キャラを性的に見る/見れないの境界線は何か
事の発端
先日、ポ〇モンカードの練習会で雑談していたとき、チムメンの一人からこんな発言があった。
「8月にディ〇ニーのカードゲームが発売されるらしいぜ!
ディ〇ニーはア〇と雪の〇王のエ〇サとか可愛い"WAIFU"がいっぱいいるか
ら人気も凄そうだよな!!楽しみだぜ」
彼の名前はスティーブ。誰にでも優しいいつもスマイル元気なおじさんって感じのグッドガイである。少し問題があるとすれば、"WAIFU"という単語が気に入っているのか、ポ〇モンカードの女子SRを見るたびに毎回「Good WAIFU!!」と言いながら、俺に満面の笑みで共感を求めてくるところで、その度に俺は持ち前のジャパニーズ愛想笑いで躱していた。
WAIFUという単語を説明するwikiとかでは特に明言はされていないけれど、文脈とか使われ方でなんとなく、WAIFUという単語には性的な感情もひっくるめて「好き」という感情を表すものな気がしていた。
まあそもそも今時のオタクは「俺の嫁」なんてあんまり言わないのでほぼ死語なんだが、まあそうでなくても好きな女の子キャラに対して「えっちだ…」とか、「エッッッッッッッッ」とか、「○○ママぁ…」だとか、とりあえず「好き」以外の言葉で己の劣情を叫ぶ文化自体は変わっていないし、訂正するのは野暮ってもんでスルーしてきた。この概念を的確に説明する英単語が”WAIFU”以外に思いつかないし。
だが今回のディ〇ニーキャラに対してWAIFUを使ったことに対してはなんとなく違和感があったので反論した。
俺「いやディ〇ニーキャラとかもWAIFUとみなしてるの?笑 それは流石に変だよ」
ス「いやなんで?可愛いしWAIFUだろ?エ〇サとか」
こいつめちゃくちゃエ〇サ好きやん…ってのは置いといて、どうやら彼の考えているWAIFUと起源である「俺の嫁」の間に少し乖離があるように感じたので改めて説明した。
俺「いや確かに可愛いよ。でも俺たち日本人はごく一部の変な奴()を除いてディ〇ニーキャラをWAIFUと言わないよ。理由は…なんというか、こうファミリー向けというかキッズ向けのキャラは、"innocence"があるというか、劣情を感じることに罪悪感が邪魔をするというか…」
"innocence"という単語は、ぱっと出てきた割にこの議論のキーワードになる気がした。日本語でいえば、「純真、純潔、無垢、無罪。」
思いつくディ〇ニーキャラ達にこれが当てはまらないのはいないなと思った。
しかし途中から歯切れが悪くなったのはその後の展開が少し読めてしまったからだ。
ス「いやお前らがいつも言ってるWAIFUも「女子学生」だし十分innocentじゃん」
負けでいいです!
「罪悪感」が分かつ、性的に見る/見れない
結局これに上手く反論できなかったのは、俺が昔スティーブにポ〇モンのユ〇リちゃんをMy WAIFUと言ったことがあるなと思い出したせいでもあり、日本においてJKのキャラが最も人気が高く、最も性的に見られているという文化を全身で感じていたせいでもあった。彼女たちは未成年であり、大部分が十分にinnocenceを兼ね備えているはずなのにである。
家に帰ってからもずっとこのことを考えていた。なぜディ〇ニーキャラとか、ファミリー向け、幼児向けのキャラにWAIFUという単語が似合わず、他のアニメではWAIFUと言ってしまえるのか。まあ、創作物といえどinnocentなJKを性的に見ることを絶対的に是とするわけではないけれど、なんとなく、オタク文化においては創作物に限り、少しえっちな目で見ることが許されている節がある。だって実際えっちだし…
鍵となる基準は「罪悪感」だと思った。
オタクなら聞いたことがあると思うが、「本当に好きなキャラでは抜けない現象」※というものがある。賛成派と反対派がいて、かなり物議を醸している現象ではあるが。
※参照:
https://hayabusa.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1390312107/?v=pc
それは、その子が好きすぎるあまり、感情が「好き」から「愛」と化し、対象が単なるキャラクターではなく人間と同等の存在となり、性的に消費することに一種の罪悪感を感じるため生じる現象だと私は考えている。罪悪感は、自身の行動が道徳から外れたとき、人に迷惑をかけたときに生じる感情で、ただの創作物の登場人物であれば普通は感じ得ないものである。誰にも迷惑をかけず、そうした罪悪感がなければ、好きなキャラに対してあれこれ言うことも性的に見ることも憚られない気はする。
ではディ〇ニーキャラ達はどうか。上記の現象のように、本当に好きかどうかは関係なく、そういう風に見たことがない人が多いのではないか。
これは、キャラデザが日本アニメと比べてえっちに描かれていないという前提は抜きにして、そもそも元からそういう目で見ること自体タブーとなっており、それがそのまま罪悪感につながっているためと考えられる。なんというか、キャラじゃなくてディ〇ニーブランドそのものにinnocenceがあるというか。
また、これについてはディ〇ニーと他の日本アニメの消費者が所属している文化・社会が全く違うことは無関係ではなさそう。
ディ〇ニーは万人が観れるものであるが、メインのターゲット層はやはり子供が中心であり、親と一緒に観ることが想定されており、アニメオタクがブヒブヒ言いながら観ることは想定されていない。あんまり人の性癖にとやかく言うべきではないけれど、そんな文化・社会層に向けられている創作物に対して、WAIFUを叫ぶのはいやまあ普通にドン引きである。
他方でポ〇モンの二次創作で少しえっちな絵が多い理由はこの文化・社会性の違いだと推測している。確かにポ〇モンもディ〇ニーと同様にメインのターゲット層は子供であるが、ディ〇ニーよりも成人男性のファンが多いし、元よりゲームが発祥なのだからめちゃくちゃオタク文化と相性が良い。そのコンテンツを楽しむオタクの母数が多いので、罪悪感はディ〇ニーに比べて相対的に小さく、自然とキャラのWAIFU化は進んでいくのではないかと考えた。
とまあ特に何かのソースがあるわけでもないしあくまで仮説止まりなんだけど、ディ〇ニーのWAIFU化に感じた違和感の正体は粗方言語化できたんじゃないかなと思う。今度スティーブに会ったら伝えてみる。