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夢が教えてくれること・ユングの夢分析と王様のレストラン
私はあの時ああしたからこれがある、これは運命だ、そういったことを感じることが多いのですが、皆さんはいかがお過ごしですか。全ての出来事が伏線回収される様子はまるでよく出来たドラマの脚本のようです。実は今またハマっているドラマがあって、それを週末実家で見ていました。王様のレストランです。小さな頃から大好きなドラマで、ついにDVDBOXを購入してしまいました。
第5話に奇跡の夜という題のお話があります。ひとつでも何かが欠けたら、奇跡の一皿は出来なかったというお話。さすが三谷幸喜だネというかんじなのですが、私たちの生きる日常も、そんなものだと思っています。
実家での夜、夢を見ました。砂浜を抜けたら、犬がいました。生憎夢ノートもドリームブックも持ってきていなかったので、とくに気にせずいましたが、次の夜も出てきたのは犬でした。
私はかなり夢を見るほうで、昔から出てくる場所が決まっていたりします。色やにおいや感触がやたらと鮮明なことも多いです。それが当たり前だと思っていました。でも皆がそうというわけではないと知ったのは、色彩心理の勉強をはじめてからです。
夢は単なる記憶の整理で見る脳の錯覚だと思っていましたが、まあそれもあるかもしれませんが、どうやら違うようなのです。
深層心理学には無意識の働きを意識的に把握するため夢分析という研究分野があります。
フロイトやユングの研究が広く知られていますが、両者の違いは無意識の捉え方です。
フロイトは無意識は個人的なものとしましたが、ユングは無意識を個人的無意識と集合的無意識の2つの層に分けました。フロイトは抑圧された個人の願望が夢に反映すると説き、ユングは無意識のさらに深い領域にある全人類共通の集合的無意識から夢を見るとしました。ユングは無意識の可能性を肯定したということです。
現在では夢は自己分析や自己解放として活用することに役立てられています。
つまり、夢に出てくるのは自身の潜在意識からのメッセージだということです。
実家から帰ってきた晩、私の夢に出てきたのは、昔飼っていた愛犬でした。
小学生の頃から14年間飼っていた彼の愛称はブーでした。そのブーをなぜか母親がどこかに連れていくのです。私はそれについて行こうと思いながらも、すでに家の中に沢山いるかわいい小さな子犬や子猫たちに気を取られて動けずにいました。帰ってきた母は、もう預けてしまったからブーには会えないと言いました。私は、もっと愛でてあげられたら良かったと思いました。彼も最後に私に見送られなくて寂しかったのではないだろうか?などとも考え胸が苦しくなりました。でも彼もきっとまた新しい場所で生きていく。私がいなくていいのだろうか、なんてそれは私のエゴだと気づきます。新しく我が家にいるのは毛並みの綺麗な犬でした。それはなぜか人の形に姿を変え、人間なら29歳だと言いました。去年は22歳だったらしく、犬はあっという間に年をとるんだと思いました。個性的な侍のようなクールな後頭部からシャボン玉のような泡を漂わせています。かわいい犬たちのいる部屋で、私はまた愛犬に思いを馳せます。ブーはこれからどうなるの?と母にきくと、最後はいつか骨になって帰ってくるよと言いました。ブーは離れてもいつかは骨になってそこに居るらしいです。
この夢に私がつけたタイトルは「ブーとのお別れ」。まるで意味のわからないストーリーは、ひとつひとつ読み解けば、今の私へのメッセージになりました。私にしかわからないメッセージです。(なので、長文のくせになんだったかは書きませんがすみません。)
夢もなんでも、全ての事象が自分のために起こっていると気づくことは、簡単なようで難しいことに思えます。人は大抵、そんなもの気の所為だと逃すものです。
実家の夢を見たのだって週末実家に帰ったからでしょう、と逃せばこの夢にはなんの意味もなくなってしまいます。では逆に、この夢を見させるために私の潜在意識が実家に帰らせたと仮定したら?まあそんなものどっちが先かはわからないのですが、とにかくこの夢を見たことにはきっと意味があるということです。
たまに少しだけ、迷う時があります。いつも夢が、無意識が、教えてくれます。私は今王様のレストランと、そして筒井道隆さんにドンハマりしていて、これも何か意味がある気がするので大切にあたためていこうと思っています。(とうとう写真集を買いました。)