【短編小説】幸せになってねと、君は笑う。


「知ってた」

彼女は笑った。
なぜこのタイミングで
そんな顔をするのだろう。

「なんでそんな顔すんの」

俺はどんな顔をしているのだろう。
皆目見当もつかない。

「……よかったよ、これで」

彼女は自分に言い聞かせるように
小さく、吐き出した。

*******


俺と彼女…小川との付き合いは2年だ。
同じバイト先の先輩と後輩。
と、言っても歳は同じだった。

人員不足の勤め先で
何故かアルバイト歴1年の僕が
彼女の教育係になり、
仕方なく教えることになったのが
仲良くなったきっかけだった。

そもそも、
自分自身が人当たりが良い訳ではなく
いわゆる人見知りなので
ワタワタしながら教育をしていた。

でも、沈黙が流れた時
いつも口を開くのは
彼女の方だった。

「沢田さん、何学部なんですか?」

今思えば
きっと彼女も
あまりコミュニケーションが
得意な方ではなかったと思う。
それでも、一生懸命に
話しかけてくれていた。
気を使ってくれていたのかもしれない。
でも、
その気遣いは俺にとっては
とても有難かった。

見た目は小動物みたいに
可愛らしいのに
蓋を開けたら
どうもなかなか豪快な彼女で
親しくなっていくうちに
女っ気はなくなっていった。

聞いたところによると
男兄弟しかいないらしく
きっとそれゆえの性格なんだろう
なんて、思った。

半年くらいだった頃には
立派な「女友達」になっていた。


「沢田、ラーメン行こうよ」

「『磯野野球しようぜ』みたいなノリで言うな、先輩だぞ」

「ココではね。でも歳は同じだから」


なんて、やり取りをしては
バイト終わりに
ラーメンを食べることもしばしばあった。


はたから見たら
男女2人でご飯に行くなんて
きっとデートなんだと思う。
でも、俺らにとっては
ただの「メシ」だった。


あれは、1年前の
ある日の事だった。

「新しく入ってきた社員、マジで使えなくない?」

「確かになー、インカムの喋り方も変だしな。てか小川笑ってたろ」

「あれはほんとに無理」

「まぁ店長笑ってたもんな」


カウンター席しかない
せまくるしい店。
横に並んで豚骨ラーメンを食べていた。
なんでもない、友達との会話。


「アイツの仕事遅いから今日ラーメン間に合わないかと思ったよ」

「それな。てか沢田今日終電大丈夫?バイクで来てんの?」

「え?」


彼女の不意打ちに思わず
箸を止め、スマホを見る。
スマホの画面は
月曜日の12時29分を示していた。


「まだ12時半じゃん」

「そうだけど、今日祝日だよ?」

「え?嘘?!!」


俺は慌ててカレンダーアプリを開いた。
今日の日付は赤く表示されている。
振替休日だった。
平日の終電は45分まであるが
土日祝日の終電は12時半。
そして今、この瞬間に
スマホの時計は12時半になった。


「おいおいおいまじかよ…もっと早く言えよ…」


落胆する俺。
その姿を見て性格悪く笑う彼女。


「ごめん、マジで気づいてないとは思わなくて…!!」

「笑ってんじゃねぇよ」

「だって…バカじゃん…!」


フゴフゴとラーメンを頬張りながら
人の不幸を爆笑する彼女。
全くもって可愛げのない悪魔だった。


「…ウケる…!」

「おいマジかよ〜、今日バイクじゃねぇよ…。帰れねぇじゃん」

「どーすんの、今日」

「いや、どーするも何も…えー…」


バイト先はいわゆる「郊外」というのだろうか。
そこまで栄えているわけでもない。
24時間の施設は
カラオケファストフード店か
その程度の店しかない駅だった。
ましてや大学生、大して金もない。


