記録

死にまつわる辛い記録です。お辛い方は読まないで。



友人が亡くなった。
乳がんからの肝臓がん。

3ヶ月ほど前、SNSで病気のことを知った。
乳がんは取れば完治。転移があると完治はしない。
抗がん剤で、癌が大きくならないようにしながら、過ごしていくことになる。
友は転移していた。

1ヶ月ほど前、SNSで「入院今回は少し長いから、遊びに来てね。」と言っていた。
検査と治療で長い入院なのかな。と思った。

1ヶ月が経った頃、仲間から突然、危篤と連絡があった。
信じられなかった。
驚いたけど、いやいや復活するでしょ。と思った。

30分後、亡くなったと続報があった。
信じられなかった。
なんか、元気そうだったじゃん。と思った。

信じられなかった。よくわからない気持ちのまま帰宅した。
帰りに同僚に話をした。仲間の家に寄ろうとした。
不在だった。

就寝前、別の仲間から電話をもらった。
どうして。と涙が出た。
でも、すぐ止まった。

次の日、仕事をした。
中抜けして、仲間と友の実家に行った。
寝ている友がいた。信じられなかった。
仲間は号泣した。私はちょっと涙が出た。
家族から話を聞いた。
仲間は号泣した。私はちょっと涙が出た。

次の日、仕事をした。
忙しかった。とにかく働いた。
いつもより、いろんな人に電話しをした。

夜、通夜に参列した。
たくさんの参列者がいた。
遺影を見て、現実なのかも。と思った。
御焼香を済ませ、席に戻った。
仲間は号泣した。私はちょっと涙が出た。
友は棺の中にいた。やっぱり信じられなかった。

次の日、朝仕事をした。
告別式に参列した。
予定より早く始まった。
お経を聞き、私の御焼香の番が来た。
最期なんだ。と思った。
あぁ、本当に最期なんだ。もう会えないんだと。
涙が出た。鼻水も出た。声も少し出た。
席に戻った。また涙が出た。鼻水と声も出た。
あぁ、現実なんだ。と思った。
棺にお花を入れた。たくさんの参列者がいたからか、すごく慌ただしかった。
流れ作業のようだった。涙が出た。
出棺の時が来た。遠くてあまり見えなかった。
あっという間に行ってしまった。

雨続きの日々に、少し晴れ間が見えた。
友はとても明るい笑顔が素敵な人だった。
晴れ女だった。
友が最期に残された私たちに、「泣くなー元気出せー」と言ってくれているようだった。
涙を拭いた。

おわり

今回の出来事は、私にはとても大きな出来事だった。
死を近くに感じた。
家族(祖父母や親せき)が亡くなるのとは全然違う気持ちだった。
家族はもう高齢なことも多く、自分より先にいなくなることが分かっているからかもしれない。
友達は、年も同じで妻で、母で。子で。
妻が亡くなるって、ママが死んじゃうって、娘が自分より先に亡くなるって。
あぁ、すごく辛い。
記録している今となっては、こうやって考えることができるけど、訃報から告別式までは、なんだかそうやって想像して涙するなんてなんか違う。そんな気がしていた。
だって、それは私の身に起きたことではないから。勝手に自分に重ねたり、想像して涙するなんておこがましい。
そんな気持ちだった。

母である私が今、改めて想像すると、やはり子どもが自分より先にいなくなるのは本当につらい。辛すぎる。
さらに、ママが返事しなくて、箱に入れられ、箱が閉ざされ、車に乗せられ、変な部屋に入れられて、もう、顔が見られない。戻ってこない。これまた怖い。もうすぐ2歳になる子にはただただ怖い出来事だと思う。

お坊さんの話も初めてちゃんと聞いた。
南無阿弥陀仏、極楽浄土。耳にしたことあるけどよくわかっていなかった。
辛かった世界から、苦しみのない世界(極楽浄土)に行くんだ。
友達は、痛かった、辛かった。だろうな。苦しみのない世界に連れて行ってあげたいな。そう思った。
そして、南無阿弥陀仏・・・聞いていると、何となく落ち着く気がした。
初七日、四十九日までには、極楽浄土に行ける。そう思いながら南無阿弥陀仏を唱えることは、残された人の悲しみを少しずつ辛くないものにしてくれる、そんな作業なのかな。と思った。
そうやって、心が救われていく。それが仏教なのかな。と思った。
ひとまず、お坊さんの話を真に受け、毎週心の中で南無阿弥陀仏唱えてみようかな。

そして、検診ちゃんと行こう。
これは自分のためじゃないな。家族のためだな。
父や母、祖母にこんな悲しみを与えたくないから。

みなさんも、行ってくださいね。健康診断、がん検診。

それでは、またいつか。



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