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声を届ける。



 曇り空から時々届く眩しい日差しで、まだ8月であることに気づく。風が涼しくなってきた、8月最終日の昼下がり。1日だけの休日をどう過ごそうか、考えているうちに、午前中が終わってしまった。

 仕事中、患者さんの給食に影響されやすいわたし。いつかの給食にビビンバが出た日、どうしてもビビンバのことが忘れられなくて、ビビンバの素をストックしていた。きょうは、それを使って、チーズ石焼ビビンバ風のチャーハンを作った。焼き肉を食べに行きたい。


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 恋人と別れてから、半年が経った。精神状態はおおむね落ち着いている。別れた恋人との結婚を望む精神は、周囲からは理解されがたいようだが、わたしはいたって正常だ。不順な月経も相変わらず。新しい恋人もいない。ひとりの生活を満喫中。
 飲食店関連のコロナのクラスターが発生してしまったので、お気に入りのお店は休業中のところが多いし、いまだにクラスター関連の感染者の発表があるから、わたしも自粛中だ。

 ひとりで過ごすことは嫌いではないし、割と好きな方だけれど、好きな人たちとはできるだけたくさんの時間を共有したい派だ。ひとり暮らし、わたしの呼吸しか聞こえなくて、もちろん、この部屋で誰かの存在を感じることはない。ぼぅと小さく聞こえる冷蔵庫の音。鳴らないスマホ。アパートに面した道路から聞こえる車の音は、わたしが世界から遮断された密室で、孤独であることを告げているようにさえ感じてしまう瞬間が時々やってくる。

 わたしは、目に見える形で人と関わり合えないと死んでしまうタイプの人間なのだ。定期的に人と会って、自分が生きていることを確認してきたのに、いまはそれができない。”みんな、わたしのこと見えてる?わたし生きてる?”って、思ってしまう。もちろん、仕事に行ったら、患者さんとも、同僚とも、その他の職種の人とも話すし、間違いなく生きているのだけど。そうではなくて、プライベートで生きてる実感がほしい!

 そんな動機から、ランダムにつながった人と通話できるアプリと、声の配信アプリを始めた。声フェチ、音フェチは一定数いるし、耳に優しいもの需要は近年で一気に高まっていると思っている。
 高校生の頃、某配信アプリで、ラジオ配信をしていた時期もあったし、ラジオパーソナリティにあこがれた時期もあった。実際、配信系のアプリは顔出しする方が伸びる。見た目がよくても、そうでなくても。だけど、顔出しをする気もないし、少し前から話題になっていた声だけの配信アプリを始めることにした。

 自慢できる声はしていないし、秀でたトーク力もないけれど、ひっそり始めた配信に数人のリスナーさんがついてくれて、コメントをしてもらえる、それだけで楽しい。ハマってしまうな、と思いながら、来てくれた人のお話をきいたり、お悩み相談をして時間を溶かす毎日。いろんな人がいるんだなぁ。誰かの悩みを軽く見るのは絶対に嫌だし、知らない人にもちゃんと向き合いたい。
 かゆいところに手が届く孫の手みたいな、奥歯に挟まったえのきがイラつくときに役に立つつまようじみたいな。生活に欠かせないと思うほど重要ではないけれど、あったら便利だよねくらいの存在感で、これからも声を届けていきたい。


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 時々、配信枠の壁紙を自撮りでやっている人を見つけると、せっかく、外見以外の魅力を見せられる場所なのに、もったいないなと思ってしまう。戦略のうちのひとつなのだとは思うけれど。

 きょうも読んでくれてありがとうございました。またね。



わたしのペースで、のんびり頑張ります。よかったら応援もよろしくお願いします。