幻視のカナリア雑記
もうだいぶ前のことになってしまったけれど、コミックマーケット97で頒布したアルバム「幻視のカナリア」の雑記です。いつものようにあってもなくても構わない文章ですが、そういうのを読みたい人もいると思うので。あなたはこの文章を読んでもいいし、読まなくても良い。
コンセプト
ELSINOLAの楽曲はいくつかを除いて、ある方向性のもとに創作されています。曲の雰囲気もそうですが、どちらかというと歌詞の内容で説明がされています。少なくともそのつもりで書いています。
どういった世界観なのかを説明するのは野暮なので、確認してください。ジャンルで言うとSFになるとおもいますが、そうでもないかもしれません。音楽のジャンルもポップスとしていますが、本人はプログレッシブロックだと思っています。カテゴライズしたい人たちがいるのでそういうふうに言っていますが、それ自体には意味は無く、楽曲を聴いた個々人が自分の解釈を容易にする必要があるならばそうしたものをつければ良いという程度のスタンスです。
ジャケット
いつもはフィギュアにポーズを取らせて自作しているのですが、今回は総集編ということもあり、ジャケットイラストは小鳥遊ナイさんにお願いしました。いくつかの歌詞カードと実際に曲を聴いていただいて、コンセプトをお伝えした上で自由に描いていただきました。ディレクションもほとんどしていません。非常に抽象的なイメージをきれいにまとめていただきました。
基本的に、共同作業をするときは、担当していただいたパートに関しては完全に相手にお任せすることにしています。出来上がったものがある程度こちらのイメージの範疇か、より良くなっていれば、そのままアイデアを通します。必要があれば修正を依頼するという流れです。
楽曲について(括弧内は原曲収録盤、発行年)
1.幻視のカナリア(幻視のカナリア、2013)
タイトル曲。ストリングスがバッチリ入って、コードもメジャーなので暗さや不気味さはないのに、ハンドクラップの音が妙な高揚感を煽っていて、とても不気味な感じ。
世界観の核になりそうな曲が欲しくていろいろこねくり回したのに満足な曲ができなかったんで、某氏のメソッドを使用。あの曲です。
歌詞もそれなりに苦労した覚えがあるが、タイトルだけ決まっていたんで、世界観を掘り下げながら作った。
2.P53の歌う箱(幻視のカナリア、2013)
「幻視のカナリア」のタイトル曲のつもりで作っていたけれど、いまひとつ壮大さにかけて、こじんまりしてしまったのでボツにしようとしたのだけれど、これはこれでポップな感じがあって良いのではないかと思い直して、こういう感じに仕上げた。
2013年盤のジャケットは石碑に体を預けて座る初音ミクをデザインしたのだけれど、「幻視のカナリア」の舞台というのはそういうところだっていうことを表現できたかなと思っている。
P53というのはアポトーシス(プログラム細胞死)制御因子の一つです。癌化した細胞にはこの遺伝子が働いておらず、そういう意味では生体の環境をコントロールしている分子とも言えます。そんなことよりも、P53ていう名前はロボットのコードネームっぽい。
ポップで明るい曲調に明るくない歌詞、というのが頭にあったのであまり悩まずにできた記憶があります。
3.Freezing Coffin(Freezing Coffin, 2014)
アナログシンセのロングトーンで始まる曲。これだけで妙なSF感が出ている気がする。エレクトロニカのようにグリッチノイズを入れるやり方がよくわからなかったんで、普通にシンセドラムです。808とか909のエミュレート音源を使っている。音がスカスカなので他の曲とのギャップが激しいけれど、振り幅を広くとっておけば後はいろんなことができる。
ギターソロはもう少し動けるとよかったが、技量の問題でこれがいまの限界。スカスカで綺麗な音の中に割り込んでくる歪んだギターというのが気に入っている。
当初は「コールドスリープ」という曲名だったはずだけれど、「Freezing Coffin」の方が間接的でイメージの広がりもあって気に入っている。ちなみに元ネタは黄金聖闘士のあの人の技。
4.快晴、東の風、風力3(旅する人, 2015)
このアルバムの中では比較的爽やかな曲。風が吹き抜けるようなイメージだったので、そういうタイトルになっている。
私だってこのくらい作れるんだぞ。
難しいことは何一つしていない。前奏もなければ間奏もない。昔はそういう曲、結構あった気がするが、今は前奏から掴みがあったり、ギターソロ入れたり、大サビを作ってみたり、みんないろいろとやっていて、すごいなあとおもいます。が、この曲ではそんなことをしていない。
クリーンギターとストリングスがメインで、あとはドラムで曲の雰囲気を作っている。以前の記事でも触れているが、青山純氏や高橋幸宏氏の影響。全然足りてないけど。
東からの風はいつの時代でも、なにかを知らせてくれるものとして登場する。太陽が東から昇るからそういうイメージなんだろう。
5.パノラマ礁(GATE4645, 2015)
インターバル。もしくはA面の終わりの曲。
タイトルは良く言えばダブルミーニング、悪く言えば単なるダジャレ。
