登場人物が増えると許容量がいっぱいになる
ある時突然、
親しくしていた人たちから離れたくなることがある。
今までの人生でも数回、
趣味のコミュニティから突然抜けたくなったり、
SNSで親しくしている人たちの投稿を見られなくなったりと、
まるでそこで共有した時間がなかったかのように、彼らから離れたくなった。
私は組織やグループといった特定の人たちと親しくなっていくことが苦手だ。
そういう場に身を置くと、どうしてもいろんな人の情報が入ってくる。
仕事の話や、家族の話、趣味の話、かなりプライベートな話。
最初のうちは、楽しく聞いてられることもできるが、
どんどん情報が入ってくるとある瞬間から「もう知りたくない!」となってしまう。
他人の情報で自分のコップが満たされていき許容量がいっぱいになってしまうのだろう。
最初のうちは透明な水として入ってくるが、徐々に濁水が混じってきて最終的にコップ全体が濁ってしまう。
すると「私の存在」が見えなくなるのだ。
登場人物が増えていくとあっという間に許容量オーバーになってしまう。
不思議とニュースや芸能情報などはそのコップには入らない。
親しくなった人たちの右から左へ受け流せばいいような他愛のない話で満たされていってしまうのだ。
私は昔から「気にしい」だった。
うちは両親が自営業だったので祖父と祖母と過ごすことが多かったのだが、
家族といえども祖父祖母に気を遣っていたのを覚えている。
こんな些細なことだが、私には周りの人たちの顔色をうかがう癖のようなものが処世術として身についてしまったのかもしれない。
そのため、大人になってからも、
自分よりも周りの人たちがどうした、こうしたに意識が向きやすいように思える。
今ここに書いていて、なんとなく自分の謎が解けてきてしまった。
キーワードは「親しい人」だった。
そんなに気を使うこともないのだな。
登場人物が増えても許容量がいっぱいにならないように受け流す。
今は周りの顔色を伺う必要はないし、他人の情報を無駄に入れていく必要もない。
そもそも入れなくてもいいのだ。
選択肢はたくさんある。
コップが濁らないように常に循環を良よくしていけば良い。