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【短編小説】Q&A

ここを『空間』と、呼んでいいのだろうか。
意識だけが確かにあって、
体が呼吸をしている感覚もあって、
僕、というモノが
存在していることだけは確かだ。
僕はゆっくりと話を始めた。

***

朝、目が覚めました。
時刻は7:38でした。
目覚ましはセットしていないのに
この時間に目が覚めました。
何時に寝たのかはわからないけど
最後に時計を見たのは0:52でした。

寝る前に、間接照明を消しました。
布団の中に入ると
ぐるぐると、まぶたの中で
黒いモヤが蠢いていって、
そのうち赤黒い煙みたいな景色が
広がるんです、まぶたの中で。
あぁ。今日もか。
なんて思っていたら朝になってました。
目が覚めたら、カーテンを開けて
それから顔を洗って歯を磨きました。
冷蔵庫の中に最後の2枚になった食パンと
消費期限直前の生卵があったから
それを焼いて、
トーストしたパンにのせて全部食べました。
コーヒーも入れたと思います。

それから、洗濯物を回しました。
天気は曇りだったけれど
どうしようもなく溜まっていたので
仕方なく回しました。
洗濯物を待っている間に
溜まったペットボトルを袋に入れて
ゴミ出しに行きました。
それから、部屋に掃除機をかけました。
カーペットにシミが着いてました。
気づくのが遅くて落ちなさそうだなって
なんかおかしくなって笑ったんです。

それから…


***

「もう大丈夫」

向かいに座る人が、そう言った。
向かいに人が座っていた。

「わかったから」

のっぺらぼうの人間。
対峙しているはずなのに
僕には顔が見えない。

「たくさん思い出してるね」

言葉が聞こえたから答えた。

「そうだよ、たくさん思い出してる」

子供みたいな返答を
ゆっくりと、確実に音を発する。
そうすると、音が返ってくる。

「じゃあもう少し続けて」

向かいに座る人はそういうと、
少し息を吐いて
椅子の背もたれに寄りかかった。


***

コーヒーを入れた気がします。
窓を開けたら、太陽が眩しくて
痛いなと思いました。
それから、スーパーに行きました。
冷蔵庫の中に何も無かったから
水と、野菜を買いました。
あと、冷凍食品。

歩いていたら、すれ違いざまに
赤ちゃんをのせた自転車が横切って
僕はそれを目で追いかけました。
目で追いかけて、それから、
何となく、公園に行って、
ブランコに乗ったんです。
久々にブランコを漕いだら
すぐに酔ってしまって、
それから。
それから…


***


「わからない。と、言われたんです」

口が勝手に動いた。
これは、僕の記憶じゃないはずなのに。

「誰に?」

のっぺらぼうは訊ねる。
その声すらものっぺらぼうだ。

「…わからない。でも、確かに」

「そうなんですね」

乾いた相槌の後、その人は続ける。

「その時貴方はどう思いましたか?」

僕の口は、
僕の意志とは無関係に動いた。

「痛い。と、思いました」

「痛い?」

「いや、違うかもしれません。悲しかったです」

二言目は僕の言葉だ。
記憶が無いから、何となく訂正をした。
きっと、今、もし僕が言われたら
そう感じるだろうと思って答えた。

目の前の人は、そう。と、吐いたあと、

「ブランコの続きは思い出せますか?」

と、聞いてきたから
僕は、はい。と、答えて続ける。


***


ブランコを漕いだ後、
家に帰りました。
なんとなくお腹がすいたので、
食パンを食べました。
何もやる気が起きなかったから
そのままで食べた気がします。
コーヒーも入れた気がします。
それから、洗濯物を回して。
でも、雨が降って来たから。
そう、雨が降ってきたから……


***


「……雨が、降ってました」

「うん」

「来たんです、人が。
インターホンが鳴ったんです。
僕は顔を洗ってたから。すぐ出れなくて
慌ててモニターをつけたら後ろ姿が
微かに映ったんです。
僕は慌てて部屋のドアを開けました。
そしたら、ただの新聞の勧誘の人だったんです」

