「自分がわからない」を治す方法
○結論
結論は、地図になる価値体系を持ち、他人との比較で「立ち位置を知る」と治る。
○わからないの分類
わからないは、大きくわけて2つある。
A、他人と比較して立ち位置がわかない
B、自分の感じていることがわからない
○特性と必要なこと
A価値体系は、自分に注意向いているとわからない。他人の観察が必要。
B感覚は、自分の体を感じないとわからない。反応を自覚することが必要。
○ヒントを得られる分野
Aは、占いの価値体系が役に立つ。
Bは、仏教的な知恵の話になる。
○AとBの関係
AとBは連動する。
まず「わたしは寂しさを感じている」とBの気づきを得たとしよう。
しかしAの比較による価値体系がなければ、どの程度のものなのか、わからない。
自分だけなのか、多くの人に共通なのか、頻度もわからない。
そしてはかる物差しが、「寂しい/寂しくない=ある/ない=100/0」と単純化され過ぎてしまう。
逆にA価値体系を先に知っても、自分を知らなければ「言葉の意味を体感」できない。感覚が伴わない頭だけの理解になる。
○概要と詳細
たとえば、「料理を知る」とはどういう状況だろうか?
極限まで抽象化して
1、材料を用意して
2、調理してして
3、盛り付ける
とまとめれば、すべての料理に当てはまる。
しかしそれを知っても「わかった」とは感じない。
みそ汁なら
オムライスなら
と料理名ごとに一通り体験する。
するとにてるところや、真逆な点に気づく。
たとえば、ラーメンと冷やし中華は、同じ麺料理だが温度が真逆だ。
味付けも異なる。
冷やし中華とつけ麺は近い。
つけ麺の汁の味はラーメンに近い。
さらに細かく
1、地方の味付け
2、家庭の味付け
3、わたしの味付け
などニュアンスが繊細になる。
では人なら?
1、肉体
2、精神
3、魂
がある。
では
Aさんは?
Bさんは?
いろんな人を知ったところで、「では自分はどの辺にいちするだろう?」が分かれば、「自分がわからない」とは感じなくなる。
自分の範囲はこれくらい。
そんなイメージをもつ。
平均値に近いのか?
大きくはずれてるのか?
ふり幅はでかいのか?
適応範囲が狭いのか?
はっきり答えられるようになったら、「自分のことを知っている」と感じられるだろう。
【ここからはタイトルから外れる蛇足】
○態度の変化
「自分がわからない」と感じている人は
1、教えてほしい(答えてほしい)
2、助けてほしい
3、わかってほしい
と感じている。
「立ち位置を知る価値観の地図」を持っていて、自分の売りを理解している人は、「だから何ができるか?」を考えて行動する。
つまり、自分を知らない人は受け身でこどもらしい態度をとる。
たいして、自分を正確に把握してる人は能動的な大人らしい態度をとる。
成熟度は年齢でははかれない。
経験の差なので、「わからないんだからたすけてよ!」という受け身の態度で、物事の配置や関係を知ろうとしなければ、100才でも幼稚なままにる。
○幼稚な人の特徴
「自分はできる/分かっている」と過信するタイプは、他人のできてないところに敏感だ。
そして自分ができてないことは気づかず、鼻っ柱を折られて丸くなっていく。
たいして「自分はできてない」と萎縮するタイプは、他人のできているところに敏感だ。
でも自分ができてる部分に鈍感で、相手が助けてのサインを出していても気づかず動かない。
過信して動くタイプは、失敗するから学びやすい。
萎縮して助けを待つタイプは、挑戦しないから失敗しないので学べない。
本人は「どうして誰も助けてくれないんだ」と不満に思う。
しかし本当は周りは答えを言ってる。
本人に価値体系がインストールされてないから、答えを言われても答えだとわからないだけだ。
○地図の有無
地図を見ながら、現在地と目的地の関係を説明するのは易しい。
しかし、地図を持ってない相手に説明することは難しい。
だから、「上を目指せ」と漠然とした指示は分かっても、「この行動が上に向かうことにつながるか?」という具体的な目の前の判断はできないのだ。
○宗教
若い頃のわたしは、わたしだけがわからないと誤解していた。
それはわたしが、「自分は分かってない」という態度で、他人のできてる部分に目を向けるタイプだからだ。
でも中級以上に進んだ分野がない人は、価値体系の地図を持たないものだ。
過去は、宗教を共有していて、地図を持たない人に教える仕組みがあった。
占いは汎用性の高い価値体系だが、唯一の地図というわけではない。
同じ価値体系の地図を見て、同じ方向に進む仲間を見つけられないと人は孤独を感じる。
でも変化に1000年耐える価値体系を生み出すのは、簡単ではない。
数千年に一人の偉業だ。
取り組んでる人はたくさんいるが、周りの支持を得て、世界中に広がる規模のものはまだない。
わたしは一応30年以上目指してきて、グリーン教を思いついた。
でも生活の模範を示せるほど解像度が高くない。
心身弱くて働けないから暇なんで、他にやることなくて続いてる。
狂気と紙一重。