「うぇー、どーしよ、カラオケで寝るか…?」

「祝日だし絶対満室だぞ〜」


彼女はまた性格悪く笑う。


「ありえるな〜」

「てか、沢田がいいならうち来れば?」


さも当たり前のように
彼女は言ってのけた。
俺は思わず少し間を開けてしまう。
それから慌てて

「え、マジで言ってる?」

「うん、私明日休みだし。せっかくなら飲まない?」

「いやいやいや…さすがに…」


俺の反応を見て、彼女は
ニヤニヤと、見つめる。


「え、もしかして気ぃつかってんの?」

「いや、まぁ…別に…」

「気ぃ使わなくていいから、まぁ、酒1本奢ってくれればそれでいいよ」

俺と彼女は友達だ。
友達の家に泊まるくらい
なんて変わったことは無い。
当たり前のことだ。
と、俺は言い聞かせる。


「まぁ、小川が問題ならいいけど」

「じゃ、決まりね」



立ち寄ったコンビニで
ツマミと缶チューハイを数本買って
更にそこから15分歩く。
彼女は自転車を引いて歩いていた。
彼女は「2人乗りしようぜ!」
と、言っていたが、
さすがにそれはやめておいた。


着いたアパートは
女子が住むにはやや古めのアパート。
階段の手前の1階が
彼女の部屋だった。
玄関扉の横に置かれた洗濯機には
可愛らしいカバーが着いていた。

ガチャガチャと鍵を回し、
彼女は家の中に入る。


「どうぞ〜、狭いけど」


彼女に続いて家に入る。
入ってすぐ「女の子」の匂いがした。
こんな感想を持つのは
変態になるのだろうか。
でも、いわゆる、女の子の匂いがした。
整理された玄関に
女物の靴が並ぶ。

キッチンの奥の部屋は
白とブラウンに統一されていた。
ベッドの上に
謎のキャラクターの
ぬいぐるみが置かれている。


俺の落ち着かない様子に
彼女はまた笑う。


「立ってないでテキトーに座ってよソファーないからベッドでもいいし」


いやいや、さすがにそれは無理だろ
とも思ったけれど
なんだかその笑顔が
癪に障ったので
ベッドに座ってやった。


そんな俺の姿に
彼女は爆笑しながら
買ってきたばかりの缶チューハイを
ローテーブルの上に並べた。


「ポテチ食べる?あ、てかアイスもあるよ」

「いや、さっきラーメン食ったし」

「それな、まぁとりあえず飲むか」

「そうだな」


安物の缶チューハイを
2人で開けた。

そういえば、
2人で飲むのは初めてだなと
今更ながら気がつく。
複数人で飲む時は何度かあった。
その度に俺と彼女は
「酒が弱い」と社員にいじられ、
1度2人とも荷物置き場で
爆睡していたこともあった。
解散の時に起こされて
2人で頭が痛いと漏らしながら
帰ったりもした。