「どうして出たの?
普段は宅急便以外出ないのに」

「……帰ってきたと思ったんです」

「誰が?」

「……君が」





「私が?」

「そう、君が。
帰ってきたと思ったんだ」

「どうして?」

「わからない。どこかでずっと
期待しているのかもしれない」

相も変わらずのっぺらぼうの人。
目の前に、確かにいる。
僕は手を伸ばしてみた。
こんなに近いはずなのに
届く気が全くしなかった。

すると、のっぺらぼうは、ぼうっと
聞き覚えのある声で

「君は全く嘘つきだね。
本当に、嘘ばっかり」

と、放った。
その言葉に傷ついたはずなのに
どこから音が出ているんだろう。
なんて、関係の無いことばかり気になった。

「嘘なんてひとつもついてないよ
ずっと、もっと解りたかったんだ」

「何を?」

少しだけ、考えた。
僕が解りたかったこと。
思い出したかったこと。

「……君を」

僕の口からこぼれた言葉は
どうしようもないほどにか細かった。
それから。
何も聞こえないはずの世界で
僕の耳だけに響いたホワイトノイズ。
どれだけの間聞いていただろう。
そして、ノイズは通り過ぎて行った。
彼女の声と共に。


「…嘘つき」


無機質に言い放たれた言葉は
僕の心臓を正確に刺す。
痛い。と、感じた一瞬の隙に
のっぺらぼうが机をとん、と手で押した。
そこで初めて
僕と彼女の間に机がある事気づいた。
そして、のっぺらぼうが彼女だとも。
ふわり、と空間の重力が無くなって
緩やかに、でも残酷に
僕と彼女は離れていった。


「どうせまた、忘れるんでしょう?」



遠くから飛んできた声はボールみたいで
慌てて取りに行こうとしたのに
あまりにも急すぎて取り損ねてしまった。
絶対に、落としちゃいけなかったはずなのに。
絶対に。絶対に。






***


醒めた僕は、ベッドの上にいた。
自宅のベッドの上。
いつ眠りについたのかも
全く覚えていない。
習慣づけられた行動を無意識に始めた僕は
カーテンを開けた。
空は曇っていた。
散らかりきった部屋が
薄い光に照らされている。
何日も前に食べた
スーパーの弁当ガラが放置されたまま
机の上で干からびて死んでいる。


ひっくり返ったコルクボード。
僕はそれに手を伸ばす。
その刹那、スマートフォンが鳴いた。
くるりと踵を返して
ベットに落ちているスマホを手にした。
電話のベル。
この前離婚して傷心の友人からだった。


「…もしもし?」

「なぁ、なんで飯に誘ってくんないの?」

寝起きの僕の耳に飛び込んだのは
人の気も汲み取れないほど
へらへらとした友人の声。

「どういうこと?」

「離婚した友達をなんでご飯に誘ってくれないのかって聞いてんだよ。こんな時くらい誘えよ」

「俺なりに気を使って誘ってなかったんだよ。馬鹿だな」

「はいはい。期待した俺が馬鹿だったわ」

びっくりするくらい明るい声が
僕の意志とは正反対にポロポロと出ていた。
外はこんなに曇りなのに。

「……んじゃわかったわ。何食いたい?奢るから」

「叙々苑」

「シバくぞ」


時々、思うことがある。
人という字は、
人と人とが支え合って出来ている。
とか、言うくらい
人という生き物は弱くて、
だから辛いことがあった時くらいは
さらけ出せればいいのにって。


「じゃあ明後日の夜な」

「わかったよ。また連絡するわ」

「おう。無理すんなよ」


電話を切ってから、部屋を見渡した。
世界は確かに進んでいるはずなのに
この部屋だけはずっと、死んでいる。
部屋の外に出れば僕の時間は
確かに進んでいるはずなのに
この箱の中はずっと、あの時のままだ。
そしてそれを誰も知ることがないのは。
僕があまりにも、
そう。
あまりにも強かったからであって。



わからない。と、言われた。
かつて、共に過ごしていた人に。
わからないから、言って欲しい。と。
僕には言っている意味がわからなくて
何も返すことが出来なかった。

わからない。
僕は僕自身が分からない。
強いのか、弱いのか
明るいのか、暗いのかさえも。
人間誰しも二面性があるとは思うけれど
僕は僕が分からない。
ドアの向こうに出た時
僕は、社会性という鎧を装備して
笑顔で振る舞うのだ。
それが人間生活だから。

よろよろと、洗面所に向かう。
徒歩数十歩を重ねて、
蛇口をひねり、ふと、鏡を見た。
そこには僕が映っていた。
ボサボサの髪と、
いつからかこびり付いたクマ。



わからない。と、言われた時。
僕は何も返すことが出来なかった。
きっと、思うことは沢山あったはずなのに。
話さなきゃ行けないことが
沢山あったはずなのに
僕の頭の中は空っぽで
空っぽで、空っぽで、空っぽで。