タイトルに合わせて波のエフェクト音が入っているが、完全にループのみで作られた曲。もともとはギターリフだったのだが、ギターが下手過ぎたのでエレピに差し替えた。よく聞くとわかるが、エレピのフレーズの倍の長さの三線、更に倍の長さのチェロ、更に倍の長さのシンセパッドで構成されている。三線は5度上を基準に沖縄音階に直しているが、エレピとチェロとシンセパッドはそれぞれ同じフレーズのオクターブ違いになっている。
歌詞の中身はあまり意味がないが、強いて言うなら、ディストピアを捨てよう、というところか。
6.星読む人(旅する人, 2015)
原型は高校生のときに作っておいた。今の感覚ではやや稚拙だったので、メロディと歌詞を全面的に変更・加筆したが、ギターソロもベースのフレーズもシンセのシークエンスも、ほぼ当時のままになっている。当時は音源がローランドのSC-55-mkIIという非独立型でPCから鳴らすタイプの音源を使用し、ミュージ郎というローランドからでていたシーケンスソフトを使っていた。今のようにWAVやMP3に書き出せない、完全宅録非対応のおもちゃのようなソフトウェアだった。
今も昔もソフトウェア音源のエレキギターの音はなんだかチープで気持ち悪い。最近はそうでもないものもあるけど。なので、極力ギターソロは弾くようにしている。この曲のギターソロくらいなら私にも弾ける。
歌詞は少し感傷的。祈りのようなものも込められている。私だってこのくらい書けるんだぞ。
7.帰る庭(Freezing Coffin, 2014)
スローテンポの曲はすべてバラードというわけではない。
この曲はいろいろと凝った作りになっている気がする。プログレッシブ・ロックにはつきもののメロトロン、プログレッシブ・ロックではよくあるストレートではない不穏なコードの展開、リバーブがかかったスネアが途中から加わったり、間奏で歪んだギターが唸っていたり、歌の順番がA>B>C>C>B>A>Cになっていたり。自分でもどこをどうやって作っていったのだかほとんど記憶に残っていないが、普通の曲にしたくなかったんだろうということは伺える。我ながら、よくできた曲だと思う。
歌詞についても、ある意味で気が利いている、面白いものになっていると思う。最後にCメロを持ってきたのは本当に気が利いている。このクオリティが常に発揮できればいいのだが。
ちなみに中間のギターは平沢進じゃなくて、どちらかというとJOJO広重(非常階段)の影響だろう。デストロイギターだけが平沢進のギターソロではない。
8.GATE4645(虚像と竜のゲーム, 2016)
こちらはVer. 0である。これとは別にプログレッシブ・ロック風アレンジのバージョンもあるが、それはそれでまた別の機会にまとめる。
一聴して分かる通り某氏のメソッドである。中間のシンセソロも含めて露骨に影響を受けている。まあ良いではないか。
途中の「GATE !」のシャウトは音節の関係か、ボーカロイドでうまいこと表現ができなかったので、私が声を入れている。バージョンが古いからかもしれないが、こういうところの表現がうまいことできないのは、ボーカロイドもまだまだだなあと思うところだ。
世界には物資だけでなく、情報や感情のようなものを通すゲートのようなものが存在していて、それが恣意的に利用されたり不全になったりすると、秩序が乱れるという話だ。
9.極夜(時の鐘を打つ人, 2017)
同人プログレを紹介している霜月便りというサークルさんに取り上げていただいた作品「時の鐘を打つ人」に収録した曲。プログレ盤をまとめたときにはそちらにも収録するが、曲の世界観はこちらにも通じているので収録してある。
この曲のことについては「時の鐘を打つ人」に書いているのでそちらを参照していただきたい。この曲もどうやって作っていったのだか記憶がない曲だが、詞、曲ともによくできていると思う。喉元過ぎれば熱さを忘れる、というのが主旨だろうか。
10.祈る人(Freezing Coffin, 2014)
重い曲が続くので、最後くらいは爽やかな曲で終わりたい。
記録によると、元のタイトルは「ビリー・ピルグリム」だった。カート・ヴォネガットのスローターハウス5の主人公の名前だ。この小説はSFの体裁はとっているが、第二次大戦のドレスデン爆撃を描いたシーンが登場する、戦争小説だ。それがこの曲と同関係するかというと、それは小説を読めばわかるので説明はしない。これまでの曲と同じように、爽やかな曲調だが少しネガティブな世界を歌っている。ところどころ不安なコードが入るし。アレンジ次第では人力での演奏が可能か。
ラスサビ入れるかどうか迷ったが、ラスサビがあるおかげで、ポップスとしての体裁が整っているようだから、入れてよかったのだろう。誰の上にも朝が来るというのは、使い古された言い回しすぎて、少し気恥ずかしいが、このくらいならまあよかろう。
以上が、「幻視のカナリア」のライナーノーツです。これを読んだあとに、聞き直していただくと少し違って聴こえるかもしれません。もう一枚、総集編その2が控えており、そちらと合わせることでようやく全体の世界観が見えてくるようになる予定です。
気に入っていただければ幸い。心に残ればなお幸い。