彼女はほろ酔い1缶で
もう、顔が真っ赤になっていた。


「あー、今日あんま飲めない日のやつだわ」


ゆでダコみたいな顔で彼女は
2本目に手を伸ばす。


「でもさ、宅飲みってなんか飲んじゃうよな〜」


そういいながら、
彼女は2本目を開けた。


「小川ほんと酒弱いよな」

「好きなんだけどさ、弱いんだよねー、強くなりたいなー」

「飲むしかないね」

「飲んで鍛えるかー、それしかないかー、そういう沢田もそんなに強くないよな」

「まぁね、普段あんま飲まんしな」


彼女は酔っ払うと
さらにケタケタ笑うようになる。


「でもさー、沢田ってさーなんでモテないんだろうなー」

「知らねぇよ、俺が聞きたいよ」

「別に顔はさ、悪くは無いじゃん?普通じゃん?」

「まぁ、それはわからんけど」

「え、実は性格悪いん?」

「お前よりかはいいとは思うけどな」

「きっつー!!」


彼女は手を叩いて笑う。
俺はそんな姿を見てつられて笑った。
彼女はそんな俺を見て
缶チューハイをガッと掴む。


「でもさ、前、言ってたじゃん?『彼女出来ても冷めてる』って」

「そうだっけ?」

「うん、言ってたのね?私覚えてるから。だからさ、そーゆーとこじゃない?」

「どういうこと?」


煽った2本目の缶チューハイ。
一気に流し込んでいるようだった。


「そういうこと言うからさ、女の子がさ『あー、付き合っても冷たいのはやだな〜』って思ってよってこないんじゃない?」

「そういうことなの?」

「絶対おると思うけどな〜、女なんて愛されたい生き物なんだからさ、付き合っても冷たいのとかやじゃん。」

「小川もそうなん?」


思わずした切り返しに
俺はハッとした。
なんか、変な風に捉えられそうで。
でも、彼女は相も変わらずヘラヘラと
「え、私ぃ〜?」と続けた。


「私だってそうだよ、愛されたいよ、やっぱり」

「なんかウケるな」

「は?!一応私だって女だからな?覚えとけ!」


近所迷惑になりそうなくらいの声を上げて、彼女は続ける。


「逆にさー、私は重いからさー、並大抵の人じゃ無理なんだよ」

「重いからさ」と、もう一度言って、
彼女はベッドによりかかった。


「やべー、2本でこんなになるとかまじでー」

「水飲め、水」

「せやなー」


彼女は千鳥足でキッチンへ向かう。
俺はそんな彼女を見送ってから、
彼女の飲んでいた缶チューハイを持ち上げた。
既にもうほぼカラだった。


「でもさー」


彼女がキッチンから声を飛ばす。


「沢田には幸せになってほしいなー」


俺は思わず吹き出した。


「なんだよそれ」


水道の音が聞こえる。


「幸せになって欲しいから」


水道の音が止まり、
「まじで酔うのはぇー!」と弱音が
廊下から聞こえてきた。
それからすぐに彼女は戻ってくると
俺をベッドから突き落とす。
…床に。


「もう無理!寝る!沢田床で寝ろ!」

「いや、寝るの早すぎだろ」

「無理!眠いし!ちょっとまってて」


クソがつくほどの酔っ払いになった彼女は
勝手にローテーブルのものを片付け始める。
それからローテーブルを端に寄せると
ガサゴソとクローゼットから
圧縮袋に入ったままの布団を出した。


「澤田はこれで寝ろ。勝手に出して勝手に敷いてくれ」


可愛らしいネコ柄の布団が
そこには入っていた。


「自分勝手だなー」

「私はもう限界だ、むしろ助けて欲しい」

「勝手に自滅したのは小川だろうが」

「だとしてももう私は寝る!あとは好き勝手にしてくれ!」


そういって、彼女は
電気も消さず、歯も磨かず
布団に入ってしまった。
自分勝手な女だ。
俺は、渋々布団を取り出して敷く。
開けっ放しのポテトチップスを
申し訳程度に口を閉め、
流しで口を濯いだ。

なんやかんやで、俺も少し酔っていた。
それから、
「幸せになって欲しいから」
という言葉を反芻した。


部屋に戻り、電気を豆電球にする。
オレンジの光の下、
彼女は既に寝息を立てていた。
こちら側に顔を向け、
すやすやと眠っている。

俺と彼女は友達だ。

俺は、彼女の寝顔を見つめた。
穏やかに眠るその顔を
可愛いと、思っている自分がいた。
口を濯いだにも関わらず
俺はもう一度
ローテーブルの上に置きっぱなしの
缶チューハイを飲み干した。

俺と彼女は友達だ。
彼女は俺を「友達だ」と紹介する。
店長に探られた時も

「沢田とはまじでないんで」
と、言う。
だから俺もそう続ける

「小川とはほんとに、なんもないっす」

…ほんとに、ないんだよな。
俺は彼女に背を向けて布団に潜った。
オレンジの中、彼女の寝息だけが
部屋に響いている。
それからもう一度、起き上がり、
俺は彼女の顔を見た。
相変わらず眠っていた。
少しの時間彼女の顔を見つめ
それから、そっと
彼女の髪に手を伸ばした。
そして、優しく触れてみた。

