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改めまして自己紹介~私と仕事とパーソナルカラー~


はじめまして、こんにちは。
福岡でパーソナルカラーアナリストをしています…と書きたいところではありますが、まだその準備中です。
気づけば11月。今日は111でなんか縁起がいいので、あらためて私と仕事とパーソナルカラーについて書いていきたいと思います。

これまで


私は現在会社員です。
2010年に新卒で某金融機関に入社し、長いこと営業をしてきました。もとより内向的なので営業というタイプではないはずでしたが、1人が好きだが人は好きというあまのじゃくさが功を奏したか、最終的には営業の面白さを語れるまでになりました。プレイヤーとして6年、管理職として育成を5年、現在は直接的な営業ではなく、法人まわりのお仕事をしています。

12年色々ありましたが、元来生真面目なものでコツコツやり続けたら時間が経っていたというのが正しいかもしれません。辛いこともありましたので本気で退職を考えたことも1度や2度ではありませんが、色んなご縁のおかげでとどまり、キャリアアップし、今に至ります。
今はカラーコンサルタントとして来年の開業を目指し、仕事と並行してカラーの勉強に励んでいるところです。


パーソナルカラーとの出会い


私がパーソナルカラーに出会ったのは大学1年生の時でした。いわゆるメイクデビューとともに、私はドラッグストアと2ちゃんねるの化粧板に入り浸ります。当時の私のお気に入りはマジョリカマジョリカ…その世界観とモデルの美波ちゃんが可愛かったのです。※浜辺美波ではない
大学時代、ROM専ではありましたが私は暇さえあればその掲示板をのぞいていたのでした。そしてその中で、「パーソナルカラー」というものを見つけます。ブルベイエベに春夏秋冬、果てはウォームだのハードだのクリアだのダークなど16分割という概念もあるようでした。ただ当時の私には青みも黄みもわからないのです。「あ」を「あ」と認識したのはいつだっけな?と、私はひらがなをどうやって認識したかを必死で思い出すなど、それくらいに色の認識が出来ませんでした。

ちなみに私は自身をブルベ夏と思っており、某デパコスカウンターでもブルベと言われるなどしたものですから、疑う余地など毛頭ありませんでした。


プロ診断を受けた日


プロ診断を受けたのはそれからだいぶ先の2014年のこと。私は営業の合間に駅の改札口付近で検索し、そのまま予約の電話をかけました。経緯は忘れてしまいましたが、今思うとかなり衝動的な行動だったと思います。

診断結果は、イエローベース秋。思いもよらぬ結果になることが多くショックを受ける人も多いと聞きますが、私の場合は意外と少し嬉しさもありました。聞くところによると、秋は割合的に少ないらしいのです。(私の性格として、マイナーを好む傾向があります。こじらせともいいます。)
その足で私は百貨店に行き、化粧品を買い直しました。新しい自分に出会える気がしました。ワクワクしたのを覚えています。

時を経て、私は結婚することになり、ブライダルで先生に再度相談することになります。おかげさまで満足いく衣装選びが出来ました。その後もフォローの機会をもうけていただくなど、少しの時間ではありますがカラーやイメージコンサルの楽しさに触れることができたのはラッキーでした。


パーソナルカラーアナリストを志した理由


きっかけはコロナ禍です。在宅勤務というのは営業の身としては初めての体験であり、また、大きな転機でした。

急に仕事を取り上げられると嫌でも時間に余裕ができ、心にも余裕がうまれ、暇だし新しいことがやりたい!という私の脳裏によぎったのは、1年前のカラーのフォロー講座でした。はじめはプロを志すつもりなど全くなく、あくまで趣味のつもりでした。

月一で取り組むその講座はとても楽しいものでした。本業の方はというと、コロナ禍とはいえ在宅勤務もあっさり終わり、やがて通常営業に戻っていきました。

ところが年末、私は謎の蕁麻疹を出してしまいます。これまでにもそのようなことはありましたが、今回はやや痛みを伴うものでした。が、それもまたいつものこととスルーした私。仕事をしていて体を壊すことは珍しくはなかったのです。

大したことないと思いつつ心のどこかでは、これでいいのだろうかという思いが静かに蓄積されていたと、今となっては思います。

年が明け、カラーのレッスンの最終日。先生が、今日でレッスンは終わりですが…とプロ養成のチラシを見せてくれました。私はレッスンを終わりにしたくなかったし、プロ養成の話を聞いてみたいと思っていた矢先だったので、そのタイミングで先生から切り出して下さったことに驚きと運命を感じたのです。

受けます、私は二つ返事でお答えしました。

その3日後、私は会社に行くことが出来なくなってしまいました。やってみたいことが明確になり、今まで無視していたことからもう逃げられなくなってしまいました。何を言われても何をさせられても、上司にも部下にも会社のプレッシャーにも、そして自分にも鈍感だった「強靭な」メンタルは、見事なまでに崩壊しました。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    

だらだらと書きました。
私がパーソナルカラーアナリストを志すことになった理由は、つまりはタイミングだと思います。


偶然は必然


それはいつからか、思春期あたりから、私の中で教訓めいたものになっていました。あの時こうしたから今がある、不思議な運命的な、まるで伏線回収するような感覚がこれまでの人生の中でも多く感じられたのです。

プロ養成を受けると決めたあと、先生がナインカラーサイコロジーという9つの丸に色を塗るワークをしてくれました。先生は私が塗った色の意味を解説してくれました。それは私の潜在意識で、先生はあくまで通訳しただけだと仰るのですが、私は全てを言い当てられ、そして理解してもらえたような、とても暖かい気持ちで泣きそうになったことを覚えています。
その時に、色は見えるものが全てでなく、見えない力があるのだと知りました。

そして、偶然は必然ですと私が自分で言い聞かせていたあの言葉を先生がまっすぐ目を見て言ってくださったときに、私はこの仕事をしていきたい、と思ったのでした。


これから


パーソナルカラーに出逢えたことも、あの日改札で電話をかけたことも、蕁麻疹が出たことも、会社に行けなくなったことも、全てが必然だとしたら。こんなに素敵なことはないと、思います。

私はプロのパーソナルカラーアナリストになります。フリーランスとしてはどのような姿になるのか、まだ私自身わかりませんが、私にしかできないことを探していきます。

これからお会い出来る方、楽しみにしています。
全ての皆様、これからもよろしくお願いします。

何卒。

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