【再掲】レヴュースタァライトはおまえを真の男に再生産する(逆噴射構文)
よくきたな。おれは砂塚ユートだ。おれは毎日相当な量のテキストを書いているが、誰にも読ませるつもりはない。だが今回はベイブでありながら真の男でもある舞台少女を描いた作品「少女歌劇☆レヴュースタァライト」の輝きに目を焼かれて塔から落ちたため、予後のリハビリをかねて記事を投稿することにした。
このANIMATIONを観ておれはMEXICOに吹くねつ風(サンタナ)の紫外線をあまくみていたことをおもい知らされ、そしておまえもこれからおもい知ることになる・・・
見てないやつは腰抜け
毎日スマッホを片手に、MEXICOの荒野をわたるおまえの目には、無数のサボテンとツイッターアーのディプスレイにうかぶ「真矢クロ」とゆう文字列がうつっていたはずだ。にもかかわらず、おまえとゆうやつは「しょせんベイブのしみったれたルチャ・リブレだ」などと舐めてかかり、いまも行きつけのバーで冷えたコロナをあおりながら、スマッホ・ゲームの箱開けに血道をあげているしまつだ。(じつはおまえの勘は半分は当たっている。なぜならクロこと西條クロディーヌを演じる相羽あいなはクリストをとくいとする高潔なるルチャドーラだからだ)
これはもう完全な腰抜けであり、どうしようもない。実際おれが証明するまでもなく、このブロゴにたどり着くまでにうかつなおまえは、そこがブチョの経営する酒場であることも知らず、気が付けばシャンパン・シャワー代わりの鉛弾を全身に浴びてカロリーナと出あうことさえなく、むしの息とゆう有様だ。このままほおっておけば、明け方には上等な野良犬のえさができあがることだろう。しかしおまえはまだ息があり、あまつさえスマッホを親の形見のようににぎっている。「死ななきゃ安い」とはアントニオ・バンデラスのめい言だ。つまり今からでもスタァライトすればおまえはかろうじて致命傷をま脱がれることになり・・・・・・結果よみがえる。そして真の男の中の真の男になる。いまが洗濯のときだ。DO IT YOURSELF.(今すぐやれ)
真の男のレヴュー
おれはまず腰をすえて「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」とはなんなのかを最低限せつめいしておくべきだと思った。レヴュースタァライトは端的にいってミュージカル、舞台だ。これを聞いた時点で、むだに血気盛んなおまえは「エッ!レビュー・スタアライトはアニメじゃなくて舞台!?タカラヅカはとおくて行けない!」などと喚いては、たまたま通りがかったMEXICANマフィアの不興をかって砂地に埋められ、春にはりっぱに芽吹く。麻薬戦争におけるぎせい者の発表は1000の位まで切り捨てであることをおれは知っている。こういう時に真の男は動じない。そしてためらわずにやるべきことをやる・・・・それはブルーレーイーディースクで舞台版を見たり、ナチョにサルサをともしながらアニメ版を見たりとかだ。
「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」はたしかに舞台発のメディーアーミクッスだが、メディーアーミクッスだ。ようするに、舞台がすべてではない。現におまえが目にした真矢クロもたいていの場合、アニメイシヨンのなんかだったはずだ。おれ自身も真の男と仰いでやまないフォローウアーの啓示を受け、ANIMEからすべてを学んでいった。話の大筋は舞台少女と呼ばれる9人のホットなベイブがトップスタァ(すなわちバンデラスだ)の座をかけて競い合うとゆうモノだ。この根幹はメディアーが変わってもきほん的に変わらない。だからここから先はとくに断りのないかぎり、アニメ版の話を主ににしていくことになる。もちろんあえて舞台から入門するのもありだ。それが出来るおまえはもう心の中にコナンを宿している。
舞台少女はバンデラスだ
まず、けつろんから言って舞台少女とはおのおのがホットなベイブであると同時に真の男・・・・つまりはバンデラスだ・・・・一見らりったようなことを言っているように聞こえるかもしれないが、おれは誓ってノー・ドラッグだ。そもそもMEXICOのレヴューには三種類のにんげんしかいない。あほ、腰抜け、真の男だ。だからベイブであることと真の男であることはかならずしも矛盾しない。ミラ・ジョボヴィッチをみて腰抜けなどと抜かすあほはいないのとおなじ理屈だ。そこをはき違えるとさっそくおまえはコロナよりも冷えた体で地面に横たわることになる。
