「ハック」からは生まれないテキストを紡ぎたい
以前、以下のようなTweetをしたことがある。
バイラルメディアにありがちな表現で打線組んだ
1番(中)胸が熱くなる
2番(二)涙が止まらない
3番(右)グっとくる
4番(三)息をのむほど美しい
5番(左)言葉にならない
6番(一)○○だと話題に
7番(遊)じわじわくる
8番(捕)ヤバすぎる
9番(投)死ぬまでに一度は行きたい
最近では、こんなTweetもした。
何が言いたいかというと、ビジネスにおいて重要な「再現性」をクリエイティブの世界に過度に持ち込むと、面白くなくなるということだ。
僕もWebメディア界の片隅で仕事をするものとして、「効率よくPVを生む方法」「可能な限り早くSEOで上位に表示される方法」について日々頭を悩ませている。
ただ、こうした「既存の仕組みをハックしよう」という思考が行きすぎると、定型化された無個性な文章が氾濫するディストピアが生まれるように思う。「再現性」「効率性」という大義名分に基づいた思考停止の文章が生まれ続けることになってしまう。
その代表的な例が、スポーツ紙などでいまだに見掛ける「ノーバン始球式」というものだと僕は思っている。おそらく、この表現を使っている記者は何も考えてない。過去に「ノーパン」に空目されてPVが増えたというハックに基づいて、脳まで電気信号を送ることなく、反射で「ノーバン始球式」とタイプしているのではないだろうか。
圧倒的な筆力もしくは熱量をもったテキストを読みたいし書きたい
表記を統一したり、形容詞をけずったりする編集における「ハック」も挙げればキリがないだろう。そうした技巧が有効な時もある。それは否定しない。クオリティの最後の1㎜を埋めるのは、そうした細かいテクニックであるだろうことも理解している。
それでも、だ。
「ハック」のような小手先の技術を圧倒するような文章力や熱量をもったテキストを僕は読みたいし、生み出していきたいと思っている。
最後に、僕がパッと頭に浮かんだ「ハックとは無縁のテキスト」を紹介してこのエントリを終わりたい。
「体つきを見て、もう動けないと思われるんでしょうけど、僕は生まれたときから太ってる。この身体で走って、守れるように鍛えてきた。昨日今日のデブとは年季が違うんですよ」