【短編小説】こうして僕は小説家を辞めた。#2
「りょうくん、りょうくん……」
僕を呼ぶ声が聞こえた。
美里の声だ。
変な時間に眠ったからか、それとも寝過ぎたせいなのか、
僕の体は布団に張り付いて離れない。
瞼もとんでもなく重い。
「りょうくん何してるの」
優しい声だ。美里はいつだって優しい。
「また不貞寝してたんでしょ」
なんだってお見通しだ。
きっと、僕がスランプに陥ってることも
美里は知っているのだろう。
「りょうくんは無理しすぎなんだよ」
……惨めだな。
吐き気が込み上げる。
「いろいろ考えすぎなんだよ」
何が無理しすぎなんだろうか。
物語も書かずに、働きもせずに
こうして部屋に引きこもり
何もせず布団に横になってる自分の
どこが『無理しすぎ』なのだろう。
「別に考えてなんかないから」
どこから口に出ていたんだろうか。
「好きで悩んでるわけじゃないから」
「わかってるよ」
「何をわかってるんだよ」
君と僕は人種が違うんだ。
「君と一緒にいると惨めな気持ちになる」
ふにゃりと、美里の顔が歪んだ。
「これ以上僕を、卑屈にさせないでくれよ」
彼女の瞳が綺麗なガラス玉に見えた。
透き通って、何も見えない。
ガラス玉はまたふにゃりと歪んだ。
「……ごめんね」
聞いたこともない音が聞こえた。
そしてやっと、自分の過ちに気がついて
我に帰った。
こういうとき、どうしたらいいんだろうか。
彼女に手を伸ばそうとしたけれど
その手はいつの間にか
何年も着回しすぎて
ボロボロになったアウターに伸びていた。
「どこいくの?」
「煙草、買ってくる」
空っぽの問いかけに
空っぽの返答。
ボロボロのサンダルを履いて
飛び出した。
「……ああ、惨めだ」
玄関の扉が閉まる音が確認してから
汚物のような言葉を吐き出した。
飛び出したはいいものの、
真冬の風は
オンボロアウターを容易く切り裂く。
おまけに素足で表に飛び出したせいで
指先は一瞬にして危険信号を出している。
煙草を買ったらすぐ帰ろう。
なんて、惨めな思いを巡らせた瞬間、
財布も何も持っていないことを思い出した。
ああ、本当に惨めだな僕は。
プライドと寒さを天秤にかけて、
僕はすぐに踵を返した。
重たい扉を開けると、
嗚咽が奥の方で聞こえて、止んだ。
彼女は、こちらに背を向けたまま
無言で丸まっている。
僕は気づかないふりをして
床に転がる財布を持った。
そしてそのまま、
素足なのにスニーカーを履いて
再び外へ。
惨めだ。
泣いている彼女を放って置いて、
ごめんも言わずに出て行くなんて。
いや、なぜ僕が謝らないといけないのか。
僕のことをわかったように
色々いってきた彼女が悪いんじゃないのか。
美里を見ていると吐き気がしてくる。
美里の笑顔を見るたびに
僕はどんどん卑屈になる。
気がつくと僕は
コンビニとは正反対の道を歩き、
大通りの歩道を歩いていた。
オレンジ色に照らされたアスファルトの上で
ただただ目的もなく。
僕は、なんで死ねないんだろう。
こんなにも、死にたいのに。
なんで物語を書いているんだろう。
誰のために書いているんだろう。
誰にも響くことのない作品を。
才能もないのにしがみついて。
『つまらない』と罵られて。
僕自身を否定されて。
気がつくと、僕はガードレールを越えて
大通りの白線の上を歩いていた。
それから、意味もなく靴を脱いだ。
生暖かいアスファルトの感触。
歩いた。
そういえば、今は何時なんだろう。
車が走っていないところを見るに、
深夜なんだろう。
スマホを置いてきたことに
今更気がついた。
なんでだよ。
なんで車が通らないんだ。
僕がこんなにも望んでいるのに、
せっかく勇気を振り絞ったのに、
どうして世界は
僕を殺してくれないんだ。
『小説家』でありたい僕が
作品を書けないっていうのに
どうして世界は
僕を殺してくれないんだ。
僕の存在意義がないのに
どうしてこんなにも。
気がつくと僕は
奇声を上げながら
白線の上を走っていた。
狂ったように、
いや、もともと
狂っていたのかも知れない。
才能のない僕が
小説家を名乗っている時点で。
行き場のない感情を、
文字に叩き込んで、
僕は、それに酔いしれて、