相変わらず、眠っていた。

気持ち悪いことをしていると
我ながら思った。
寝ている女の髪を撫でるなんて。

でも、本当は。
自分でもわかっている。
俺は、彼女のこと。

そこで考えるのをやめた。

布団に潜る。
彼女に背を向けて。
そしたら、彼女は
寝返りを打った。



*******


それから半年後。
彼女に彼氏が出来たと言われた。
話を聞いたら
彼女に似た豪快な男だった。
「お似合いだな」と言ったら
「そうでしょ?」と返された。

そしてそこから更に半年経って
彼女はバイトを辞めることになった。
最後にシフトが被った日、
俺は彼女を
久々にラーメンに誘った。
彼女は「久々じゃん」と、笑った。

食べ尽くした豚骨ラーメンは
あの頃よりも少し重くなっていた。

2年間、なんか色々あったよなー
なんて、思い出話をしながら
ラーメンを食べた。
時計が12時30分を過ぎた頃
俺たちは店を出た。


「いやー、今日で食べ納めかー!」

「別にまた食えるだろ、家から近いんだし」

「まぁね、そうなんだけどさ」


彼女はお腹を擦りながら
駅の方に歩き出す。


「駅まで送るよ」

「まじ?ありがと」


2人で、歩き出した。


「小川いなくなると仕事キツくなるなー」

「そうだよねー、私仕事できたしねー」

「いやいや調子乗るなよ」


あはは、と彼女は笑う。


「でも沢田には色々助けられたからなー、ありがとね」

「教育係だったしな、謎に」

「それはほんとに謎だった」


道の先に、駅が見えてきた。
スマホで時間を確認すると
終電まであと10分ほどあった。


「でもさ、ほんと、色々ありがとうだったよ、2年間」

彼女は言う。
俺は、おう、と相槌を打つ。

それから、沈黙。
距離感が、流れた。

なぜだか、今日で最後の気がした。
LINEも電話番号も知ってるのに、
今日で最後の気がした。
友達のはずなのに、
今日で最後の気がした。


「あのさ」

彼女は口を開く。

「あたしさ…ー」

「あのさ、俺」

それをかき消すように
俺は、声を出した。
怯んだ彼女を他所に
俺は、続けた。

「俺、小川のこと好きだったんだよね」

…卑怯で最低だと
自分でもわかっていた。
家に泊まったあの日よりもずっと前から
「友達」に呪われた俺が
言えなかった言葉を
今更、吐くなんて、
卑怯で最低だとわかっていた。

彼女は目を丸くする。
それから、ふっと息を吐いた。


「知ってた」

彼女は笑った。
なぜこのタイミングで
そんな顔をするのだろう。

「なんでそんな顔すんの」

俺はどんな顔をしているのだろう。
皆目見当もつかない。

「……よかったよ、これで」

彼女は自分に言い聞かせるように
小さく、吐き出した。

「私さ、メンヘラだからさ、めっちゃ重いのよ、こう見えて。だから、沢田みたいな優しい人と付き合ったらきっと沢田苦しめるからさ」

彼女は自分に言い聞かせるように
続ける。

「言ってたじゃん。『彼女出来ても冷めてる』って。私、好きな人には好きっていっちゃうからさ、負担になるからさ」

「俺、そんなこと言ったっけ」

「言ってたよ、ずっと前に」

彼女は続ける。

「知ってたよ、好きだったこと」

彼女は続ける。

「知ってた上で、家に泊めてたんだよ」

彼女は続ける。

「でもさ、これで良かったんだよ、きっと私は沢田のこと、潰しちゃうからさ」

彼女は続けた。

「だからさ、幸せになって欲しいから」









「ごめん、もう終電だわ」

「うん」

「ありがと、2年間」

「うん」

「元気でな」

「うん」

「じゃ」

「……バイバイ」



彼女と俺は友達だ。
2年間ずっと、友達だった。




fin

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