ただこの世界の悲劇を笑って欲しいし
感じて欲しいんだと思ってる。

きっとこれからも彼らは
新しい場所に、人に、出会う度に
『演劇なの?コントなの?』
と、言われ続けるのだろう。
そしてその度に、
悔しい思いをし続けるのだろう


旗揚げ公演から、
彼らが苦しみ藻掻く姿を
ずっと傍観していた。
主宰の平田も宇城くんも
私なんかよりも数億倍優しくて、
上手くいかなくて、悔しくて
傷付く周りの人達を
ずっと影で支え、鼓舞し、
MELTを続けてきている。
どんなに思うようにいかなくても
何度も心が折れそうになっても、
演劇の現場では『お笑いの人』と言われて
お笑いの現場では『演劇の人』と言われて
肩身が狭い思いをしても駆け抜けてきた。
そして今回、そんな彼らは
敢えてこの『スネーク・オイル』という
作品を作って勝負に出たのだ。


私は、これからもずっと傍観し続ける。
彼らに差し伸べられるのは
俳優としての仕事だけだ。
平田のように涙する幼馴染を励ますことも
宇城のように心が折れかける相方を支えることも出来ない。

むしろ、救われてる側なのかもしれない。


いつの間にか
人としてはとっくに壊れてしまって
人として何かを作ることの恐怖や
悲しむ人に手を差し伸べる優しさも忘れて
ただひたすらに仕事をする
マシーンになっていた私に
もう一度、人と作る喜びを
彼らは教えてくれたのだ。


感情を思い出させてくれた彼らの
大馬鹿者すぎる戦法の戦に
私も乗っからせてもらった。
結果がどうなろうと、
彼らにとっての初めての天王山に
参戦してやろう、と。
この船が沈んだ時は
『沈没早かったなぁ』
と、笑いとばしてやろうと思う。
それからひっそり泣こうと思う。


私がここにいる理由は、
演劇でもなく、コントでもない
MELTが好きだからだ。
全部やっちゃう
MELTが好きなんだ。


阿呆を丸出しで言えば
私はMELTはいつか
時代を作ると、本気で信じている。
そしてその時は
有難くお零れをもらおうと思っている。笑
そのいつか、を実現させるために
私は今日も彼らの後ろに
のらりくらりとついて行こうも思う。


そして、いつの日か
MELTが『MELT』として評価され、
彼らが見たかった景色を見て
満足している姿を
同列に並ばない私は
後ろから眺めていたいなと思う。

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