つまらない僕が、
いや、本当は、
つまらなくないと思ってた。
才能があると思ってた。
自分自身を信じたかった。
醒めない夢の中で、
ずっと、
ずっと、
ずっと、
ずっと、
ずっと、、、、
不意に、目の前が明るくなる。
光はこちらにまっすぐ向かってくる。
僕の足は止まらない。
今更止められない。
光も僕も止まらない。
大きな雑音は僕の奇声にかき消される。
もうなんでもよかった。
だって、僕は、
死にたいんだから。
甲高いブレーキ音が聞こえた時には
僕は衝撃とともに
アスファルトに叩きつけられた。
後頭部が強くアスファルトに叩きつけられる。
痛い。
痛いけど。
「馬鹿じゃないの?!!!!!」
倒れたまま、空を見上げると、
ホイールが回る音がリズミカルに聞こえ、
足から血を流した美里が
泣きながら叫んでいた。
「・・・美里の方が馬鹿なんじゃないの?」
僕はそこに倒れたまま、笑った。
そんな僕を無視して、
美里は僕の腕をつかみ、
歩道へ引きづろうとする。
「あれ、僕の自転車」
「だから何?!」
「カゴ、絶対曲がったって」
「知らないよ、そんなの!」
必死に引っ張る彼女をよそに
僕はなされるがままだった。
「君は僕と違う世界の人間だね」
その言葉に、彼女は動きを止めた。
僕の腕をぼとりと落とし、僕を睨む。
「・・・そうだよ」
彼女の顔が見えない。
「りょうくんが考えてることなんてわかんないよ」
そして遠ざかる。
「りょうくんのことなんてなんもわかんないよ」
僕はゆっくりと体をあげた。
「でも、りょうくんだって私のことわかんないでしょ」
彼女は転がる自転車に手を掛ける。
「わかんないよ」
足をペダルにかけて、彼女は僕を睨んだ。
「アンタのことなんて!!」
またブワッと、光が僕を襲う。
僕は声を上げて、光を避ける。
ブレーキをかけてバランスを崩した自転車は
がしゃんと音をたてて倒れる。
血塗れの彼女はまたこちらを睨んで
自転車に跨る。
「何してんだよ」
「轢いてあげるよ」
「え?」
「そんなに死にたいなら、思う存分轢いてあげる」
「はぁ?」
「人様に迷惑かけんな。私が轢いてあげる」
そういって彼女はまた僕に向かってくる。
本当に、彼女は
こんな時でも、僕を惨めにする。
惨めすぎて思わず笑った。
笑いながら走って自転車を避けた。
「笑ってんじゃねぇ!!」
彼女は僕に怒鳴る。
涙を溜めながら僕を何度も轢こうとする。
血塗れになりながら、
なんなら僕より惨めな姿で。
僕は笑った。
こういう時、彼女の心配をしないあたりが
本当にダメな男だと思った。
でも、可笑しかった。
どうして彼女が自転車で追いかけてきたのかとか、
轢き殺そうという思考回路になったのかとか
わからないことだらけだけど、
今はただ、馬鹿みたいに笑った。
ああ、本当に。
僕は惨めだな。
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もし、この命と引き換えに
『誰もが認める最高傑作』を書けるとしたら
僕は自分の命と作品のどちらを選ぶだろうか。
目の前に浮かぶ『この世のものではない何か』は
たった今、僕にその選択を迫っている。
なぜ、こんなことになっているのかはわからない。
わかっていたら、もっと面白くこの文章をかけると思う。
突然目の前に現れたその『何か』は
僕にもう一度、丁寧に、囁いた。
「命か作品、お前はどちらをとる?」
囁いた声に僕は、即答した。
「僕は、命を取ります」
すると『何か』は大きな溜息を吐いた。
「お前は本当につまらない男だ」
「才能のないお前は死んで仕舞えばいい」
『何か』は僕を散々罵倒する。
だから僕は、『何か』を殺した。
なんの躊躇もなく。簡単に。殺した。
僕はつまらない人間だ。
才能もなく、周りに煽てられ、
勘違いしたまま生きてきた。
だから、殺した。
そんな僕を見て、彼女は笑った。
「タイトルの時点でネタバレじゃん」って。
そうだなと思った。
でも、つまらない人間がつけるタイトルとしては
一番いいんじゃないかと思った。
これはつまらない僕の
つまらない人生を捨てる話。
『こうして僕は小説家を辞めた。』
終