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メッセージ
こんにちは。
いきなりですが
最近はとても便利な時代になりましたね。
今の時代SNSが普及し、色んな情報を知れる時代となりました。
それはとても良い反面、知る努力をせずともある程度の情報を得れる様になったとも捉えられます。
僕個人としては、それはとても怖いことで、どの業界においても言えることだと思いますが、物事を本質で捉えられず流行り廃りで物事を判断し同調圧力により正当化される。
そんな流れになってると思います。
それが悪だとは思いません。
流行るということは間違いなく何かしら良いものを秘めているということです。
しかし、それを受け取る側が本当に100%で受容して考えられてるかということです。
つまり何が言いたいかというと、考えることを放棄していないかということです。
どうして自分はそれを良いと思ったか、なんでそれは良いのか。
小さい事一つ取っても今持ってる端末一つで知ることができるのに放棄していませんか?
今ほど情報が飽和していなかった時代に遡ると、自主的に有識者、紙媒体などから学んだりしなければ詳しくはなれませんでした。
今の時代、サブスクやらファストファッションやら便利な時代になった分、何かをする為に対価を支払うという行為が薄れていっていると思います。
何を得ようと、知ろうとする為の努力を放棄することは冒涜に等しいと。
僕はそう考えます。
もしかしたら、僕は歳のわりに時代遅れな考えなのかもしれません。
言い方を変えればそれこそ柔軟性が無いとも捉えられます。
しかし、僕には一過性で済ましてしまう事は耐え難いものだと思ってしまうのです。
刹那的な感情をしっかりと自分の中で処理することが本当の意味での理解なのかなと思います。