とにかく、おまえは第1話をめの当たりにする。Aパートで8人(途中で1人ふえる)が舞台の主役を意味する「トップスタァ」をめざして切磋琢磨するようすをドリトスを頬張りながら、或いはスマッホ・ゲームを周回しながらながめるのだ。そしておもう・・・・「なんだ、ゼンゼン普通じゃん・・・」と。おまえはそうやっていつもきめつけで1話切りとかをして、ろくにみてもいないのに知ったふうな口でツイッターアーにクリエーターのわるくちとかを書いて悦に浸り、半年くらい後にこうかいする。いまもそうだ。この時点でおまえは百個くらい間違いを犯している。もんだいなのはBパート以降だ。
Bパートからは重度のドラッグ野郎が突如としてキネマシトラスに乱入、血走った目で制作進行にショットガンを突きつけ、ありもしない誇大MEXICO妄想を映像化したかのようなすごい視覚表現がれんぱつする。きわめてアヴァンギャルドだ。だがそれはコークによって生じたサイケデリックななんかではなく、「少女革命ウテナ」や「輪るピングドラム」などでつちかわれたイクニイズムを継承した合理的精神に基づく、100パーセントまじめな描写だ。だがいまは理解しなくてもいい。それは、おまえが頭のう指数のたりないあほだからとゆう事ではなく、単にこの時点で「わかります」などと言えるのは、あのキリンだけだからだ。ただ、もし仮におまえが「デスペラード」をあらかじめ見ていたのなら、わかることが一つだけある・・・・それは戦わなければ生き残れない。レヴューはMEXICOだということだ。
この先の展開について、おれはあえて多くを語らない。なぜなら1話目の質量を乗り越えたおまえはすでにスタァライトされ、限りなく真の男に再生産されたといえるからだ。2話目からは若干マイルドになったイクニイズムを随所に織り交ぜながらもしだいに話がわかるようになり、ドリトスをつまむ暇はなくとも舞台を彩るレヴュー楽曲に耳を傾ける余裕がうまれる。そうして波乱と興ふんに充ちたおまえの体感時間はついにスマッホ・ゲームの周回速度や光ファイーバーのなんかを超え、8話が終わる頃には「・・・・ばなナイス・・・・」と呻くばかりになる。いわいる真矢クロ回は第10話でのことだが、そこに至るまでのレヴューでおまえは数多くの涙とドリトスをまきちらすことになるだろう。
この頃にもなると時折、おまえのタイムラインに現れるじゃあくな魔法つかいが「仮面ライダー龍騎」や「HiGH&LOW」などの名作を過剰に持ち上げてくることもあるだろうが、それはあくまでも類似した要素、エッセンスーンーのはなしに過ぎない。なにを見出すのかはおまえ次第だ。ただ、おまえの見たモノがのち、人生におけるおまえ自身のキラめきとなることをおれはあらかじめ断っておく。
スタァライトし、そしてスタァライトせよ
この期に及んでスタァライトしてないおまえはまんまとタルサ・トゥームの罠にはまり、スマッホの予測変換のせいですっかりあほになってしまった。そのためいまや流行りにのることをぬるくなったコロナ以上に嫌っているおまえにとってさらに酷な話だが、YOUTUBEチャネルでたび重ねておこなわれた無料配信もおわって久しい。MEXICOにおいて乗り遅れるとゆうことはそれだけ致命的なことだ。つねに笑顔を謳うニコニコ動画でさえ、ANIME最新話の配信から一週間もたてばなに食わぬ顔をして追加のトークンを要求してくる。ここで肝心なこととして、笑顔になるのはいつもおまえではなく、ドワンゴのヤツらだとゆうことだ。
せっかくスタームルガーをぶらさげた重い腰を上げてけんさくしても全話有料・・・・都度に課きんする必要を迫られたとき、コロナとナチョを買うだけの日銭しかもたないおまえは取り乱し、やけになって酒やベイブに逃避する。そしてあたたかな家庭をきずき・・・老人となり・・・子や孫にかこまれ・・・・やがて死ぬ・・・。腰抜けは一生シュワルツェネッガーにはなれないのか・・・・・? その答えは絶対にノンノンだ。おまえがAmazon Primeにさえ登録いれば、いつでも舞台版や劇場再編集の「ロンド・ロンド・ロンド」を見ることができる。(ANIMATIONを2時間くらいにまとめたフィルムで、そうとう凄い)。この権利はなにものにもおびやかされることはない・・・・たとえバイデンがおまえ個人に追加の経済制裁を決議したとしてもだ。
舞台少女の輝きに魅せられたおまえは、自分の中にあるキラめきを見出す。そしてその輝きはいつか誰かのキラめきになるだろう。おれもおまえもひとしく舞台創造科であり、MEXICOというレヴューに立つ未完成のバンデラスなのだ。おれからいえることはひとつ・・・・舞台で待ってる。
(砂塚ユート)
元記事。