からっぽで。


どうして、
僕は君を拒絶してしまったんだろう。


あれ。
拒絶したのは君じゃなかったっけ。
君が、拒絶したんじゃなかったっけ。
返さなくなったのは君で
僕は必死にドアを叩き続けた。
ドアを叩いたのは僕だったはずで、
どこの、ドアを
叩いていた、んだっけ。


間抜けた音で
スマホが鳴きはじめた。


我に返った僕はスマホを取りに走った。
なんで走ったのか。
もう脊髄反射だ。
でもどうしてか、走った。
LINEを開いたらただのクーポンだった。
その通知を非表示にして
それから僕は急かされるように
スマホをスクロールする。
奥の奥の奥の方。
君の名前。
僕はそれを開いた。




『誕生日、おめでとう。
これで最後にするね』



そんな文章が綴られていた。
3ヶ月前のLINE。
違う。そんなはずはなくて、
僕はいつから……

違う。僕は。

部屋を見渡した。
確かに時が止まっていて
でも、ドアの向こうに出れば
また時は動き始めるはずで
だって昨日も外に出たじゃないか。
昨日は雨が。
雨が降っていたはずで……


雨が降ったのはいつだっけ。


あれ、僕は
いつからここで
死んでいたんだ?
僕は……僕は……



『話がしたい。
どうして拒絶するのか教えて欲しい
嫌なことがあったら教えて欲しい
もうダメになったとしても
せめてちゃんとお別れしたい』



僕が。




『何も言ってくれなきゃ分からないよ
本当はもっと頼って欲しいのに
だって私達、もう家族みたいなものでしょ?』



……話せなかったのは
僕が強過ぎるという、弱さのせいで。
もっと、簡単に壊れてしまえればよかったのに。


ふと、姿見に目をやった。
そこに映ったのは
ヨレヨレのスウェットを纏った僕。
僕は泣いていた。
いつから泣いていたんだっけ。


そうだ、たくさん思い出したよ。


あの日は、雨が降っていて
部屋を飛び出した君を
本当は追いかけなきゃいけなかったのに
どうしてもそれが出来なくて
1人ここに取り残された。
しばらくしてから電話が掛かってきたのに
その音は僕にとって
怪物の金切り声みたいで出れなかったんだ。
それから。
LINEを開くのが怖くなった。
君の顔を見るのが怖くなった。
君の言葉を聞くのも怖くなって、
何も見えなくなった。
忘れようとしていたのは僕で、
でも、本当は追いかけたくて。

そう。
全部、手遅れだ。
もう今更、なんて言葉をかけていいか
わからない。
元に戻るにはあまりにも
僕と彼女の時間が離れ過ぎてしまった。



僕は右手にスマホを握りしめたまま
カラカラと、窓を開けてベランダに出た。



高さを失った薄灰色の空が
視界には拡がっていた。
いつもより色の濃くなった世界。
水分量があまりにも多い空気に
思わず僕はむせ返る。
確かに、ここは現実世界で
すぐそこに広がっているはずなのに
ベランダの柵を隔てて
切り取られてしまっているみたいだった。


話したい事があった。
本当は僕は弱虫で
でも甘え方も忘れてしまって
強く生きなきゃいけないと
御伽噺みたいな現実世界が洗脳したせいで
いつしか言葉を失って
そのうち思考も無くなって
何も言えなくなってしまった。
僕は、僕は
全くの、嘘つきなんだ。


僕は、電話帳を開く。
「何かあった時の為だよ」
って、交換した番号に掛けた。
ダイヤルの音。
ダイヤルの音。
ダイヤルの音。





何度も思い出す朝がある。
目が覚めた時、
トーストとコーヒーの匂いがして。
食べてる時に
カーペットにシミがついてることに気がついて
これは昨日零したスープのやつだって
笑いあったんだ。
スーパーには2人で出かけて
1週間分の食事を買いに行って
帰りにブランコに乗ってはしゃいで
冷凍食品を買っていたことも忘れちゃって。
そんな日を何度も何度も
繰り返していたはずだったのに。

目が覚めたら、また
あの頃に戻れていないかな
なんて、そんなことを夢見ていた。
けど、
壊したのは、壊れたのは
君じゃなくて、僕だった。

僕が、こうなってしまったから。
僕が、こうなってしまったのは。





切り離された世界の先に
僕の電波は届かなかった。
今日はなんだか疲れてしまった。
屍みたいにゆらりゆらりと
僕はまたベッドの上に吸い寄せられた。

掛け布団を被った。
そうしたら今度こそは
君に会えるのかもしれない。




そんなことを思ったはずなのに
僕はこんなことを思いながら目を閉じた。
伝えなきゃいけなかったことを
思い出さなきゃいけないことを





また、忘れるために。







fin.

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